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2014.02.08 (Sat)

九月が永遠に続けば


九月が永遠に続けば
(2005/1/26)
沼田まほかる

肉体的な欲望や衝動が浅ましく、
献身や愛が純粋で尊いものであるとして、
その線を迷いなく引ける人間が、
一体どれほどいるだろう。

他者を望む特別な思いには、
原初の名前など存在しないのに。


【More・・・】

死語の世界を望むのとは全く別に、
魂のようなものの実在を願っていたことがある。
肉体が単なるその乗り物に過ぎず、
人間の本質というものが別の所に存在するなら、
少しは体の煩わしさを耐える糧になるように思っていた。
要は体にまつわる浅ましさ、特に性に関わるそれを、
精神から引きはがしたかったのだと思うし、
自分と他人の体に性的な関心を抱き始めた時分の、
関心とともに嫌悪を抱くゆえのそういう感覚は、
ありふれたものだったのだと今なら考えられる。
けれど亜沙実を見ていて当時の苦しさをまざまざと思い出した。
彼女が経験したものの惨さを思えば、
重ね合わせることさえも憚られるけれども、
体は呪いで、そこに縛られて生きることは罰なのだと、
あの頃自分の中で繰り返し唱えた言葉が、
何十倍も粘度を増して彼女の中に溜まっているのが見える気がした。
彼女には非はない。本当に何一つない。
それでも結果的に、彼女は体に留まることができなかった。
それが望みだったのだとしても、いつかは帰って来て欲しい。
体という呪いの元に生きる数多の一人としてそう思った。

母は子に縛られてそれをどうすることもできないのだと、
佐知子は確信を持って語っているけれども、
それには二つの意味で疑問を感じた。
一つは妊娠に至る経緯や父親が誰かということが、
子に対する母の思いに影響を与えないとは思えないこと。
もう一つは母と子のその分かちがたさというものが、
どの時点から有効になる得るのかということ。
その真たる部分は母を経験しない限り分からないと承知しながらも、
子を求める母親たちの乾きと生々しさが、
精神ではなく肉体の最奥からやってくるようで、
不気味なもののように感じてしまった。
ただ少なくとも亜沙実に関して言えば、
弓男の言う通り辛い過去の象徴である娘の冬子のことを、
亜沙実は佐知子や大迫と全く同質に愛していたのだと思う。
父と母の夫婦関係や文彦について悩みながらも、
冬子の中からは母に対する憎悪や嫌悪はほとんど出てこないし、
わずかな母娘のエピソードは文彦と佐知子のそれのように、
共に暮らす親子の温度が確かに感じられる。
冬子を失った後亜沙実が遠くへ行ってしまったことは、
彼女自身の過去よりも母としての喪失感が強く効いたのかもしれない。
そうであった方がこの母娘にとっては幸いだろうなどと思った。

人死にを出したこの出来事を俯瞰すれば実は構造はそう複雑ではない。
嫉妬と誤解、偶然が重なって起こった不幸な事件などと、
おそらく新聞なら整えてしまうのだろうと思う。
ただ日を追うごとに絶望的になる佐知子の語りに透ける通り、
事件、つまり犀田が転落し、冬子が命を絶ったこと、
そこに至る経緯は俯瞰した場所からでは見えない。
事件の中、関係者本人というよりは関係者にごく近い位置、
佐知子や雄一郎のような場所からではなければ、
死んだ者、傷ついた者が本当は何を見ていたのかを、
察することさえできないのだと思う。
もちろん文彦や冬子の行動の起点になる部分に、
彼らは深く関わって、原因にさえなっているのだから、
二人の人間の死に関して大人たちが無責任ではいられない。
佐知子が犀田と関係を持たなかったなら、
あらゆる所に散らばった秘密をもっと早くにどうにかしていれば、
ミチコの衝動は止められなかったとしても、
文彦や冬子の苦しみは軽減してやることができたはずだと思う。
たとえまだ何も始まっていないように見えた九月が永遠に続いても、
嘘やごまかしでやり過ごしてきた過去が、
やがていずれかの親子の関係を破綻させていた気がする。
どうしようもない結果だったなんて、そんなことは絶対にない。

文彦が失踪している間に佐知子たちが推測する事態は、
関係者が増えるに連れて着実に異様なものになっていくけれど、
たびたび描写される亜沙実のもつ人を惹きつける力なんてものは、
実際は存在しなかったのだろうと思う。
序盤あまりの俗物さに佐知子と共に苛々させられた服部さんの感覚が、
本当のところは多分一番現実を直視している。
親世代の複雑な人間関係が前提にあったとしても、
その複雑さを処理せず放置した責任がそれぞれにあって、
それはどうにかしておくべきものだったことは確かではあっても、
文彦は亜沙実に、冬子とミチコは文彦に、佐知子は犀田に、
そしておそらくかつては雄一郎は亜沙実に、確かに恋をしたのだと思う。
恋をして、相手のためを思い、報われなさに悶え、
思いが何度も反転して自身を見失ったりもしながら、
体と心から成る他者を求めたというだけだった。
全てを恋だの愛だのに換言してしまうような論法には抵抗があるけれど、
佐知子が当初犀田に感じている吸引力や、
文彦と亜沙実のやりとりの中にある焦燥のようなものは、
まさしく恋と呼ぶべき衝動の一端であるように見えた。
ミチコのしたこと、その醜さは庇いようがないけれども、
服部さんの言う通り恋に意思が無関係なのだとしたら、
醜さの下には亜沙実を思う文彦と同じものがきっとある。
彼女にもいつか戻ってきてほしい。

印象が二転三転しながら結局詳細は語られなかったけれど、
越智先生は形と結果はどうあれ、
生徒を思うことのできる先生ではあるのだと思う。
先生であることが報われる日が来たらいい。

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