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2014.06.30 (Mon)

若者はみな悲しい


若者はみな悲しい
(2008/12/9)
F.スコット.フィッツジェラルド

現実の季節の移ろいは、
人間が関知し得る事象ではない。
春も夏も、氷期の到来も止められない。

けれど人生ならば、それができる。
ゆく春を止めるのは難しくても、
次の春は始めることはできるのだ。

今日から春だと叫べばいい。


【More・・・】

気候的な意味での季節は巡くるものだけれど、
人生におけるそれに同じ季節は二度とない。
いや、気候的に言っても同じ季節などなくて、
ただ似たような気温やら天候のまとまりを指して、
過ぎた時期と同じカテゴリに入れているだけなので、
その意味では二つの季節に相違はないのかもしれない。
ただ、だとしても気候ほどには、
人生の「春」や「夏」の再来を確信することはできないだろうと思う。
きらめくようなその季節は永遠のような顔でやってきて、
ある一日の、ある瞬間の、ある言葉一つでふいに終わり、
そうして本当に永遠の彼方に去ってしまう。
生きていればいくらでもあるそういう季節の変化、
そのいくつ目かで人は大人になっったり母になったり、
あるいは名前の付け難い別の段階に進むのだとしたら、
各短編の主人公たちが経験した苦味や虚脱は、
一つの季節が終わったことに気づいた瞬間の悲しみでもあり、
新しい段階に行くための踏み切り板でもあるのだと思う。
梅雨入りや立冬を教えてくれるお天気お姉さんはいないから、
季節の終わりは自分で気がつくしかない。
それはなかなかに心を削る仕事だけれど、
新しい「春」の到来も自分で宣言してしまえるのだから、
人生はまったく上手く出来ている。
どの主人公たちもそんな風に思える日が来ると良い。

人生的な季節の節目となりやすい事件としては、
恋に結婚、離婚など伴侶に関するものが多く数えられると思う。
誓いを結び合った相手に限らず、
誰と共にいるのかということは、季節を彩る重要な要素で、
その誰かがもうそこにいないこと一つで、
春は以前とは違う春になるし、同じ家も違って見える。
「お坊ちゃん」「冬の夢」『「常識」』はそれぞれ状況は違えど、
男たちが突きつけられ、あるいは静かに受け入れることは、
同じ、愛した女がもういない、ということなんでしょう。
死んでしまったわけでも、もう会えないわけでもないけれど、
かつて自分が愛した人間、より厳密に言うならば、
自分と相手の間、自分の中にあるはずの愛が、
消え去っていると気づくことで、彼らは女たちを過去にしたように見えた。
などと描くとまるで男たちが身勝手に女を捨てたかのようだけれど、
三篇はいずれもどちらかと言えば逆の状況で、
多分女からすれば男たちはすでに過去の人だったのだと思う。
アンソンにとっては愛を確かめたはずの夜が、
おそらくポーラにとっては終わりを確信する夜だったように、
恋やら愛の終わりが向き合う二人に同時に訪れることは、
珍しいことなのかもしれない。
それにしても先に終わりを悟るのがいつも女というのは、
何か書き手のこだわる所を感じなくもない。

前述の三篇が季節の終わりの話だとすれば、
「調停人」「温血と冷血」「グレッチェンのひと眠り」、
無理にくくりに入れるなら「子どもパーティ」も、
新しい段階に入るその手前と一歩目、
特に本人のとって明るい季節への一歩を描いているのだと思う。
恋が終わったり、誰かと新しく出会ったりというような、
分かりやすい境目はないけれども、
行き止まりにいるように見えた人々が、
そこから抜ける瞬間の情景はなんということもないのに劇的で、
開けた草原に駆け出していく姿さえ思い浮かんだ。
だからと言って彼らのその先に必ずしも、
華々しい何かが待っているということはない。
ジムは妻に小言を言われまくることになるだろうし、
ルエラは青春の熱や若さの輝きを失っている。
それでも、彼らの新しい季節はそれ以前よりも、
確実に温かく、穏やかなものになっていくことが容易に想像できる。
1920年代の夫婦観は現代からはやや遠いけれども、
ロジャーがグレッチェンを、チャールズがルエラを大事に思っていることは、
その辛い季節の言動の端々に現われていて、
それを各々が気がつけるようになることが、
特別な事件なしに季節を次に進められた一つの要因なのだとしたら、
人生の季節は巡るものでも来るものでもなく、
呼び寄せるものと言うことができるかもしれない。

「ラッグズ・マーティン・・・」における一夜の舞台も、
彼女の人生に印象強く残る出来事だろうし、
男や愛に関する見方の転機にもなるかもしれないけれど、
人生の季節の変わり目という風に見るならば、
ジョンが仕組んだこれは彼女の夏を真夏にしたような、
いわば季節をより高みに導く足がかりだったような気がする。
お金も若さも美貌ももつラッグズが異性を見る目も得て、
これからどんな風に変わっていくのかはまだ分からない。
ただ、洒落っ気もサプライズを受け入れる鷹揚さも、
物怖じせずはっきりと物を言う度胸さえももつ彼女なら、
上流階級でも、下町でもきゃんきゃんと騒がしく、
人を惹きつけながら生きていけるような気がする。
多分ジョンが見下されて歯牙にもかけられなくても、
手間も人もお金もかかる一舞台を用意したのは、
ラッグズのそういう気質に惹かれているからなんでしょう。
そこらの男なんて、という態度でいながら、
王子と聞いて全力で自分に磨きをかけるあたり、
なんとも素直で女子らしくて可愛かった。
しかしポロポーズでこれだけの大仕掛けをして、
人生で二番目にどきどきさせてしまったなら、
ジョンは結婚後に苦労しそうだなあとも思う。
まあ「調停人」のような変化が妻に訪れないとも言えないので、
それまで精精日々のドラマチックな演出を頑張ってもらいましょう。

信仰のあるなしによる世界の見え方の変化というやつは、
いまいち実感をもてない感覚だったけれど、
告解室のあちら側の仕事はまず務まらないなと思った「赦免」だった。

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