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2013.08.26 (Mon)

ハイドラの告白


ハイドラの告白
(2010/3)
柴村仁

決して返ってこない思いの塊を、
ただひたすらに投げつけて、
反響でも良いからと耳を澄ます。

心のどこかが枯れるまで、
彼らはそれを続ける。
続けずにはいられない。


【More・・・】

友情だろうと愛情だろうと、敬愛なんかだろうと、
一方通行の感情は、珍しいものではない。
それは誰かに対する気持ちの性質そのものとして、
ごく普通に、大した悲劇性もなく在る。
すれ違う、くらいならまだマシな部類で、
大抵は自分の心一つしか確信し得るものはない。
何か確信できる関係を築くことに成功した後でも、
おそらく相手の思いそのものに触れることは難しい。
だからこそ、気持ちが通じ合うこと、
心を通わせることには大きな価値があるのだと思う。
死者を悼み続けることは尊ばれるべき行為かもしれないけれど、
それはつまり返ってこない場所に思いを投げ続けることで、
その意味で、由良彼方がやっていることは、
その兄や従妹がやっていることと変わらないのだろうと思った。
生きている相手にそれを続けることは、
返ってくるかもしれない希望がある分だけ健全で、
けれどその相手が別の誰かに向ける眼差しを、
傍から見ねばならない分だけ、苦しい。
宛を殴りたくなる女子贔屓。

吉野彼方がなぜ死んでしまったのか、
彼女はどういう女の子だったのか、については、
前巻彼女自身の言葉で語られたけれど、
思えば由良彼方の話はほとんど語られていなかった。
榎戸川と吉野の目を通して見た由良は、
冷徹かと思えば人間味があり、大胆で自分に忠実、
けれど地面に足がついていないような非現実感のある男。
あれから数年後、今度は兄の口から弟を語られて、
少なくともあの頃、榎戸川が向き合った由良彼方は、
とてもこれが由良彼方だとは言えない状態だったのだと気づいた。
飄々とした、榎戸川から見れば冷徹とさえ映ったこの男は、
あの頃ほとんど死にかけていたらしい。
吉野を失ったことがそれほどの痛手となっていたとは、
あの推理や妙に明るい殺意からは読み取れなかったけれど、
そんな冷たさが本来の由良のものではなかったとしたら、
兄が言う通り、由良は本当に「いい子」なのかもしれない。
言動は傍若無人に見えてただ自由なだけ、
一人の女の子の死一つが致命的なほどに繊細で、
でも殺意や憎悪を他者に向けられるほどには無感覚になれない。
そうして数年を経過しても、彼女の絵を、あの青を忘れられずにいる男。
次は由良自身の言葉が聞きたい。

吉野の父親は傍から見ているだけでも嫌になるような男で、
なぜこの男ではなく吉野が先に死んだのかと、
吉野の死と父親は関係ないのに理不尽に思ったりもした。
ただ、布施正道の本物が何をしようとしたのかを知って、
あの酷い父親の姿も布施の一面でしかなかったのだと少し反省した。
まあこの男の場合は他の面を見たところで、
共感も許容も難しい歪みっぷりなので、
春川がいかれてると叫びたくなるのもよく分かる。
もしも吉野が無事に生きていて、
布施から贈り物を受け取ることができたとしても、
その絵がどんなものなのかを知ったなら燃やすと思うし、
由良もきっと似たようなことをする。
それはそこに塗りこめられた女たちに対する礼儀、
あるいは狂気じみて押し付けがましい愛情への返答として、
至極妥当な対応だと思うけれど、宛はそれをしない。
もうそこにいない人間のためにではなく、
実在するものを実在する人間の間で決着させようとする。
おそらくその点が兄と弟の決定的な違いなのだと思う。
宛は正常をやや外れる勢いで弟を愛しているようだけれど、
四階から落下した弟を殴って大バカ野郎とは、良い兄貴だなあ。

法的に禁じられているわけでもなく、
それ以外にお互いの身上に何か問題があるわけでもなく、
Aがしている片思いは一見絶望的には程遠い気がするけれど、
弟である彼方から見ても、宛の偏りはどうしようもないものなのか。
生まれてもいない自分の子供を愛せないと確信する宛は、
多分自分を嫌っているのだろうと思う。
ならばなぜ自分と相似形の彼方を愛するのかと言えば、
宛にとって弟は自分の形をした自分でない者、
奇跡的に自分とは違うまともさをもった「いい子」だから、
似た形で異なる者だからこそ、愛しているのかもしれない。
それはAが宛を思い続けるのとよく似ている。
よく似た顔形をもつ彼らが交わらない思いを抱き続けることは、
何やらそれぞれが壮絶な歪みを孕んでいるようにも思えるけれど、
Aが妄想の中で彼方を首を切り落として言う言葉は、
多分A自身にとっても空虚な嘘でしかない。
宛は彼方の首を愛しているわけではないし、
美しい男などと言いながら、Aもまた宛の顔などどうでもいいんでしょう。
似た形の彼らは、似ているがゆえにそれに頓着せず、
宛は自分ではなく彼方を、Aは彼方ではなく宛を好きでいる。
ただ、望まなければそばにいられる、というのは、
十代の女子にとってはあまりに酷だとも思う。
正直なところ無理な気がするけれど、Aには頑張ってもらいたい。

隣で騒いでいた女子のことなど忘れていたくせに、
それに彼方が関係するとなると、
途端に記憶を鮮明に掘り起こすあたり、
兄・宛おそるべし。

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