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2014.01.17 (Fri)

まほろ駅前狂騒曲


まほろ駅前狂騒曲
(2013/10/30)
三浦しをん

過去と現在と未来は、
一つの線上にある。
忘却をもってしても、
線を切ることは不可能だ。

けれど、その線は物差しで引くわけではない。
意思が人を過去から遠くへ運ぶだろう。


【More・・・】

「地域に根ざした」とか、「地域のために」とか、
その手の謳い文句における「地域」という言葉の価値と意味は、
「世界」や「国」ではイメージしにくい問題を、
身近な人の顔の上に落とし込むことにあるのだと思う。
思いながらもそこでの「地域」を気持ち悪く感じるのは、
その言葉によって具体的なものを思い描けない、
つまり「地域」という言葉では身近な人を思い起こせない、
私自身の言葉と経験の間のリンクの弱さのせいであって、
別に世の「地域」全てに何か忌避すべきものがあるわけではない。
「世界」や「国」がそうであるのと同じように、
結局「地域」なるものも人と人が関わりあって生活している、
その集まりのことでしかないのだから。
そのようなことをまほろ駅前を中心に展開する、
比較的明るいドタバタ劇を笑って眺めながら思った。
舞台はほぼまほろ市で、登場人物もまほろの住人で、
起こる事件もその土地に関連の深いものが多いから、
これはまほろという「地域」の物語と考えることもできるけれど、
少しも、本当に少したりともその地域性に拒否感を覚えないのは、
登場する老若男女の顔や生活が具体的に見えるからだろうと思う。
多田の仕事ぶりの確かさを確信した。

前巻が便利軒が関わった人々それぞれの話だったとすれば、
今回はオールキャスト出演の一騒動という感じで、
星と由良など、今まで面識のなかった者同士にも繋がりができ、
多田&行天とまほろの人々、という構図以外にも、
そこここで新しい関係が発生しているのを見るのが楽しかった。
まあ砂糖売りたる星と小学生なんてのは、
多田としては面識をもって欲しくなかっただろうけれど、
岡たちの暴走を目にして背後霊呼ばわりされていた裕也が、
突っ込みを介して影を濃くしていったり、
亜沙子がはるの存在をきっかけに自分の気持ちを見つめ直したり、
本人にも予期できないそういう反応や変化は、
少なくとも今回の事件の周囲で起きたそれに関しては、
何か悪い結果に結びつくようなものはないように思う。
出会いを化学反応などと表現することもあるけれども、
化学が標榜すべき再現性と予測性は、
人と人の出会いには全くあてはまるものではない。
きっと気が合うと思って紹介した人同士が火花を散らせ、
一緒にしてはいけないと思っていた者たちが親友になるようなことが、
普通に起こるのが人と人の接触なのだろうと思う。
便利屋と娼婦と、女社長と砂糖売りと、新米探偵。
便利軒の年越しの賑々しさはその象徴でしょう。

行天がおそらく両親を殺すためにまほろに戻ってきたことは、
普段の様子だけを見ていると忘れがちだけれど、
はるが来ると聞いたときの反射的な拒絶や、
多田と同級生だった頃の様子を思い出せば、
現在の自由さとはかけ離れたところで、
行天が子供時代を送ったであろうことは察せられる。
裕也や多田に過去を語るときの静かでやや病的な熱っぽさからは、
当時学校で一言も喋らなかった行天の中に、
どれほどの言葉が堆積していたのかも透けるし、
多田が考えている通り、行天はそれを忘れていないように見える。
忘れていないからこそ、恐怖しながら逃れようとする。
そこまで理解していても、多田が詳しい話を聞こうとしないのは、
過去を吐き出すことなどできないのだということを、
自身の経験を背景に知っているからなのだと思う。
過去はどう足掻いても切り離すことはできない。
現在の自分と同じ線上に、多分死ぬまで在り続ける。
思いを吐き出すことで楽になることはあったとしても、
それは精算でもなければ決別でもない。
そんな風に考えると、行天が本当に恐れているものは、
記憶そのものではなく、その同じ線上にある現在の自分なのだと思う。
そして多田が行天に示したいと願ったものは、
その線が決して単純な直線ではないのだということ。
自身の過去にも怯えながら、行天にはるを預けた日の多田に拍手を送りたい。

希望や幸福は元通りではなくても再生できるのだと、
最初にそう語ったのは行天の方だった。
にも関わらず行天が自分にその言葉を向けなかったのは、
自分はそもそも再生すべき愛も幸福も知らないと、
本人が考えていたからなのだと思うけれど、
多田や亜沙子、由良に裕也、凪子など、
自分以外の人間に対しては余すところなく、
その信条を適用して考えていたんだなあと、
デートを理由に子供をおいていこうとする多田に対して、
突っぱねる言葉を口にできない行天を見ていて思った。
愛したものを失った人間が他人に愛を囁くことや、
こじれた親子の関係をもう一度別の形に作り直すことなんかを、
望んだり、そのために努力することに、
罪悪感や怯み、照れを全く挟まずに肯定し、
そうせんとする人々の背を押そうとするのが行天で、
お節介の虫を理由に距離を置こうとする自分を巻き込んで、
彼らにずかずか踏み込んでいく居候に多田も救われてきたんだと思う。
そんな人間が無闇に子供を痛めつけるなんてことは、
多田だけでなく二年半行天に関わった人間全てにとって、
想定する必要さえないことでしょう。
行天はもっと皆にやんややんや言われたらいいと思う。

顔を見られるかもと期待したり、
気持ち悪がられないように気をつけたり。
行天にからかわれるのも仕方ない多田の中学生っぷりだった。

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