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2013.08.18 (Sun)

サロメ後継


サロメ後継
(2006/12)
早瀬乱

サロメは望んだ。
愛しい男の全てを、
手に入れたいと切実に願った。

女たちもまた願った。
望むものを手の内にしたいと。
血の滴るそれに歓喜することは、
果たして狂気なのか。


【More・・・】

痛みがない、あるいはその感覚が鈍いというのは、
一体どんな身体感覚なのだろうと想像したところで、
幸いにも逆剥けで涙目になる神経をもっているので、
想像はあまり具体的にならない。
ただ、経験的に考えると、たとえばざっくり刃物で切った時。
その瞬間には、血や肉の赤は痛みと結びついて、
血の気が引くような危機として認識されるけれど、
縫合時に患部に麻酔をした後には、
まだ傷は変わらず生々しいままでそこに存在するのに、
危機感や恐怖感なんかは遠くなり、
痛みのない肉の内側で白い脂肪がてらてらしているのが、
何やら不思議で興味深くて、まじまじ見てしまった。
もしも生まれた時から痛みを知らないなら、
きっと痛みにもだえる人々というのは、
さも不可思議な存在に思えてしまうのかもしれない。
手首を切る女たちを始めとした痛みに苦しむ人々の傍で、
都築さんが生きて、死に場所さえ求めたのは、
自分が決して知ることのない感覚世界に沈む彼らを、
何か神聖な生き物のように思ってしまったからなのだと思う。
彼にとってはまさしく殉教だったのかもしれないけれど、
少なくとも真理亜は仕えるに値する主には見えなかった。

肉体と同じように、精神も病に冒される。
異なる点は患部が目に見えるか否かと、
虚弱さゆえの病に対する周囲の目。
生まれながらの虚弱な身体は哀れまれ、
精神の壊れやすさの責は本人に還元される。
単純に感覚的に、いかにもそれは不合理だとは思う。
ただ一方で、精神を病むということが、
神経だのホルモンだのが確実に無関係ではないのだろうけれど、
一体何なのかが分からないというのも正直な素人感覚で、
健康と病理の境目をどこに引くかという問題が、
肉体の場合よりもさらに困難であるような気がするために、
言ってしまえば、程度の問題なのかなどと思ってしまったりする。
もちろん肉体の病もやはり境界と程度の問題という面があるわけで、
いずれにせよ健康と病気の間にはグラデーションがあるのでしょう。
だから結局は、病片が目に見えないことが、
精神病に関する、おそらくは大部分は誤解である認識の原因なのかもしれない。
精神の病気でない人間の方が少なそうな登場人物を並べて、
などとうだうだと考えてながら、
精神病の何たるかはやはり掴みかねるところがあるけれど、
手首を切ることやその他の社会生活を困難にする様々な問題行動は、
症状ではあっても、病気そのものではないのだろうとは思った。
それが高熱や流血のようなものなら、行為を止めることには意味がない。
病める人々を治さんとする人たちの、その忍耐力は半端じゃない。

都築さんの痛みのない体がもつ力は、
真理亜の欲望と結びついて死人を出すまでになるわけだけれど、
結局、真理亜もとい瀬川益美が望んだこと、
彼女のオリジナルの欲望とは何だったのだろうと思う。
後継者たちのように唯一無二の相手を手に入れることでもなく、
佳美のように権力や支配欲でもなかった気がする。
最後まで幼さを手放さなかった多賀絵里華と、
真理亜の過去や終盤自分のヨハネを失ってからの様子を考えると、
彼女たちはただ自分の思い通りになる場所、
たとえば鍵のかかる子供部屋のような場所で、
好きなもの、相手だけに囲まれて、
したいことと自ら設定した使命に殉ずるように生きたかっただけ、
そうはできない世界に怒っていただけなのではないかと思う。
そして同時に、そんな夢を捨てられない自分を、
彼女たちは医者や「健康な」者に言われるまでもなく、
無様でおかしくて、異常だと、おそらく嫌悪していた。
「約束の地」を中心に築いたものには実体がなく、
ヨハネの力が必ず破綻することを真理亜は分かっていたのだと思う。
その意味で、新しいヨハネの力を利用しようとした佳美より、
彼女の方がよほど現実を見ていたのかもしれない。
まともだったのは誰なのか、結末からは分からない。

精神を病んだ女たちが多く出てくる一方で、
男たちの大部分は、少なくとも登場時は、
病理と認定されるほどにの病はもっていなかった。
手首を切り続ける妻娘と離れた井出川、
そんな家庭で育った文博、
同じく病んだ女たちの傍で育った都築さん。
彼らはそれぞれ自分にとって決定的な女たちと出会い、
彼女たちに感応すうように壊れていった、とも見えるけれど、
その精神はそれ以前から侵されていたように思う。
ただ単に「症状」が出ていなかっただけ、
あるいはそれが出ないように自分で痛みを鈍らせていただけで、
彼らの心はいつ「病理」になってもおかしくないほど、
ずっと以前から軋んでいたのだと思う。
自傷行為それ自体は推奨していいものではないけれど、
痛みを逃がすために、軋む心から血を流すために、
何かしらの行為が必要になることはあるのかもしれない。
できるならばそこまでの傷を負ったその時に、
肉体も心も自ら切開することなく痛みを感じられることが、
一番良いことは言うまでもない。
ただそれを自然に出来る者とそうでない者とがいて、
多分そこには心が強いとか弱いとかは関係しない。
何が違えば、男たちは違う選択をすることができたのだろう。

ヨハネたちの肉片に宿る力。
理論のなさには目をつぶるとしても、
どれだけ細断したんだと突っ込みたくなった。

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