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2014.08.01 (Fri)

完全なる首長竜の日


完全なる首長竜の日
(2012/1/13)
乾緑郎

生きている限り、傷は癒えようとする。
生き続けるのに不都合だから、
それ以上痛まぬよう、血を失わぬよう、
かさぶたを張り、皮膚を歪めて覆いする。

その下で何が起きているのか、
夢の中でいいから、教えてほしい。


【More・・・】

夢をほとんど見ない人もいるらしいけれども、
ほぼ毎日なにかしらの夢のあとに目覚める人間としては、
睡眠中に出かけるあの世界が、
連続性を欠き、理がやや異なるという点を除けば、
現実とそう変わらない感触で存在しているのだろうという思いが、、
あちらが本当の世界なんだと言われたなら、
そうかとすんなり納得できてしまうほどに確かにある。
多分どの世界が本当かということは、
人間にも蝶にも、どんな存在にも断じることはできない。
身体的な感覚の有無は何の証左にもならないでしょう。
そもそも感覚でしか、人は世界を認識することができないし、
物質の実在も感覚のフィルターの前では、
平等に重みを失くして情報になってしまうのだから。
夢か現か、は境界が分かりにくいのではなく、
本来的にはその二項自体存在しないのだと思う。
深い眠りの中にある人々との交信の場は、
現と同じだけの意味を両者にもたらすだけの、
ただの夢なのだと、和さんが思えたなら良かったのに。

長くやってきた仕事の後片付けをしながら、
若者の成長を見守り後押しすること、
眠り続ける弟と思い出の中で会い、時を繰り返すこと、
和さんの日々はその二つだけで構成されている。
それは明るく楽しい、花盛りの日々ではないけれども、
漫画は確かなファンを得て、世界に影響力をもてているし、
永遠に意思を交わすことができないはずだった弟とも、
心の深い場所での会話を定期的にできているわけで、
最高ではなくても、決して最低ではない、
それはどちらかといえば年齢的には理想に近い生活なのだと思う。
でもそれが理想的であればあるほど、自宅と病院という二つの場は、
弟と言葉を交わす、あの美しく鮮やかに痛々しい思い出の場面のように、
読みながら、だんだんと書割の一枚のように見えてきて、
一度そんな風に見えてしまえば、
繰り返される磯の光景や、その後の両親のエピソードと合わせて、
和さんがいるのが本当はどこなのか、
彼女自身が気づく前に、察することはそう難しくない。
ただもうその現実が彼女の理想を反映した書割なのだと気づいたが最後、
相応に大人になり、弁えを身につけながらも、
杉山さんの一言に浮き立ったり、若者たちの未来に嫉妬したりする、
彼女の一喜一憂と、心なき登場人物の言葉の全てが、悲しくてやりきれなかった。

SCインターフェイス自体、現時点では夢の機械なわけだけれど、
その機械で浮き彫りになる、人の意識は「どこ」に在るのか、という問題と、
誰が心ある者で、意思ある言葉を話すその人は本当は誰なのか、という問題を
少しずつ綻んでいく彼女の世界を一緒に歩きながら追いかけていて、
意思ある者が知覚している世界は一つの例外なく全て、
和さんのそれと同じなのだと改めて思った。
相原さんは専門家として断定しているけれども、
沢野や真希ちゃんに意思と呼べるものがあったのかどうかは、
他者である限り、本当は確かめる術はない。いや、あるのか。
少なくともそれが肉体と意思が完全にリンクした存在なのかどうかは、
こめかみに銃弾を一発、あるいはベランダから身を翻せばはっきりする。
死の理を無視したならば、ここは肉体から離れた世界で、
それは意思なき者か、あるいは他人の顔で話す卑怯者だと確定する。
でもそれは、その瞬間のことを覚えていられればの話で、
和さんがそうだったように、自分の肉体のことを忘れてしまえば、
世界はたやすく一個人の中で複製され、広がっていくんでしょう。
記憶や知覚を改竄するのは無味乾燥の人工的システムではなく、
生者に当たり前に備わった仕組みだという部分に、
一度今触れている現実を疑ってしまった人間の絶望があるのだと思う。
生きている限り、世界に対する疑いが晴れることはなく、
由多加少年のような存在が死の優しい断絶さえ否定する。
プレシオサウルスの迎えはいつくるのだろう。

自殺の原因は、トリガーという意味ならば、他人にも推測できる。
由多加少年の場合はいじめであり、
和さんの場合なら、手痛い失恋だったのだと言ってしまえる。
でも、それはあくまで最後の一押しになったかもしれない事柄で、
ベランダの扉を開け、柵を乗り越えるまで、そこに歩み出すまでに、
何と何と何が彼らの生きる意思を削いでいったのかは、
他者には、多分どこまで行っても知ることができない。
眠りの中の世界の和さんは弟を失ったことを忘れているけれど、
本当の彼女は20年以上に渡り、その喪失を抱えて生きてきたわけで、
それだけの年月のうちに弟の死やその後の両親の離婚は、
彼女の中で収まるべきところを得ていたはず。
少なくとも誠実な仕事をし、母への孝行を計画する彼女から、
20年も前の弟の手の感触が致命的な傷のままなのだと知ることは、
当時彼女のそばにいた誰にも察することはできなかったと思う。
でも、夢の中の彼女は弟の死を受け入れられずに、
生かした上で、原因不明の自殺という形の人生を与え、
さらには、磯の光景を罰のように繰り返して自分に見せ続けていた。
人の心の傷が治癒していく速さ、その治り跡のひきつれ方は、
本人にとってさえ思いがけないものになることがあって、
肉体の存在を忘れてしまった彼らが作る「現実」は、
その傷跡の上に紙を敷いて鉛筆でこすったようなものなのか。
目覚めた和さんは杉山さんのことも弟のことも自覚して、
傷を受け入れ始めているように見えた。
あの「現実」がただの望むままの夢ではなく、
彼女自身による彼女のためのカウンセリングだったなら、
夢の終わりは救いなのだと思っていいのだと思う。
撃鉄を下ろした後に、せめて一度は夢が終わることを願っている。

息子が他人の夢の中を放浪しているなんて、
確かに泰子さんにとっては残酷なことだろうけれど、
由多加少年は、どこかで母に会うために、
人の夢の中をさ迷っているように見えた。

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