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2015.05.28 (Thu)

ある閉ざされた雪の山荘で


ある閉ざされた雪の山荘で
(1996/1/11)
東野圭吾

雪に閉ざされた山荘。
男女七人の若者たち。
競争、恋情、嫉妬、そして疑惑。

舞台は整い、役者も揃った。
さあ、殺人劇を始めよう。

【More・・・】

村人E、ひばり2、三月うさぎに、継母。
小学校時代の劇で演じた役どころはそんなもので、
主役級とは全く縁が無かったけれども、舞台という場は好きだった。
舞台の上にあるものは全て用意されたもので、
意味や意図なく存在しているものは一つもない。
背景も小道具も、言葉も、もちろん役者も。
物語のために配置されたそれらは本物ではないのに、
全てが正しく作用したならば、
その瞬間、舞台の上には一つの世界が立ち上がる。
役者の言葉は人間の言葉として命を持つ。
体育館の小さなステージ上で緊張していた時には、
そんなことを考えていたわけではないけれど、
練習の中のある瞬間に、自分の立っている場所が、
完璧なものに思えて身震いした覚えはある。
麻美が監督指揮し、観客でもあった山荘の四日間の中で、
復讐か、あるいは作られた舞台としてでも、
彼女にとって完璧な瞬間はあっただろうか。
嘘に嘘を重ねたのぞき窓のあちら側に、
彼女が一瞬でもそのどちらかの本当を見られたなら、
この劇は演じられた意味があったのだと思う。

ある閉ざされた雪の山荘で殺人、なんてシチュエーションは、
パロディ的設定でも昨今はなかなか採用されないと思うけれど、
そこを利用してどこからが劇なのか現実なのかを曖昧にしたまま、
ある…の定番に則りながら緊迫感を高めていく手法は、
よく出来ているなあと単純に感心してしまう出来映えだった。
とはいえ、三重構造の舞台となったことは、
脚本家である麻美の意図したところではなく、
言うなれば出演者による裏切りによるものであり、
いまいち決まらない名探偵役が登場したことにしても、
不確定要素に関する賭けに負けた結果なので、
その場で何かしらの役を与えられた役者たちからすると、
この劇は、あちこちが綻びまくった失敗作なのかもしれない。
でも、役者ではなく観客だった貴子と田所からすると、
劇の終幕はこの形で最善だっただろうと思う。
自分たちの知らない場所で関係の破綻があり悲劇があり、
愛憎の末の殺意まであったことは、
のちのち後を引いて二人に影を落とすかもしれないけれど、
それでも誰も誰かを殺さずに済んだ。
三人が生きていると知って泣くような貴子なら、
そのことをきっと何より大事なことだと思える気がする。
女性陣の中では彼女に一番親しみを感じた。

麻美と三人の間に起こったことの八割方は、
三人の方に非があると思うけれど、
麻美が全くの被害者だったかと言えばそうではないと思う。
彼女ではなく由梨江と温子がオーディションを通ったことの裏には、
演劇を汚すような事情があったのかもしれないし、
三人がついた嘘はついてはいけない類いのものだった。
だとしても、そういう彼らを憎悪するのなら、
その分だけ彼女は正攻法で戦うべきだったのだと思う。
殺人の計画などではなく、ということではない。
半身の自由を失い、他人の悪意に気づいた後の行動としては、
彼女はむしろ正攻法で、復讐を行おうとしたように見えた。
そうではなく、オーディションに落ちた後、あるいは、
彼らの訪問を受けて怒りと屈辱に打ち震えた後、
麻美は諦められない自分を認めて演劇に戻るべきだった。
何かを諦める理由は、自分の内側に見つけるべきで、
外側に理由を置いている限り、諦めきることは難しいと思う。
諦めきれない思いは外側の変化に引きずられて、
簡単に増幅したり、時には別のものに変質してしまう。
その結果が三人への激しい怒りであり、軽挙に繋がった。
計画が破綻した後、憎い相手の演技でも見てしまうなら、
麻子は車椅子でいけるところまで演劇に関わっていけば良いと思う。
本多がきっとその背を押してくれる。

愛する人の憎悪に感応しながらも、
人を殺す計画を実行できない自分に気づいた本多は、
人の心に寄り添う力と自分を見つめる力の両方に秀でていて、
だからこそ確かな演技力をもっているのかも、などと、
演技の何たるかに関して全くの素人ながら考えた。
とはいえ、麻子の気持ちを察しなかった三人や、
由梨江と雨宮の関係に全く気づかず恋を燃やすばかりだった田所などが、
久我目線で、一級の役者ではないと評されることを合わせると、
あながちそうずれた見方ではないような気もする。
麻子に見せるための劇の中での三人の演技が、
純粋な観客である貴子と田所に露見することがなかったのは、
彼らが演じていたのが他人ではなく自分自身で、
役と役者の間に気持ちの乖離がほとんどなかったからだとするなら、
麻子に贖罪をしたいと思う三人の気持ちは、
嘘偽りのない、本当のものなんでしょう。
おそらく公になることのないこの事件を経て、
八人がこの先どんな道に進むのかは分からないけれど、
少なくとも、現在スランプだという巨匠の書く舞台は、
役者たちの気持ちの大きさによって、成功すると思う。
麻子がそれを観に来てくれたら、観に来られたなら、
苦悩しながら人を殺さない道を選んだ本多が報われる。
さああとは、脚本を頼みましたよ、東郷先生。

生きるか殺すかの緊迫した劇の後なので、
ちょっとした笑い話のようになっているけれど、
まず通報して警察に引き渡すべきは小田さんだと思う。

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