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2015.06.03 (Wed)

女たちの怪談百物語


女たちの怪談百物語
(2010/11/17)
加門七海、立原透耶ほか

集まったのは十人の女たち。
見届けるのは二人の男。
時は五月某日、場は本郷。
ずらりと並んだ一口チョコ。

怪談の夜の一部始終。


【More・・・】

何かの集まりの折りに誰とはなしに、
怖い話をしようということになることはままあって、
実際一人あたり数話で語り合ったことはある。
でも、人を集め、ルールを設定し、
「では百物語を始めます」と宣言して場を作るような、
そんな怪談をやったことはない。やりたくもない。
それだけの作法に従って行う百物語は、
ちょっと怖い話でもという程度のノリのものとは、
全く異なる行為だろうと思う。
降霊術として有効かどうかは別にしても、
そういう場を作ること自体がすでに、
「怪しさ」に一歩も二歩も歩み寄ってしまっている。
それは、怖い。そんな場にはいたくない。
などと思うあたり、やはり私にとっての怪談は、
あくまで他者のものであってほしいものなのだと思う。
安全な距離から、怖い怖いと言っていたい。
「場」が解散され、物語が文字となり本となった時点で、
作法に則った百物語は終了しているからこそ楽しめる。
時間も手間もかかる貴重な一座を本にしてくれて嬉しい。

女性作家ばかりを集めて行ったという百物語は、
たしか「視えるんです。」のシリーズのどこかで紹介されていて、
語り手のそうそうたる顔ぶれに加えて、
会主東雅夫さん、見届人京極夏彦さんということで、
こんな怪しげな会をこんなに豪華にわざわざやるとは、
参加者の皆様はなんて酔狂で、楽しい人たちなんだろうと思っていた。
参加者の方が別のところでそれぞれ書いている所によれば、
語られた話とは別にその百物語の場とその前後で、
それぞれに何やら怪しいことが起きていたらしく、
その辺りの話もぜひ時系列にそってまとめて欲しい気もする。
まあそれはそれとして、これはあくまで会の主旨である「怪談」の中身、
ほんの短いものからちょっとした短編並のものまで、
作法に則って語られた九十九話の怖い話を収めている。
実際に体験した話などの縛りは全くなく、
幽霊的な怖い話であるべしということでもなかったようで、
参加者の多くが手法は違えど怖い話を主軸に書いてるだけあって、
見た聞いた系、伝聞系、不可解系、おぞましい系などなど、
怪談の見本市かというくらい多種多様な話が集まっていて、
どれだけこの人たちがそういう怖い話を身近に置いて生活しているのか、
その一端を垣間見たような気になってなんだか感心してしまった。
これだけ怪談に触れ、語り、その何倍もを頭にしまい込んで、
この方達は怪を語れば怪至るを通り越して怪に成っている気がする。
末尾収録の集合写真の謎の迫力はそのせいかもしれない。

見た(と聞いた)系の直接的な話の中では、
人身事故の多い駅にいる小さな黒い人の話が、
日常に身近なところも含めてぞっとした。
話の怪しさ、つまりは分からなさ、不確定の部分が、
この話にはとても多くて、だからこそ怖いのだと思う。
「それ」がいるかいないか、いるなら何なのか、
事故とはどういう関係なのか、意図はあるのかないのか。
そのどれも推測することさえ難しい。
そこでかつて死んだ人が引いているという物語にするとして、
背格好と肩車から想像される子供の像では、
背景と意図がちぐはぐな感じがするし、
人間に由来しない存在なのだと考えれば、
つまりそれは人を殺す現象の姿ということになり、
そんな無目的にただ人を線路に落とすような存在が、
身近な場所にいると思うのも気持ちが悪い。
その物語として腑に落ちなさが、
かえってその黒い人を見たという話に真実味を与える。
という風に分解して考えてみると、
怖さの核がバラされて怖くなくなるかと思ったけれど、
想像すればするほど背筋が寒くなってきたのでもうやめよう。

別の人が語っているのに前後の話に関連があることがままあって、
それは単に直前に聞いた話に記憶が刺激されているだけなのだろうけれど、
その現象がそれぞれの話をまじないの言葉のように繋げて、
物理的な閉鎖とは別に場に囲いのようなものを作っている気がする。
始めますからこれで終わりますで一つの輪になり、
その一つ一つが鎖のように連なって、百物語の場はできあがっていく。
示し合わせたわけでもないだろうに、
なんとなく連なった話を続けていった様子が感じられて、
ある旅館の一室に構築された場の雰囲気を、そんなイメージで想像した。
作法の通り語られなかった百話目をもしも語ったなら、
場にはりめぐらされた鎖の輪はおそらく完成する。
その瞬間に怪に至る、という展開も有り得そうだけれど、
むしろその鎖は解散の宣言を無効にしてしまうような、
参加者の間に永続的に張られてしまうような類いのもので、
それはつまり、因縁の形成、ということなのかもしれない。
輪を作ることに参加した者は鎖の一部となり、
以降縁で結ばれる。多分あまり良くない縁で。
一人一人がすでにこれだけ怪に近いところにいる人たちだから、
それを束ねた縁がろくなものになるはずもないでしょう。
もしも語ったなら、という想像は対岸の火事的に楽しいけれど、
やはり語られるべきではないんだろうなあとも思う。
とはいえ、同じ会に参加したという人の縁は、
ぜひとも今後の執筆活動にがんがん還元してほしい。
そこから生まれる新しい怖さに期待している。

一人あたり10話ほどだから、
一口チョコを一人10個ほど食べたことになる。
もちゃもちゃとチョコを頬張る語り手たちがかわいい。
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テーマ : 読書感想 - ジャンル : 本・雑誌


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