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2015.06.02 (Tue)

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?


アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
(1977/3/1)
フィリップ・K・ディック

人にできてアンドロイドにはできないことは、
繁殖して殖えることただ一点。
そういう風に、人は彼らを作り、
アンドロイドだから、殺して回る。

人間であることの要件は、
その一点ではないのに。


【More・・・】

性別、人種、所得に学歴、血液型まで、
人間が人間を差別する基準は枚挙に暇がない。
差と言うことも憚られるような些細な違いも、
時と場面によっては、生死に関わるものになり得る。
現代までの歴史の中でそういう悲劇を繰り返しながら、
繰り返している悲しみに膝を折られそうになりながら、
それでも人間はそういう差別をなくそうとしてきた。
いまだ目的地の遠い道程だとしても、
なくそうとしているのだということは信じたいと思っている。
けれど、現在認識され、なくそうと努力されている差別の後ろに、
議論の場に持ち出されることさえなく、
当事者でさえ認識することができないほどの当たり前さで、
誰かを傷つけたり、その人生を台無しにしてしまうような差別が、
まだ多く存在しているのだろうということも確信している。
生き延びようとするアンドロイドを人間の殺し屋が追う世界は、
多くの常識的な感覚が現実とずれていて、
平等に誰の言葉も異星人が発しているように聞こえた。
アンドロイドか人間かは問題ではないだろうという気さえした。
それほど死に行く地球の上にある差別は読み手の世界と異なっている。
けれど、それが認識されることなく常識の上に固着している様は、
あまりに身に馴染んだもので、吐き気がする思いがした。

地球を駄目にしてしまうほどの大きな戦争のあと、
人間の世界は火星と地球に分かれてしまったようで、
灰色の空、放射性降下物、がらんどうの建物群、遺物の山と、
簡単に地球の情景を切り出してみただけでも、
この世界がもう半ば死んでしまっていることが分かる。
だからと言って一部の人間が逃れた先が桃源郷かと言えば、
アンドロイドが人を殺してでも逃げ出してくるほどに、
あっちはあっちで終焉が近い世界なんでしょう。
殺した後でさえ脊髄液のようなものを検査しなければ、
人間と区別できないほどに人間に近づけられたアンドロイドを、
奴隷同然に使える感覚というものがそもそも分からないけれど、
一方で現状それほど精巧な模造生物がいないからこそ、
そんな風に思うのかもしれないなあとも思う。
外見も言動も、その内部構造までほとんど自分と変わらないのに、
「既製品」である隣人を本当に隣人として扱えると、
そう確信する明確な理由は見つけられない。
でももしも、気がつかないうちにネクサス6型が隣人になっていたら、
誰も彼らを排斥しようとはしないだろうという気がする。
おそらく両者の感覚のずれは個性の中で処理されて、
より排斥されやすいのはむしろ人間の方かもしれない。
それにしても結果的にそのせいで殺されるところまでいっているのに、
なぜこれほどアンドロイドを人間に近づけたのか最後まで分からなかった。

アンドロイドを追い、殺して報奨金を得ることで、
模造動物やより高価な本物の動物を飼おうとするリックは、
殺して回っているのが人間に近似したアンドロイドで、
求めているのがほとんど死滅しかけている動物だと捉えれば、
おぞましい仕事で歪んだ欲望を持っているとも言えるし、
実際序盤のリックは検査法を通した所でしか、
アンドロイドというものを認識していないことを考えると、
抑鬱を求める倦んだ妻よりも現実認識に問題があるようにも見えた。
けれど仕事をし、よりよい生活を求めることは、
欲望の対象が時代に即しているために奇妙に見えるだけで、
ごく普通の、働いて生きている人間の姿なのだとも思う。
これほどアンドロイドが人間に密接している世界で、
アンドロイドを人工物として扱おうとする精神は、読み手の感覚に近い。
ただ彼の住んでいる世界の常識からすれば、
リックは人に近い存在を殺して金を稼ぐ冷酷な暗殺者で、
そのことと自分の感覚の差が序盤の彼を苦しめているように見えた。
苦しむということは、リックは少しも冷酷な男ではない。
それまでよりさらに人に近くなったネクサス6型を追い、
検査法の妥当性を疑い、レイチェルの「心」を考え、
そして得た「人間性」はそういうリックだからこそのものかもしれない。
アンドロイドのいない世界ならただの優しい男だったろうと思う。

逃亡者たるアンドロイドの側から見ると、
リックたちバウンティ・ハンターはまさしく暗殺者で、
生き延びるために返り討ちにすることも辞さない構えなのは、
機械仕掛けの心が冷酷だからではなく、
むしろ人間染みた、当然の反応だろうと思う。
リックからすると最後の瞬間の妙な諦めの良さが、
苛立ちを覚えるような違いとして感じられているようだけれど、
そういう部分も含めて、アンドロイドは人間らしい。
設計者は本当に人間を造ろうとしているかのようにさえ感じる。
情を解さない人間がいるように、解するアンドロイドもいて、
その反転として、他の生物の痛みを理解しないアンドロイドもいる。
既製品であり、記憶さえ植え付けられることがあるのに、
その心のグラデーションはどうやって生まれるのだろう。
八本の足が無駄ではないかという理由でクモを痛めつけるプリスと、
人の心に生まれる執着を理解して利用するレイチェルの違いは、
経験による記憶を持っているかどうか、
より厳密には自分の記憶を経験として信じられているかどうかで、
経験を持つ点で人間に近いはずのプリスの方がより冷酷なのは、
人間に近いことと「人間」であることとは全く別だということを示している。
少なくとも人間らしくあるために必要なのは共感ボックスではない。
レイチェルの言葉をもっと聞いてみたかった。

クモの一匹さえ見かけることがない地球で、
人間がまだ食べて寝て、動物さえ飼って生きていることは、
奇跡でもあり、滑稽な劇のようにも思った。

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