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2009.08.04 (Tue)

頭のうちどころが悪かった熊の話


頭のうちどころが悪かった熊の話
(2007/4/2)
安東みきえ

「むかしむかし」
とは始まらないけれど
「あるところに」
の話ではある。

そこは
人からも獣からも遠い
神の園のような気もするけれど。

【More・・・】

記憶喪失の熊。
「春が来て 熊さんぼんやり考えた」わけではなく
彼は何の因果か頭のうちどころが悪かった模様。
熊的にうって悪い場所ってどこなんだろう…。
やっぱり後頭部?
何にしろ、熊さんは「レディベア」を探してうろうろする。
まあ、この時点でオチはある程度見えてるわけですが、
それでも亀とクマバチの恋にはっとしたり、
熊におびえる椅子をかわいいと思ったりしているうちに
いつの間にか私も「レディベア」を待ちわびていた。
それが何なのかもわからないまま、
求め、さ迷う熊が痛々しくて、楽にしてやりたくなった。
記憶を失っても、残る感情があるのは
そう悪い話でもないはずだけれど。
いっそ何もかもなくしたなら、楽なのにとか思ってしまう。

熊虎狐鹿蛇…。
獣たちを主人公にした寓話は数多いけれど、
彼らは大概何かしら人間の仕様のない部分を際立たせて描かれる。
熊や虎なんかの猛獣が獰猛さを、狐や蛇が狡猾さを、
か弱い小動物たちはその無力と無垢な魂を体現する。
そういう部分を描きだそうとするとき、
獣の姿を借りることは都合がいいんだと思う。
人が人を殺すよりも、獣が獣を殺すほうがずっと、
現実的で身近な現象なのだから。
でも、ここで描かれる数篇の主人公たちは
あまり人間臭くない。獣らしくもない。
純化が過ぎると、こうなるのかと思う。
人の理屈にも、獣の理屈にも合わない、
物語のために存在する彼らは、ちょっと異様だ。

そういえば、
小学校低学年の教科書には、よく熊がいた気がします。
穴のあいた種の袋の話、信号機を変える父熊の話、
冒頭の谷川俊太郎の詩も教科書に載ってたような。
ああ、だからこの「頭の…」を読んだあと
なんだか懐かしくなったのか。
食べたものを哀れんで獣が泣く話なんかは
「よだかの星」にも通じて、まさに教科書っぽい。
国語や道徳の教科書が好きだった者としては
だから嫌だとも思いませんが。

七篇の中で気になったのは、
やはりそのぐるぐる回る哀れみの輪の話。
食べられたものたちの夢も一緒に食べてしまったのだ、なんて
ちょっと傲慢な気もしますが、そうかとも思う。
「肉」になる前、彼らにも夢があったのかもしれない。
その夢は死んだ瞬間に消えるのではなく
食べた者の中に、たまっていく。
うわ、ちょっと怖いな。
でも、もしそうなら、
私が死んだ後焼かないで、その辺に放っておいてくれれば、
同じように虫や鳥の中に、たまるものがあるのか。
それは少し、嬉しいことかもしれない。

「カコの実」と聞いて
ポケモン?と思った自分がとてもどうかと思いました…。

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