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2014.12.13 (Sat)

幽霊たち


幽霊たち
(1995/3/1)
ポール・オースター

通りの向こうの男を見張り、
週に一回報告書を書く。
それが彼の仕事。
いつ終わるとも知れない日々。

幽霊だけが窓の下を通り過ぎる。


【More・・・】

何もしたくないと思う日はままあるし、
今日は何もしなかったなあという休日もあるけれど、
その何もしないという状態に長く留めおかれたことは、
思えばほとんどないような気がする。
仕事を引き受けたために、ブルーが嵌り込んだ状況、
見ることと思うこと以外何もすることがない、という状態は、
その時間内の不自由さ的には退屈な授業や会議が近いだろうけれど、
それらはどんなに長くても一日も続かないし、
他者が関係している分だけ「何か」する機会は増える。
授業にも会議にも終了の時は明確にやってきて、
その後にはアフターファイブが待っている。
しかしブルーには出勤時間もない代わりにアフターファイブもない。
仕事の成果である報告書には報酬が支払われるものの、
なんのために、いつまで、どんな風に、のいずれにも、
一切の回答は返ってくることがない。
そんな状態で1年以上一人の男を見張り続けて、
それを始める以前と同じ精神でいられる人間は多分いない。
見張りながらとにかく考えるブルーが徐々に変わっていくのを見ていて、
考えることはなんて危険なんだろうと思うと同時に、
それはつまり考える「だけ」のことがもつ可能性でもあるのか気づいた。
人間はどんな時も考えずにはいられないけれども、
考えるだけにされたら、その形を保ってはいれないのかもしれない。
ブルーが仕事をさっさと放り出せる人間だったなら良かったのに。

ホワイトの依頼で探偵ブルーがブラックを見張る。
物語の最終盤まで、表面上それ以上のことは何も起きない。
ブルーは見張り、報告書を書き、報酬を受け取る。
ブラックは本を読み、書き物をし、時々散歩する。
本当にそれしかないまま1年以上が過ぎるのに、
この緊迫感は何なのだろうと読みながらずっと思っていた。
何かが起こる前の期待や不安とは少し違うような、
むしろ何かがすでに起こっていてしかも進行中なのに、
終着点までそれに気づくこともまして関わることもできないような、
そういうもどかしい落ち着かなさが終始漂っている気がして、
なかなか観察者としての一線を超えようとしないブルーに対して、
さっさとブラックに接触するなり、やり方を変えるなりしてくれと、
ブルーの思考の変化を感じるたびに思っていた。
それは観察者を観察することに退屈したからでは決してなく、
快活で仕事熱心で、楽天的でわりと俗物の感があった人間が、
暇に飽かせて思考の迷路の暗がりをどんどん掘り進んで、
そういう人間が到達するはずのなかった場所に向かっていく姿に、
たまらなく自分自身の不安を掻き立てられたから。
ブルーは日一日と着実に追い込まれていったけれど、
この一件から降りるチャンスがなかったわけではない。
ブラウン氏から返信が来たとき、元恋人に罵倒されたとき、
あるいは郵便局で仮面の男と接触したときにこそ、
彼は我に返るべきだったし、もう少しでそうできたはずだとも思う。
そうできなかったのはその時すでに帰るべき我を失っていたからか。
それでももしもあの時、ばかりが思われた。

観察される側、少なくともブルーから見れば、だったはずのブラックも、
変装したブルーとの接触時の述懐を聞く限りでは、
ブルーと同じく、巻き込まれた者、だったような気がする。
ただ、ホワイト氏と同一人物か何らかの接触は持っていたことを考えると、
窓枠の中に収まり、通りの向こうを見る者という共通点はあっても、
おそらくブルーとは異なる次元で、男は巻き込まれたのだと思う。
見張る中で少しずつブラックがブルーの世界になっていったのだとすれば、
ブラックにとってのブルーは最初から世界と同義で、
見るだけでなく触れる存在としてブルーを、ひいては自分を認識するために、
報告書は必要だった、という見方もできるかもしれない。
もしそうなら、ブルーが部屋の中にやってくるということは、
自分を認識する外側の存在が内側に重なるということで、
その時点で、認識する者はいなくなり、認識される者の存在は溶けることになる。
ならば、確かにブラックにとって、目の前にいるブルーは死そのもので、
それ以上語る必要は彼にとってはなかったんでしょう。
けれど、その日、ブルーが部屋に現われる日が来ることは、
ブラックにとっては最初から分かっていたことで、
ならばブルーを用意することで自分の存在を確認しながら、
全く同時に、外枠が溶けて死ぬことを望んでいたのではないかという気がする。
あるいはブルーをそこに配置することがブラック自身の意思でなかったなら、
やはりブラックは何者かの意思に巻き込まれただけなんだろうと思うけれど、
だとしても彼にとってブルーがそこにいた一年以上の期間は、
世界の中で自分の周りに明確な線を引くことのできる、
稀有で、幸福な時間だったのではないかと思う。
やりきったような顔をするブラックに、もう少し語って欲しかった。

もやもやと考え続けるブルーが思い出すいくつかの話は、
二人から一端焦点をずらして町や世界を見せてくれたように思う。
ある日突然家に帰らず観察者になった男の話などは、
ブルーの現在の状況に似てはいても重なることはない話で、
老いた男が団欒の中に帰っていったような展開が、
おそらくブルーには訪れないことは最初から分かっているけれども、
それでもブルーとブラックの間で閉じてしまったような世界には、
そんな奇譚が語られる場もあれば、歴史的な野球の試合もあり、
有名な詩人や哲学者のエピソードを持つ場もごまんとある。
世界は二人のすぐ傍で何ということもなく開かれていて、
ミセス・ブルーになるはずだった女性は新しい人生を歩んでいくし、
ブラウン氏は弟子の苦境に微笑みながら余生を過ごす。
ブルーとブラックが迷い込んだ閉鎖系は確かに奇妙で、
終わりまで見れば逃れようもなく救い様もないものだったけれども、
多分こんな奇妙な話は、様々な街角の一室で、
頻繁にではなくても時々は起こっているのだろうと思った。
それは世間に向けて滅多に開かれることなく、
ブラックホールさえも残さずに、閉じたまま萎んで消える。
そういうものの目に見えない跡があちこちにあって、
あることに気づかないままその上に新たな跡が築かれる。
浮浪者と書く世捨て人として並ぶ二人が見ている幽霊は、
その存在感にも関わらず、世界の基盤の一枚なのだと思えば、
終幕後の虚ろさも少しは温度を帯びるかもしれない。

もしもブルーと同じ状況に置かれたら、と考えて、
ブラックを見ていなくても分かるくらい同期した時点で、
どこまでも怠惰な引きこもり生活を謳歌するな、と思った。

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