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2015.03.15 (Sun)

秘密


秘密
(2001/5)
東野圭吾

私が私であることを
あなただけが知っている。
それは何より私を支えてくれる。

けれどあなたは、私は、
今も昔と変わらないだろうか。
変わり果ててはいないだろうか。


【More・・・】

自分が何者なのかを決めるのはいつでも自分だけれど、
ただ一人でそれを決めるのはとても難しい。
完全な形で自分を外側から眺めることはできないし、
何者かだと確信したところで、人の身体と心は刻一刻と変わっていく。
だから人は「誰かの何か」という形で、
自分というものを規定したがるのだと思う。
あなたの友人、あなたの恋人、あなたの子供、あなたの親。
それが相手に承認されている限り、
人は自分が何者なのかという問いからひとまずは解放され、
少なくとも自分は他者にとって意味のある何かなのだと安心できる。
でも、それは決して問いに対する揺るぎない回答にはなり得ない。
自分がそうであるように、「あなた」もまた変わり続けるものだから、
言葉はあっという間に自分と相手にそぐわないものになる。
直子の身体と藻奈美の心を失った夫婦が、
自分は相手の何なのか、相手は自分の何なのかを、
必死に日常を組み立てながら問い続けるのを見ていて、
誰かの何かであり続けること、またそれを信じ続ける難しさを思った。
恋人から妻になり、やがて母にもなった直子を愛していた平介でも、
娘の身体で生きる妻の、娘としての振る舞いを許容できなかった。
平介は身体は娘でも直子は妻だと繰り返しながら、
その実彼女が妻であり続けることを信じられなかったのだと思う。
だから、直子は娘ではなく、おそらくは夫のために、決断した。
その胸中を思うと平介にも一発入れてやりたくなる。

大事故から生還した娘の身体に死んだ母の魂がという冒頭だけで、
その後の展開として、そんな事態になった原因を探したり、
あるいは藻奈美の魂を呼び戻す方法を探したりする方向を期待してしまい、
二人が苦労しながら現実に対応する過程を見ていても、
いつになったら事態を打開する方法を探し始めるんだろうと待ってしまった。
読み終わって、最後の直子の決断までを通して眺めて、
これは劇的な一手で全てが解決するような、
そんな甘い話では全くなかったのだと気がついた。
別人の魂が他人に宿るという部分だけは設定的だけれども、
書き手はその他の部分では徹底的に夢を見させてくれない。
純粋で強く、変わらない思いを持ち続ける人間もいない。
平介は醜く怒り、直子は諦め、どちらも身体を持て余す。
死んだ者は帰らず、罪のない者が責めを負う。
それでも、全体を通して一度も、救いのない話だとは思わなかった。
それはおそらくそういう情け容赦のない出来事を、
登場人物たちがみな、ごく現実的に正面から受け止め、
その都度対応しようとするからなのだと思う。
彼らは救いなど期待せずに自らの意思で事にあたる。
平介は直子の新しい生活をなんとか受け入れようとするし、
直子は娘を悼みながら、娘であり妻である新しい人生を考える。
誰も突飛な夢想に逃げたり、現実から目をそらしたりしない。
結果だけを見れば、平介も直子も、当初の目標に挫けた。
だとしても、誰の努力も無意味ではなかったように思う。

平介と直子は事故の直後に奇妙な現実を与えられて、
それになんとか対応しながら日々を過ごすことによって、
事故によって奪われたもの、変わってしまったものに囚われることなく、
新しい毎日を続けていけた面もあるだろうと思うけれど、
他の遺族や梶川家の母子はそうではなかったように思う。
事故は彼らに何も与えることなく、
ただ大事な人やそれぞれの人生の選択肢を奪い去った。
理不尽を知りながら責めるべき人ではない人に怒りをぶつけても、
返ってくるのは聞きたくもない謝罪と相応らしいお金だけ。
そんな状況に放り込まれてからの日常は、
一体どんな思いとともに過ぎていくのか、
何があればその思いを断ち切って新しい日常を築けるのか、
そんなことを考えようと具体的な人間を思い浮かべたけれども、
想像の痛みだけでそれ以上進めることが難しくなってしまった。
ただ、それでも自分の経験の中でなんとか想像を巡らして、
遺族と夫婦の日常に違いはなかったのかもしれないと思い直した。
回復は一朝一夕で為せるものではないけれども、
一朝や一夕を工夫しながら重ねていくことで至るものなのだと思う。
痛みの元凶ではなく翌朝のことを考えること。言葉を選ぶこと。
そんな風な苦しい工夫を重ねるうちに、痛みは和らぐかもしれない。
それは夫婦が新しい現実を受け入れようとした過程と同じに思える。
双子の娘を亡くした父親もきっとそれを越えている。
残された者たちのそれぞれの日々の物語ももう少し語って欲しかった。

長く一緒に生きてきた人間に対して、
人生に後悔があると告白するのは、とても勇気の要ることだと思う。
それはあなたの隣にいた私がそこにいたことは、
完全に私の望みのままではなかったのだと言うことだから。
相手を大切に思っていればその分だけ、
幸せだったと言うよりもそれはずっと難しいことであるような気がする。
思いがけず娘の身体で新しい人生を得た直子は、
以前のまま生きていくことも多分できただろうと思う。
若いうちの十数年を藻奈美として振る舞う必要はあっても、
良き頃合いで人知れず妻に戻ることだって可能だったかもしれない。
それでも彼女はごく早い段階で平介に後悔を表明し、
これからは昔できなかったことをし、異なる選択と努力を重ねて、
かつての直子でもなく、藻奈美でもない人生を始めることを決めた。
娘によりよい器を用意しておくという言い分は、
母としての選択という面もあっただろうけれど、
大部分は平介が現実を受け入れるための一時しのぎだったのではとも思う。
直子がそうやって新しい人生を始めることに対して、
母として、妻としてどうなんだという言い分も分からなくはないけれど、
事故によって身体だけでなく、社会的な存在も全て失った人間に、
夫による承認だけを糧に母であれ妻であれと言うのは、あまりに酷な話だし、
そんな在り方は自立をなくしていたかつての直子の究極形だと考えれば、
直子の選択は至極妥当なものだったように思う。
直子としては直子を直子と認めたまま平介にそれを認めて欲しかったんでしょう。
平介がもっと心を抑制できたならと考えて、それも酷な話かと思った。

事故の前も後も「藻奈美」は、
平介以外にとっては一人の人間だった。
そのことだけで直子の努力大きさに頭が下がる。

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