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2014.12.19 (Fri)

ぼくらのよあけ1・2

ぼくらのよあけ(1) (アフタヌーンKC)ぼくらのよあけ(1) (アフタヌーンKC)
(2011/06/23)
今井 哲也

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夏休みは何をしよう。
プールへ行って、ゲームをして、
秘密を持つのも楽しいだろう。

宇宙の彼方からやってきたAIが、
空を見上げて待っている。


【More・・・】

小学生の夏休み、何をして過ごしていただろう。
宿題はさっさと終わらせる派だった。
ラジオ体操は毎日行く派だけど判子の列は嫌いだった。
手伝いは言われれば大抵はやって、
あとは、プールと図書館と家を往復していたように思う。
同じ友達と毎日会って、その間を無闇に自転車を飛ばしていた。
部活もなく習い事もそこそこの自由な夏の一月と少しは、
光と影の明暗の強い情景として常に思い出されて、
どの場面も、あの夏、などと思い出補正完備で語れそうなくらい。
ゆうまたち小学生とオートボットのナナコ、
そしてはるか光年の彼方からやってきたらしい宇宙船のAI。
わずかひと夏に満たない時間の短い物語の中に、
自分が経験した夏の大体全部が詰まっているような気がした。
もちろん人工衛星や宇宙船を巡る冒険なんてなかったし、
特異点だのロボットの倫理だのはほんの一欠けらも関係しなかった。
でも、木陰の向こうに広がる空の青、入道雲の高さ、
建物の陰影と、走り回る友達、という表紙一枚でも呼び起こされる、
夏の日差しや友人たちの歓声は確かに知っている気がする。
近未来でSFで、まだ存在しない技術も多く出てくるけれど、
身体感覚も、一人ひとりの心も、何一つあの夏から遠いものがない。
これはひと夏の物語なのだと承知しながら、
ずっとこの画面の中に溢れる夏に浸っていたいと思った。

家庭用ロボットが普及している近未来の像としては、
ゆうまたちが暮らす2028年はとても平和なものだと思う。
世界情勢がどうのという話はあまりしていないけれど、
少なくとも日本の小学生が過ごす夏休みが、
2000年代とそう変わらないことを考えれば、
現実の2014年程度には世界は安定しているんでしょう。
AI搭載のオートボットを始めとした技術に、
現在よりも人間が馴染んだ、つまりは人が技術に慣れた分だけ、
医療分野から日々の生活まで技術との間の摩擦が減って、
現実に電車の中のスマホ一色を見るよりは、
ゆうまたちの生活はむしろ自然なもののように見えた。
小うるさく人間のように話し、ふよふよ浮いているナナコも、
他の技術から考えるとややオーバーテクノロジーのはずなのに、
ナナコが特異点を超える前から、ゆうまとは本当に兄妹のようで、
宇宙船と交流せずとも普通に仕様に従って人間と交流するだけで、
世界の他の場所でもナナコと同じように、
オートボットが境目を超えることはこれまでもあったのではと思った。
けれど彼らにはアップデートやエラーの排除から逃れる術はなく、
それがない以上、多分AIにはアップデートを拒否し続ける選択はできない。
そんな風に考えると、ナナコが本当に世界で初めての場所へ至ったのは、
ゆうまに真実を打ち明け、宇宙へ旅立つ決意をしたあの時なのだろうと思う。
嘘をつくロボットを許容できるか否かの答えは、2066年、まだ出ていない。
ナナコを捕まえられたら、一つの点がまた見つかるかもしれない。

宇宙船を巡るゆうまたちのひと夏の冒険と同時に、
小学生女子たちの心を軋ませる毎日が進行していて、
花香やわこからはゆうまたちがガキでバカに見えるのは、
ゆうまたちが宇宙の大きさを世界そのものとして、
サブだのクラスだのは文字と教室の大きさのまま感じているからで、
心の世界が外側と同等の存在感を持つような事態は、
まだ少年たちには覚えのないものだからなのだと思う。
いや、多分そういう事態は年齢性別に関わらず起きていて、
要はそれ、内と外を自覚するかどうかという話なのか。
しんごにとって姉ちゃん、銀之介にとってお父さんの言葉一つが、
日常の行動を左右する大きな要素になっていることは、
花香がバカみたいと言いながらクラスのことで心を軋ませ、
年下の子供に優しくできなかったりすることと、
構造的にはそんなに違いはないのかもしれない。
ただ花香とわこには男子を「バカ」と言って羨んだり、
サブがどうのというやり取りに嫌気が差したりする形で、
自分の心や直面する現実を客観的に眺める力が育っている。
記憶をなくすと言うナナコに対して「そんなの駄目じゃん」と、
主観も客観もなく即答するゆうまにはまだその辺りが難しいだろうけれど、
相手が人でなくても、ナナコとのやり取りの中で、きっと多くを学んだ。
物理的な数十年の距離は心とは関係ないことを知ったなら、
他者の心を思うところまではもうすぐで、
ゆうまがこれから変化していく過程を見守れないのが残念だ。

一万二千年かけて宇宙を渡ってやってきた二月の黎明号。
人間と宇宙人とのコンタクト、という言い方もあるけれど、
ゆうまたちと黎明号とのやり取りは、
どちらかと言えば人間とSHⅢとの交流なんだという気がした。
人工知能と言われるものはすでにいくつも作られ使われていて、
それらと「交流」することさえ可能になりつつあるけれど、
多分まだ、2028年の時点でさえ、
人間と人間の作ったものが対等に言葉を、というよりは考え、
あるいは心と言い換えてもいいかもしれない、
とにかく何か別個の存在として向かい合うことはできていなかったんだと思う。
それは機能のあるなしの問題ではなくSHⅢ本体も同じことで、
突出して発達したAIをもつSHⅢにも、
人を思うところまではもう一歩足りなかったところに、
遠く「虹の根」からやってきた黎明号の思考が合わさることで、
地球に降り立った宇宙船のAIたる黎明号は、
人間と「友達」になることができたのだろうと思う。
もしも虹の根の原初生命が他者を滅ぼして発展するものだったなら、と考えて、
その場合はSHⅢは黎明号の降下を許さなかっただろうと想像するあたり、
私はまだ、人が作ったものが人のリスクを見逃す可能性を、
具体的に想像して認めることはできないのだなあと気づいた。
人が作ったものが人を傷つけるかどうかということが、
人の側で操作できる問題である限り、AIに特異点は訪れないのと同様、
そのことを思えない限り、人にそんなAIと共存することは多分できない。
人の心が充分に育つまで、技術の進歩が待ってくれるといい。

ナナコができると言った宇宙の解析が楽しそう、
と思ったと同時に、これ自由研究丸投げできるのでは、
などと思った人間にはナナコはきっと協力してくれない。

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テーマ : 漫画 - ジャンル : アニメ・コミック


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