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2014.02.01 (Sat)

細菌人間


細菌人間
(2000/9)
筒井康隆

物語との距離は変化する。
内容によって、年齢によって、
また読み進むうちにも。

最後の一文字が語られた後も、
それは変化し続ける。

【More・・・】

携帯電話もネットもチャンネル権もなかった頃、
家や学校を離れた世界に触れる方法としては、
本や漫画が一番手っ取り早かった。
週刊漫画雑誌と図書館の本と少しのゲームを介して、
全くの異世界で冒険したかと思えば、
教室と接する非現実の事件に挑みもした。
主人公たちは勇気や知恵を駆使して物語を進めるけれど、
それは彼らが特別な力をもつ特別な子供だからではなく、
誰の中にも、どんな子供にもそれは秘められているのだと、
そういう描き方をする物語の方が多かった気がする。
当時の自分はそれを素直に信じてもいたし、
彼らよりも自分の方がスマートにできるとも思っていた。
そんな風に自然に考えてしまうくらいに、
物語と現実の自分を近い位相に置いて、
時には重ねてさえいたのだと思う。
年を重ねるにつれてその距離はだんだんと開いて、
どこかの時点から、物語は物語として現実から分離した。
距離の測り方としてどちらが正しいということはない。
ただ、もしも0距離で物語に接したあの頃の経験がなかったなら、
物語や現実を捉える今のやり方にはなっていなかったと思う。
少年少女のための冒険譚にそんなことを思った。

宇宙を舞台にした追跡劇や超能力少年たちの冒険に、
そこはかとない懐かしさを感じるのは、
ヤングアダルト向けの小説だからということより、
宇宙や超能力というものを軸に据えること自体に対する、
時代的な感覚が大きいんだろうと思う。
もちろん今でも様々な名前の超能力的なものをもつ少年たちが、
たくさんの媒体の物語の中で友を救出したり、
ときには健夫たちのように迫害されたりしているし、
数千万円で宇宙に行ける時代になったとはいえ、
異星人が普通に宇宙港に出入りするような未来が、
実現するかどうかも分からない可能性であることは変わっていない。
そういう意味では彼らの冒険は現代の主人公と同じなわけで、
光線銃なんかが登場した時のこの戸惑いのようなものは、
久しぶりに数十年前の漫画を読んだときのような、
言ってしまえば昭和的な匂いに対する懐かしさなんでしょう。
特別な能力といえばテレキネシスなどの超能力、
未来世界といえば宇宙を舞台にした異星人との戦争、というような、
今ではそのままの言葉遣いで正面切って使いにくい形式が、
これでもかと出てくるための大丈夫か?という心配も多分ある。
ただ平易な言葉と定番の舞台立ての中で描かれた全体を見れば、
そんな心配は無用の余計なお世話だったと思う。
オリオン星人に乗っ取られたお父さんなど怖すぎる。

夜の庭、電信柱と塀の間あるいはもしも的なボックスなどなど、
さまざまな場所に今と少しだけ違う次元の世界の扉があって、
その中の一つを通って思いがけず異次元に迷いこみ、
元の世界になんとか帰ろうと頑張る子供たち、という形を、
「W世界の少年」は忠実に行くわけだけれど、
異世界のルールが個人の望みに添っている点で、
心と世界がどちらが外ともしれない入れ子構造になっていて、
外と中を隔てる輪郭が判然としない感じが、
最後の引きに接続する時、定番なのに自然にぞっとした。
どちらの世界でも細かいエピソードがコミカルなだけに、
その仕掛けがさらに効果的になっている気がする。
その構造に気づいた主人公たちがちゃんと帰るために、
ゲートをくぐる際に「元の世界」を必死に念じる様子で、
アベノ橋魔法☆商店街」を連想してしまった後では、
下らない想像でまた異次元に飛ばされる展開を期待してしまい、
ここは本当に元の世界か?と疑う少年の恐怖感まで、
つい次のハチャメチャな世界に飛ぶための布石のように感じてしまった。
またアベノ橋…が大量のパロディだらけの作品であることも、
この懐かしい異次元ワープ的物語に妙な印象をつけてしまった。
まあそれは完全に読み手の連想の問題なのだけれども。
…もう一回アベノ橋見ようかな。

五編の主人公たちは基本的に少年少女にとって魅力的な造形だけれど、
そのうちの誰に特に惹かれるかということについては、
年代を経ることで作品の印象が変わるとかいうこととは別に、
ジャストミートの年代の中でもかなり意見が割れるところだと思う。
「細菌人間」のキヨシや「闇につげる声」の健夫が見せる、
仲間や家族を助けるために行動する真摯さに惹かれるのも分かるし、
自身の誇りを回復するために命を賭けるジャック船長や、
執念を燃やし続けて宇宙の果てまで行くヒロシの孤独、
そのアウトロー的な雰囲気に魅せられる気持ちもよく分かる。
もしも当時誌面上でこの五編に接していたならば、
多分私はジャック船長とロボの信頼関係に魅了されたと思う。
少年誌的な構造を保ったまま色々なタイプの魅力的な主人公を動かし、
物語の構造も着地点もその中に収める手腕は、
見事としか言いようのないものではあるのだけれども、
今現在の視点から見ると主人公周辺以外の人物が、
どうにも軽んじられているように見えてしまった。
たとえば主人公の恋人と同じように十二年間誘拐下にあった上で、
無残に焼死することになった二人の女性や、
世間から迫害を受ける子供たちを守ることができず、
失望させたまま出て行かれてしまった家族について、
それは少年たちの物語を濁らせるだろうと思いながらも、
何か少しでも言及して欲しいと思ってしまう。
前だけを見る主人公たちに違和感を覚える成人になった。

どの話でも悪役を仰せつかっているオリオン星人。
音が弱点で「マーズ・アタック!」を連想した。
イタチ顔だったり、粘菌状だったり、多忙な方々だった。

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