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2014.05.28 (Wed)

肉食屋敷


肉食屋敷
(1998/11)
小林泰三

私が私であること。
あなたがあなたであること。
証明する方法はどこにある。

心と身体を束ねる紐は、
誰のそれもひどく脆弱なのに。


【More・・・】

生物の教科書の最初の方にでてくるような、
ごく簡単な生態系の模式図において、
人間を含む動物全てが「消費者」なのだと初めて知ったとき、
生物がなす系の無駄のなさに感心しながらも、
自分の肉体がひどく無駄なもののように感じた。
肉食・草食その他の食性の特徴に関係なく、
他の生物を食べずには生きられないけれども、
食べられ、消化分解されることで、
ただの化合物や元素に戻り系に参加するのが、
消費者たる生物の生命であるなら、
吸血や寄生による部分的な搾取や致命的な事故を除いて、
食べられる、ということが基本的になく、
さらには文化としての火葬によって、
系に換えることを先延ばしにする身体の重さは、
生きている間に食べたものに釣り合わないような気がした。
そんなことを考えていて、今も少しそう思っているがために、
「ジャンク」で描かれる悪趣味で血と脂に満ちた世界は、
「生産者」には決してなれない人間でも、
資源になれるという意味で、理想的に見えた。
ただそれは結局人間の営みの中で消費される資源に過ぎず、
生態系への帰還という点ではむしろ遅くなっているので、
あちらを立てればこちらが立たずだなあと思う。
そういう話ではないことは重々承知している。

活字を通して血の臭いをかぎたくなったときに選ぶ作家の一人が、
玩具修理者」や「人獣細工」の小林泰三さんで、
今回もその例に漏れず血なまぐさそうなタイトルを探し、
結果として腹一杯血なまぐさくなった。
もう少し苦痛的な意味でスプラッタでも良かったけれど、
状況の吐き気を催すような酷さが高配合だったので、
全体としては欲求は十二分に満たされた。
血の濃度から言えば「ジャンク」が群を抜いていた。
生者と死者、自分と他人という二つの境目が、
物理的な接合によって溶けてしまっているようで、
けれどもはっきりと線が存在する世界観も合わせて、
四篇の中で一番気持ち良く読んだ。
人造馬の頭にCPUが入っていないという描写が出た時点で、
頭が頭ではないという可能性が頭に入ったので、
彼と彼女の現在の関係については予想が立ち、
話の仕掛けとしては驚きはなかったけれど、
人間を資源にするのが単なるヒャッハーな近未来ではなく、
妙な具合に解体という形の医療技術が発達し、
その上で西部劇的な荒廃がある世界だというのも、
ほどよく血と脂を乾燥させて肌触りを軽くしてくれたように思う。
美味しく不健康で、癖になる、まさにジャンクな一篇だった。

怪物による入れ替わりや多重人格など手法は様々ながら、
語られるものが語り手にとってしかそれそのものではない、
あるいは語り手自身ももはやその人ではないという点が、
四篇に共通していると見れば、
書き手ではなく「語り手」の言葉をどの程度信頼するか、
悪く言えば鵜呑みにするかどうかが、
四篇の物語構造自体を楽しめるかどうかを決めているのかもしれない。
苦痛によって語り手の知覚が歪みがち、
つまりは認識の自他のずれが大きくなりがちな世界観に浸るときには、
語り手の言葉や認識に対する信頼など、
端からほぼ持っていないような読み手的に言うと、
その意味ではどの話の構造もやや拍子抜けに感じた。
語り手と現実には乖離があるかもしれないと言う前提で見れば、
そこかしこに配置された彼らの認識の綻びは自然と目について、
ああこの人はもう、というところまで容易に辿り着いてしまう。
壊れた世界をそうと知りながら見ることは、
現実には決してできないことだと考えれば、
認識などという問題のさらに先にまで行ってしまっている、
「妻への・・・」の語り手の世界などは興味津々での同行もありか。
それにしてももう少し綻びに覆いが必要だとは思う。
語り手たちの精神の変態が混じり気ない喜劇に思えては、
折角の血の臭いも薄れてしまう。

書き手があとがきで述べているように、
確かに多重人格はミステリのオチとして使われることがある。
記憶の有無、言動や嗜好性のブレ、目撃証言との齟齬など、
事件の肝であり、ネックともなる部分のいくつかが、
この病気の症状で簡単に説明できてしまうことと、
いまだ病気なのかどうかが結論が出ないことで、
オカルト的な側面ももっていることの両方が、
ミステリに使われやすい理由なのだろうと思う。
「獣の記憶」は最初から語り手が多重人格であるという前提があり、
その点では多重人格ものとしてはおそらく例が少ない。
もう一人の語り手である彼女がこれも最初から、
彼の症状の一般的な多重人格と異なる点を挙げることで、
「彼とは別の一人」がどこにいるのかという点に注目が行き、
オチが多重人格に近いようなところに落ち着いても、
その唐突さが病気の原因に関する彼の思考と合致して、
世界がぐにゃりと歪むような感覚を呼ぶような構造になっている。
などと改めて分析してみると、前項でうだうだ書いたことは、
完全に書き手の思惑の中のことのような気になり、
踊らされたのか、と思えば愉快な気分にもなった。
どんな形であれ、乗せられる、というのは物語の醍醐味だと思う。

物質としての「人間」で回る世界は悪趣味だけれども、
握らずとも握ってくれるらしい「骨刀」だけは、
なんとも愛らしかった。

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