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2013.12.03 (Tue)

恋物語


恋物語
(2011/12/21)
西尾維新

助力を乞うことは存外難しい。
足りない力を認め、
頼らねばならない情けなさを飲み込み、
他人に任せる強さを持たねばならない。

助けてください、と彼女は言う。
言えるように、彼女はなった。


【More・・・】

暴力を振るってはいけない、嘘をついてはいけない。
盗んではいけない、人を傷つける言葉は慎まねばならない。
等々、子供の頃に周囲の大人から繰り返された戒め。
破ったことを咎められえるのが一番多いのは子供の自分で、
同時に、戒めに一番忠実なのもその子供の時だと思う。
大人というものは、なんてくくるつもりはないけれど、
長じるにつれてそれらの戒めを破る機会、
破って仕方ないと思ってしまう機会は重なっていく。
嘘や何らかの暴力や、あるいは卑怯をもって事態に対処し、
それで上手く目的を達成できてしまったなら、
その次からハードルはぐんと下がるし、
成功を理由にその不正は許される。自他ともから。
不吉な詐欺師の一人語りを聞きながら、
この面倒臭い男はどんな風にこんな風になったのだろうと思った。
きっと今つらつらと書いたような展開は、なかった。
嘘を正当化するどころか、自分を嘘にしてしまうような人間が、
そんな自己正当化じみた論理を受け入れるはずもない。
息をするように噓をつく詐欺師は、
無闇な噓を重ねることで、噓をつくという悪を行い続けることで、
真っ当なことを言ったりやったりする自分を煙に巻いている気がする。
もしもそうなら、噓にそれだけの重みを見出している時点で、
大人としてかなり腐っていない、などと言ったら多分罵詈雑言。

鬼と蝸牛についての物語を一つ挟んで、
いよいよラスボスと恋人たちの物語かと思ったら、
不吉極まりない男が立て板に水の如く喋り始めて、
お前に恋人たちの話ができるのかと思っていたら、
結局はとても真っ当な恋の、失恋の物語になって、
物語る人間としての資質というものは、
普段の様子からは分からないものだなあと、
神原のときと同じようなことを思った。
沖縄での自問自答の結論以外の端々からも、
貝木にとって神原というか臥煙という名が、
自分の行動に関して金の勘案を無視できる、
そうすることを自分に許している例外中の例外なのには、
失い損ねた恋の物語が関係しているようで、
この陰気な男とあの嫌なサークルの物語を読みたくなった。
臥煙さんが貝木に忠告をするのには自分の思惑の他に、
多分普通に姉をかつて想った男を慮る気持ちがあったのだと思う。
旧知の娘の窮地を手助けする動機として、
ほぼ無関係なかつての想い人の忘れ形見を持ち出す詐欺師のように、
もしかしたら臥煙さんの思惑も建前程度だったのかもしれない。
面倒くさい大人たちと櫛と鎖を地でいく子供たちに、
素直という言葉をおっぱいの大きい羽川さんに説いて欲しい。

可愛いだけの子供・千石撫子であることは、
千石にとって楽で、かつ、息苦しいものだったはずで、
囮物語」で神になったとき「私」を取り戻していたことを考えると、
貝木の前に可愛い全開で現われた撫子には、
最初からあれ?これ「撫子」だ、という違和感があったので、
貝木の調査中の驚くべき洞察力に感心しながらも、
テンション高く神様をやっているらしいあの撫子が、
彼女の望んだ、幸せな状態だと考えているなら、
直前の余接の言葉がなくても、失敗するだろうなあと思っていた。
詐欺師としての人間に対する観察眼は確かなのだろうけれど、
信じたがる人間を蔑み、常に疑えと繰り返しながら、
貝木は子供の哀れさ、あるいは愚かであれる純粋さを、
自分でも気がつかないうちに信じていたのだと思う。
今回に限って言えば撫子の魔性に飲まれたとも言えるけれど、
そもそもこの男は一般人や子供の真っ当さ、善性のようなものを、
信じるところに思考の基盤を置いているような気がする。
高校生カップルが想い合っていることを信じるからこそ、
髪と鎖の逸話に二人をなぞらえてしまうのだろうし、
思えば大いに皮肉含みとはいえ「教訓」を提示することも、
人間の伸び代を信じているがゆえと見ることができると思う。
「社会悪」を自称する男はこちらが気恥ずかしくなるくらいちゃんとしている。

阿良々木くんと付き合うようになって、
「普通」になり、「面白くない」女になったらしい戦場ヶ原さんだけど、
自分と自分の大事な人間の命を救うために、
彼女が奔走し、決意したことは、
蟹から重みを取り戻す前の彼女にはできなかったことだと思う。
あの頃の彼女が似たような状況に陥ったなら、
二人とも殺される結果になることを諦めた上で、
自分のもつ危機回避および文房具的能力だけでもって、
神と対峙することを迷いなく選んだでしょう。
一緒に死ぬことになるのがたとえ大事な父親であっても、
きっと貝木に助けを求めるような思考にはならない。
今回戦場ヶ原さんは、自分にできるところを全力でやり、
その上でその限界を見極めて、手遅れにならないうちに、
自分の気持ちを押し殺して、憎い相手に助けを求めることを選んだ。
それは確かに困難に対処する方法としてとても普通のことで、
でもその普通は彼女が過去を自分のものにして初めて、
実行できる手段として彼女の中に立ち現われた。
体を売るとかそういうことを言ってしまう部分こそ、
貝木はどうにかしてやれと阿良々木くんに対して思っているけれど、
あの頃の彼女ならコーヒーの意味さえ分からなかっただろうと思えば、
彼氏として、あの男は頑張っているような気がする。
まあ貝木の「普通」には侮蔑と同時に評価する意味もあると考えれば、
結局は助けそこなった娘の今を慮るおじさんか。

あれ、死んだ?と一瞬思ったけれど、
時系列的にこの後の花物語で神原に会っているので、
撫子による殴打も含めて「嫌な予感」が当たったということか。
300万円が治療費で消えたらご愁傷様です。

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