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2014.08.05 (Tue)

短歌ください その二


短歌ください その二
(2014/3/20)
穂村弘

言葉には力がある。
そのたった一文字一声で、
掬えるものは存在する。
だというのに、三十一文字もの器、
一体何が不足だというのか。

詩人にとって、読み手にとって。


【More・・・】

幸福、という言葉で最初に思い浮かぶものはなんだろう。
幸福とは何か、というような、哲学的な堅い話ではなく、
単純に、最初にイメージされる情景や物は?という問いとして、
街行く背広の人や眠そうな小学生、昨日の私に、
尋ねたなら多分全く違う答えが返ってくる。
食べ物、愛する誰か、眠りに落ちる瞬間、
もしかしたら特別な理由なしに、
流れる血を思い浮かべる人もいるかもしれない。
外側や穏やかな水上からは見えないけれど、
表層のすぐ下あたりに浮き沈み漂っている数多のそういうイメージ、
問いのような波が立って初めて触れるようになるそれを、
集めて、整理して、言葉の箱に入れたものが詩なのだとしたら、
「短歌ください」は「テーマ」でもって波を立て、
各々が浮き上がってきたイメージを31文字で掬って、
穂村さんの手で並べた標本箱のようなものなのだと思う。
歌うことや詠むことを生活にはしていない人々の詩は、
言葉の使い方の巧拙は多少あっても、
歌人や詩人のそれよりもずっと心の中の浮遊物そのものに近い気がする。
漂っているとはいえ核から剥離したものだったりもするから、
直接他人の心に触れるような生々しさがあり、
それでも所詮は浮遊物だから、社会や他者にとっては無意味な欠片も多いし、
31文字では読み手の姿を具体的に思い描くことも難しい。
その距離がとても心地良くて、一粒ずつ撫でるように読んだ。
美しく怖く、手触りの良い標本箱が一箱増えました。

数首に一首くらいの割合で気になる歌が出てくる中から、
一冊目と同じく怖い歌という観点で選ぶなら、
『ああむこう側にいるのかこの蝿はこちら側なら殺せるのにな』(木下龍也)
が直感的に寒くなる一首で、
『カーテンのチェックの柄の法則を見破るだけで終わった日など』(たかだま)
が何度か噛んでから、じわりとくる一首だった。
穂村さんも書いているように前者の怖さは、
蝿を殺す必要性についての思考が欠落して、
殺す必要のないむこう側の蝿を殺したいと思っている点で、
ああと感嘆までつけながら低い温度でそんなことを思っている人間は、
ごく静かに異常の域に入りつつあるんだろうと思う。
つまりはむこう側の蝿を殺したいと自分が思ったとき、
それは狂気の始まりなのだけれど、
狂気がこんな温度で始まるなら、気づくことなどできない。
精精がむこう側の蝿を殺そうと窓を開けないよう祈るだけ。
そんな思考まで容易に行ける、触れる怖さが前者にはある。
対して後者はそういう筋道立てた怖さの理解が難しい気がする。
無為な一日をそのまま詠んだ歌と見るならば、
くすりと笑うくらいが詠み手の意図であるのかもしれない。
でも、カーテンのチェック柄の法則で本当に一日が過ぎたなら、
それはむこう側の蝿への殺意と同じく、狂気に類する行為だと思うし、
何より歌は最後に「など」と言う。そういう日が束ねるほどあるのだと。
チェック柄の法則の日を過ごすあなたの日々はどんななのですか。

恋や愛に関する歌と買いてしまうと、
「好き!」「可愛い!」「世界一だぜ」「愛してる・・・」のような、
要するに昂ぶりを詠んだ歌をついイメージしてしまうけれど、
『「こんなこと皆に知れたら怒られちゃう」みたいなことをされているらし』(玉屋ともみ)
のような冷めた言葉でも間違いなく恋の歌だし、
『聞いたことない花の名をあたしの名よりもはっきり言い切った母』(泡凪伊良佳)
にしても中心は愛情に関することなのだと思う。
『されているらし』という他人事のような距離で思うのに、
『皆に知れたら怒られちゃう』『こんなこと』を許し、
相手の昂ぶりに調子を合わせてさえあげているのだから、
『こんなこと』をしている二人、いや正確には少なくとも詠み手の側には、
相手に対する慈しみの感情があるのだと分かる。
つまりは低温を装った、愛を発見する歌なのだと思う。
はっきりと発音された花の名に嫉妬したときに、
母の娘としての、母にとって重要な立ち位置を、
それだけのことで脅かされたように感じた自分に、
彼女が気がついたのだとしたら、
自分の他者への感情に気づき認めるという点で二つの歌は似ている。
「好き!」という歌が昂ぶる心を頂点で切り取ったものだとしたら、
こういう低温の、ときには0度以下の愛の歌は、
ぽこりぽこりと湧く水中の水源に触れた感触を詠んだもの、
なんていう風に見れば、どんな愛の歌も温かい。

怖い歌、愛の歌、ときて他の気になる歌を無理にまとめるなら、
発想にやられる歌、といったところだろうか。
『午前2時裸で便座を感じてる 明日でイエスは2010才』(直)
『むこうからやってくるのは馬だろうブルース・ウィリスではないだろう』(木下龍也)
『アラビア語実用会話例に「このライフル銃はあなたのですか?」』(岡野大輔)
聖夜、遠近、常識とは、についての歌という感じに、
中心となる要素を言い表してしまうこともできるけれど、
これらの歌に唸らせられるところはもちろんそこではない。
裸で便座でイエスとか、むこうからブルース・ウィリスとか、
そういうイメージが先行して歌の形になるのか、
あるいは聖夜などのテーマからの発想なのかは、
詠み手に聞いてみないと分からない。
ただいずれにしても、便座からイエスへ、馬からブルースへ、
実用からライフル銃へという飛躍には驚嘆し、次いで賞賛したくなった。
特に上二編はどちらも、便座に裸?と思わせておいて、イエス、
むこうから馬?と思わせておいて、ブルース、って何だそれ、
という二段階の飛躍で構成されていて、
31文字に発想と仕掛けと、情景を具体的に描けるだけの情報を、
まったく上手く入れ込むものだと思う。
それにしても一冊目のリオデジャネイロといい、
私は横文字というかふいに具体名を出る歌が好きなのかもしれない。
気になった歌の箇所をぱらぱらと見返すと、
「トンがリコーン」だの「アリス」だのがまた見えた。発見だった。

無類の冷やし中華好きとしては、
そんな知らせは悲しいので聞きたくないと思った。
『こおろぎは鳴いているけど冷やし中華やめましたとは誰も言わない』(太田槙子)
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