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2014.07.09 (Wed)

オーブランの少女


オーブランの少女
(2013/10/22)
深緑野分

そこが檻の中であることも、
外の世界へ行くには代償が要ることも、
彼女たちは知っている。

その上で、少女たちは、笑う。
少女であるという最初の檻を、
細い指でなぞって。

【More・・・】

閉じ込められる、という経験は、
程度の差こそあれ大体の人間はもっていると思う。
押入れに、エレベーターに、学校に、家族に、
見えたり見えなかったりする壁によって、
人は行動を制限され、そこから出ようとすれば代償を要求される。
庭園の少女も、高女の乙女たちも、氷の国の人々も、
狭い場所に閉じ込められ、囚われているように見えた。
実在の壁などありはしないにも関わらず、
外の世界を望んだだけで、今の全てを失いかねないような、
そういう危ない閉鎖系の中で彼らは生活している。
その殺伐と壁の無慈悲はエレベーターの比ではなく、
脱出に失敗した者たちの最期の無残さには目を覆いたくなる。
ただ、閉じた環境の中で日々を過ごす彼女たちを見たとき、
私と彼女たちとの違いは脱出に要求される代償の大きさ、
ただそれだけなのかもしれないと思った。
彼女たちは閉じ込められていることを知っていて、
それが賭けるものさえ賭ければ挑むことができる壁だとも分かっている。
その上で、現在の平穏と生活を守るために、
いつか全てを粉砕しかねない危険を抱えたまま日々を過ごす。
それは何かとても身に覚えのある逃避の姿で、
「その日」に際し惑い怒り悲嘆に暮れる人々の中に、
あるいは断頭台を見守る観覧席のどこかに自分がいる気さえしながら、
荒れ狂う外界へ、手を繋いで駆け出す少女たちを見送った。

病んだ少女たちを閉じ込めるオーブランの庭は、
その狭さと美しに陰惨の予感を最初から孕んでいて、
終着点である姉妹の死亡に至る事件がいつ起こるのかと、
微笑ましい情景が描かれるたびに落ち着かなかったけれど、
起こった事件とその背景、少女たちの末路を追ううちに、
庭は少女たちの待避所であるだけではなかったのだと思った。
そこは多分庭を運営する人々や働く大人にとっても、
最後の希望、希望を繋げるための防衛線だったんでしょう。
か弱い子供たちを外界の脅威から守るために隔離し、
それができると証明し続けることで、
国の将来に明るいものを見ようと彼らはしていたんだと思う。
だからいよいよそれが難しく、つまりは希望を抱き続けられなくなったとき、
子供を逃がすことを考慮する段階はすでにすぎてしまっていた。
ある者は逃げ、ある者は脅威におもねる流れの中で、
ヴィオレット先生は少女たちを殺すことを選んだわけで、
殺し方や妹だけを思う気持ちは狂人のそれなのだろうけれど、
多分逃げ去った人々よりも、先生は彼女たちを個別の存在として、
それぞれが異なる人格と将来をもち得る存在なのだと、
希望を写し見るだけでなく、ちゃんと認めていた気がした。
枯れ落ちるのではなく、無残に殺される未来を確信したから、
庭の中で摘んでしまうという形で情をかけ、
誰と誰が仲がよくて、誰が何を好きで嫌いで、
そういうことを知っていたからこそ殺す方法を様々に考えた。
そこまで思いながら、彼女たちの生きる道を信じられなかった先生も、
庭に囚われ、外の世界にくびきを嵌められた一人だったのだと思う。
マルグリットが微笑みの先で誰を思ったのか。
終わるべき庭の終わりが、あまりに悲しい。

サナトリウムのように明確な線引きはない一方で、
雪と氷の国の城に住む少女たちも、
いや、国民全体が危険な檻の中にいて、
仮初の平穏さえ覚束ないあたり状況はさらに深刻なんだけれど、
ヘイザルが危機感に後押しされて出立を決意したように、
日常的に行われる理不尽な処刑などの目に見える危険の分だけ、
人々が閉鎖の外に手を伸ばすことは可能でもあったんだろうと思う。
実際暇乞いは認められ、皇女が檻として立ち塞がらなければ、
二組の父娘の脱出は成功していた気がする。
ただだからと言って皇女さえいなければ、という話ではこれはない。
皇女が皇子を殺したのはヘイザルを手放さないためでもあり、
同時に、国を離れないための策略だったという母親の見立ては、
多分正鵠を得ているのだろうと思う。
血生臭い都がエルダとアンニにとって檻だったように、
皇女にとってそれは自分を保つために必要な外殻だったように見えた。
花園の少女たちには外に向かわざるを得ない事件が起きたけれど、
生まれたときから国を自己の中に取り込んだ、
というより臣民も含めた国自体を自分のようにして育った彼女にとっては、
どこか別の国に嫁に出ることなど考えられなかったんだと思う。
檻と癒着してしまった少女、なんて風に彼女を捉えるなら、
国の没落とともに衰えていった皇女の心中が少し見えるような気がした。
あの処刑の日、皇女は母に、ヘイザル、二人の娘に、民衆と、
次々と国の、つまりは自己の内部のままならないものを突きつけられ、
ヘイザルを失うこと以上に、大きな痛手を被った。
娘を解放できる何かを、皇后が持てていたら、などと考えてしまう。

などと、表題作と「氷の皇国」のひりつく痛々しさと、
「片想い」の岩様のような突進力、思いがけない大胆さ、
その両方がそれぞれ少女というものの魅力だなあと思いながら、
少女の形をしながら、すでにそこから脱け出しつつあるような、
華奢な体に見合わない心を持て余すような姿にも、
何か落ち着かない気持ちにさせられる。
純粋で美しい幼子に惹かれる町医者の気持ちも、
法に触れない範囲で分からなくはないけれども、
去っていくアミラが見せる、体に不釣合いな覚悟のようなものは
不倫と復讐に昂ぶって軽率な行動をするお嬢様には、
とても想像の及ばないものを含んでいるようで、
見事な町医者の嵌められっぷりは置いておいて、
彼女の過去と妹と共にゆくこれからを見たくなった。
少女である、というだけで侮られる彼女たちの中に、
侮る者たちの想像を完全に外れたものがあることを思い知ると、
すでに定食屋の親父さんと同じ想像しかできなくなった身でも、
清々しい気持ちになるのは不思議なものだと思うけれど、
「大雨とトマト」の少女が名刺を破り捨てる様にすっとした。
乙女の楽園などと言われるものの不可侵は、
何も彼女たちが清らかで愚かゆえに守られるのではなく、
そもそも全ての少女の心には何者の侵入も許さない聖域が
確固としてあるのだ、などと想像するとロマンが溢れる。
トマトの少女とアミラの庭を覗いてみたい。

話には少しだけ聞いていたけれど、
女学生同士のエスの関係というやつは、
もうそれだけで白米おかわりくださいな気持ちになる。

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