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2015.03.05 (Thu)

一鬼夜行 鬼が笑う


一鬼夜行 鬼が笑う
(2014/11/5)
小松エメル

鬼なら何ができるのだろう。
猫股なら何ができるのだろう。
人に、何ができるのか。
目を離せないお前のために。

駆け寄り、手を伸ばす。
そこから始めようか。


【More・・・】

人の優しさを優しさと知りながら、
それを受け入れることが出来ないときがある。
細かい事情は場合によって様々だけれども、
その根本的な原因は自信の喪失なのではないかと思う。
自分を愛せないまま人を愛することよりも、
誇れない自分を好いてくれる人を信じることの方が難しく感じるのは、
信じるべきものが自分の外側にある分だけ、
自分と他人の距離のその隙間に、
良からぬ疑惑や謀が挟まる余地の存在を考えてしまうから。
優しい言葉や親切な行為の裏側に、
何か純粋ではないものがあるのではないか。
そうでなければ私などに何を求めているのか。
いや、そんな人の優しさを疑うなど私はなんてことを。
なんて回路に入り込んでしまえば脱出はますます難しい。
喜蔵の曽祖父さんを陥れた相手・清十郎の独白を聞いていて、
この人は最初の理不尽な挫折から何十年も、
その回路の中で苦しんできた人なんだろうと思った。
もがけばもがくほど深みに沈んでいくようなその感覚を知っているから、
清十郎を分かりたくないと思う喜蔵に頷きながらも、
信じられるものを何もかも壊してしまった男が、
どこかで自分を受け入れられることを願わずにはいられなかった。

喜蔵が綾子さんに思いを告げて振られた件は、
桜の宴あたりで明かされた彼女の過去と思いの大きさを踏まえると、
喜蔵には悪いけれどもそりゃあそうだろうという感じの納得の返答だった。
とはいえ二人が一緒になる未来がこの先ありそうだとは思う。
ただ、喜蔵と綾子の両方にとって、まだその時ではない気がする。
小春のことだけでなく、深雪のことや何より自分自身のことを、
喜蔵はもう少し柔軟に、素直に考えられるようにならなければ、
誰かと連れ添って共に暮らしていくのは難しいでしょう、妹以外とは。
妖と関わる中で命の危機に遭う度に、
小春に助けられたり自身の機転で喜蔵はなんとか難を逃れてきた。
そういう、他者を助け他者に助けられる経験を通して、
喜蔵は気持ちを言動に移すことを覚えてきたわけで、
その点では、喜蔵は最初に小鬼を拾ったときから成長したと思う。
でも、今回猫股二匹の戦いに飛び込んでいこうとするのを見ていて、
他者と共に生きていくために喜蔵があと身につけるべきは、
他者を思うならばその分だけ自分を大事にする、ということだと思った。
思い返せばこれまでも喜蔵は小春や綾子、深雪を傷つけさせまいとして、
自分の命だけを通行手形のように使って事にあたっていた気がする。
人間の力ではそれしかないだろうと、喜蔵は反論するかもしれないけれども、
せめてそれ以外の道を常に探すようにしておかなくては、
どこぞの吸血鬼もどきの人間もどきのようになってしまう。
似たもの兄妹の片割れの妹ではそれは教えられないだろうから、
誰か他に、と見回して周囲が大体似た感じで少し笑ってしまった。
天狗に対する深雪の犠牲で少しは懲りると良いけれど。

先代長者と今の長者、長者と小春の関係に触れてくれたおかげで、
掟を破ったとはいえ今は猫股でさえない小春のことを、
なぜ今の長者がそこまで気にするのかという疑問が、やっと少し解消された。
椿曰く、ひどく真面目、であるらしい現猫股の長者からすれば、
その都度迷いはあっても最後には必ず心のままに行動する小春が、
身勝手に見えるだろうことは簡単に想像できる。
その上、先代からは期待されて実際力もあったのだろうから、
小春に関わる者は全て憎いと言わんばかりの長者の憤りには、
そりゃあそうだよなあと言ってやりたくなった。
そんなのは自由に境界を越える勇気のない者のひがみだと言われれば、
反論する言葉の一つもないのだけれど、
小春や椿のような自由を持つ者には、
彼らが振り返りもしない些事を捨て置けない者の足の重さもまた、
分からないだろう、などとひがみバリバリで長者の肩を持ちたい。
先代との間のやり取りや猫股界の掟を破ったこととは別に、
おそらくそれ以前の兄弟の関係の中でも、
長者は小春と椿にもどかしさや怒りを抱えていたんだろうと思う。
それでも一応は長者としての立場の上で突っかかるだけ、
褒め言葉として、確かに真面目だなあとしみじみ思った。
結局は青鬼と天狗に横槍を入れられる形になったけれど、
青鬼は一応は掟に則って一連の介入をやってくれたので、
これで長者の思いが切れて小春のことなど忘れられるなら、
それがこの人間味溢れる大猫にとっても最良である気がした。

ひ孫と逸馬のやりとりを見ていて、
逸馬という人の人の良さを少し異様に思っていたけれども、
家族と親友に続いて小春を失った後、
逸馬は自分の人生というものを諦めてしまっているのだと言われて、
悲しみよりも、なるほどそういうことかと納得した。
小春と出会ったことで死ぬことを積極的にはやめただけで、
逸馬の人と自身に対する信頼は清十郎に騙された時点から喜蔵に会うまで、
無残に崩壊したままだったのだろうなあと思う。
いや、多分逸馬という人はそんなことになる以前から、
喜蔵に対してそうだったように、誰にでも優しくて、
何かできるなら迷わずその何かをできるような人だったんでしょう。
でも、清十郎に対する思いやりは全く清十郎の支えにはならなかった。
どころか本人も含めた多くの人間の人生の軌道をずらしてしまった。
逸馬は、人を信じることに怯えを抱いていたというよりは、
人に対して何ができるのか分からなくなった、という感じだったんだと思う。
だからこそまるで端から自分の行為に結果を期待していないかのように、
数撃ちゃあたるという感じで全方位的に親切をばらまく。
自分の生活や命を削いででもそうしなければ、
人に何かしてあげたいという気持ちを殺すしか選べる道はなく、
そうなってしまえば、もはや逸馬は逸馬でなくなってしまう。
後半はやや拡大解釈かもしれないけれども、
自分を省みず人を恨まず、ただ優しいばかりの男の心が、
どんな風になっているのかを考えてそんなところに行き着いた。
優しいお姉ちゃんがひ孫を使ってちょっかい出してくれて本当に良かった。

小春がいったりきたりの第一部はこれで完結で、
今後はおそらく小春は喜蔵の所に居着くんでしょう。
萩の屋の家計の心配をしつつ、
新しい騒動が起こるのを楽しみに待とうと思う。

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