2017年10月 / 09月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫11月

2014.05.04 (Sun)

妖琦庵夜話 人魚を喰らう者


妖琦庵夜話 人魚を喰らう者
(2014/4/25)
榎田ユウリ

乙女の生血を浴びた女も
アンチエイジングを信奉する人々も、
人は老い、やがて死ぬ理を、
解さないわけでは決してない。

不老も不死も目的ではなく、
おそらく手段なのだ。

その先に望むものがあるのだろう。


【More・・・】

晴天の下では未来の雨や夜のことは忘れ、
闇の中ではやがて来るはずの明るい時間を思う。
そうすることで、絶望と希望の総数をカウントしなくても、
後者が世界に在ることを信じることができるのだと思う。
本当はそんなもの誰にも数えることができないし、
できてしまったならば別の絶望が増えるだけかもしれないから、
多くの人間がお守りのように身に付けているそのやり方は、
たとえその場しのぎ的であっても理に適っているんでしょう。
伊織も鱗田も脇坂も、洗足家で卓を囲む人々はみな、
そのお守りの中身を知りながら、
それを胸に抱き続けることの効用も分かっているのだと思う。
だからこそときどき、それぞれの文脈の下で、
お守りの中身を暴き立てたくなったり、
あるいはいっそ捨て去りたくなってしまったりする。
青目は、伊織がそうする日をずっと待っていて、
その日が来ることを恐れる伊織の気持ちも分かっている。
青目と対峙する伊織を見ていて毎度毎度不安になるけれど、
誰かに裾にすがっていて貰わなければ留まれないのだと、
伊織自身が今回述懐するのを聞いて、
少なくとも洗足家に出入りする人間がお守りを捨てずにいるうちは、
この人は大丈夫なのだろうと思った。
大丈夫なのだということを主が信じられるよう、
布が伸びるくらい、皆でぎゅっと掴んでいてやればいい。

不老不死を求める人々の物語は大抵は悲劇か滑稽譚で、
本当にそれを得て、しかも幸福になりました、という話は、
今のところお目にかかったことがない。
死を恐れ、老いを厭うこと自体は人の性として肯定されるのに、
それを本当に望むこと、達成することは、
愚かで身に過ぎたことだと多くの物語は語る。
そう語られるべきことなのだということを、
いまだ妙薬の一つも見つからない現代に生きる人間は、
言語化せずとも理解しているはずで、
アンチエイジングとか何とかの様々な商品や方法は、
不老不死を望むこととは近いようで重ならないもののように思う。
青目に唆されて半ば正気を失っていても、
加南が水希の命を取ることまでしなかったのは、
そもそも彼女の望みが殺すことでも不老不死でもなく、
ただ少しばかりの時間稼ぎに過ぎなかったからで、
それは決して身に過ぎた望みではない。
どんな人間がどんな方法を選ぶにしても、
好かれたいと願って努力することは一様にみっともなくて、
でもそのみっともなさを笑うことは、
人と関わって生きるならばしてはいけないことなのだと思う。
加南の罪と渇望を引き受けてくれる人間が早く現れて欲しい。

人魚伝説と妖人としての人魚にまつわる青目の脚本は、
島という特殊な環境の利用と伊織を一人にする手管も含めて、
今までで一番手が込んでよくできていた気がする。
人魚のように脆弱さという形で妖人の特性をもつ者たちが、
サトリや憑き神の類とはまた別の形で、
長くコミュニティの中の異物であったのならば、
一見あっけらかんと網元と関係をもった圭子の行いは、
かつてその先祖たちが選んだ在り方と同じなのかもしれない。
でも母たる彼女はおそらく、血の特性を飲み込んだ上で、
彼女自身の人生の選択として、そう在ったのだと思う。
濡女子である女性が必ずしも調停者になるわけでなく、
犬神だから良い従者であるわけでもないように、
それぞれの生来の特性の上に選択される人生が、
その特性の形を反映しないことはごく普通にあるし、
逆に特性に強く依存するような形も同様にあるけれど、
どちらにしてもある個人の人生は先祖の末端でありつつも、
橋から端まで、下から上まで、それはもう全方位的に、
個人の中に収まっているものなのだと思う。
生来の脆弱さと強靭さはどちらも人の人生を規定し得る。
でもそれらが人の一生全部を決定することは滅多にない。
海から離れながら海を忘れずに生きた30年余りは、
人魚の息子にとってどんな時間だったんだろう。

指1本と水希の安否を天秤にかけて、
伊織は指を惜しむことができなかったわけだけれど、
ない指には慣れても見知らぬ少女の死には慣れられないだろうと、
ほとんど考えることなく思う男は、
青目が指摘する通り、また本人の自覚以上にも、
他者の痛みを見過ごすことができない性質なのだろうと思う。
青目が執拗にそういうものを餌に選ぶのは、
そういう餌でもって引き寄せられた伊織が、
人への絶望のうちにお守りを手放すことこそが望みだからなのか。
もしも脇坂と鱗田が間に合わなかったなら、
伊織は水希に対する呵責と引き換えに指1本を失っただけでなく、
失った指の痛みの中に常に青目を見ることになり、
そこを結び目として青目は伊織を引き寄せたんでしょう。
そこまで含めて、良く出来た脚本と配役だったけれど、
人の負の感情を増幅させることにかけては天下一品な青目は、
正の方向の人の変化に関しては、読むのが不得手なのかもしれない。
脇坂の成長や、洋や加南の望みを、青目が読み切れなかったがゆえに、
あのタイミングの横槍で伊織は指を失わずに済み、
洋は三人目を殺すに至らなかった。
だんだんと伊織をかけての綱引きの構図になってきた中で、
洗足家の団欒をずっと見ていたい人間としては、脇坂の変化が心強い。
新しい下僕の犬とは仲良く出来なさそうだけど、精進して頂こう。

お雑煮もおでんもお汁粉も、
美味しければどんなでも良いと私も思う。
しかしちくわぶは認めない。

スポンサーサイト

テーマ : 読書感想 - ジャンル : 本・雑誌


10:20  |  榎田ユウリ  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

コメントを投稿する


 管理者だけに表示  (非公開コメント投稿可能)

▲PageTop

Trackback

この記事のトラックバックURL

→http://acon6960.blog40.fc2.com/tb.php/572-26d139f3

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック

▲PageTop

 | BLOGTOP |