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2015.06.24 (Wed)

終物語 上・中・下


終物語上
(2013/10/22)
西尾維新

忍野扇は許さない。
矛盾を、曖昧を、忘却を、
迷う心を見逃さない。

阿良々木暦と彼女たちの時間を、
忍野扇は誰よりよく知っている。


【More・・・】

記憶というやつはなんとも適当で、
過去を辿るよすがにするには心許ないけれど、
客観的事実だけを積み重ねても、
それが自分のものとして納得されるわけではない。
事実と記憶を重ね合わせたところに、
体験した人間それぞれにとっての真実がある。
阿良々木くんにとっては、謎の数学少女が真実だったし、
老倉にとっては、その時間は惨めさと憎悪の象徴だった。
でも、彼女は多分ずっと自分に嘘をついてきたのだと思う。
自分の境遇を今以上に哀れまないために、
それを他人の愚かさのせいにしようとした結果が、
阿良々木くんへの激しい憎悪として記憶に上塗りされた。
助けを求めることもできず、母を憎むことも不完全なまま、
ただ必死に一人で意味のない努力を重ねる自分こそ、
最適解を選ぶことのできない一番の愚か者だと、
老倉は本当は考えていたのではないかという気がする。
それを意識の俎上に載せないよう自分への嘘を重ねるうちに、
心は脆くなり、目の前の現実を見ることさえできなくなった。
シリーズ初の徹頭徹尾阿良々木くんを憎悪するヒロインの姿は、
あまりに痛々しくて、救いが遠くて、目をそらしたくなった。
向き合い続けた阿良々木くんは久しぶりに主人公だった。

謎の少女との中学時代、高校1年生時の臨時学級会での事件、
老倉との再会から飛んで、二学期冒頭の初代との邂逅、
そして地獄巡りと卒業式前日の扇ちゃんとの決着まで、
まるっと阿良々木くんを総括する形で終わりの物語は語られる。
羽川とガハラさんが虎と相対していたとき、
なんぞまた刀振り回していたのかと思っていたら、
ことは八九寺の件やタイムトラベルも絡んで大事だったようで、
今回に限っては一応命を懸けない形の決闘とはいえ、
彼女としては一時も目を離せない男だなあと思う。
曖昧を許さず選ぶことを迫られる流れの中で、
阿良々木くんは八九寺の時も撫子の時も選びきれなかったけれど、
忍だからなのか、あるいは明確な相手がいたからなのか、
自分がどうしたいかという所をうだうだの末に見極めて、
初めて能動的に、選ぶことをしたように思う。
忍の迷いを聞いてしまった段階で生じた、
またぞろそれを理由に忍が今選んでいるものを無視して、
極端な方向へ突っ走るのではないかという心配は、
彼女が素晴らしい理解力と包容力で払拭してくれた。
ガハラさん様々、と同時に阿良々木くんの変化も感じて、
非情に女々しい、アホらしい質問も多めに見ていい気がした。
特別であり続けるために努力することは格好良いことだ。

日光に焼かれてから400年を経て蘇った初代。
忍がタイムトリップの折に語ったときの印象では、
初代と忍の間には恋愛関係、
少なくとも関係と言えるほどの何かはなかったように思うし、
その吸血鬼化から別れるまでのことを考えると、
二人が再会しても400年前の続きになってしまう気がしていた。
だから忍に会って謝りたいと語る初代の言葉は、
彼女を殺すための方便なのではないかと思っていた。
でも、どう転んでも退治されると分かっていながら、
決闘の場に現れ、その場に彼女がいないことに歯がみし、
小狡いともとれるような策を弄して二代目を除けようとするのを見ていて、
また何より彼女の名を呼び続ける断末魔を聞いては、
初代の中にあるのが彼女への憎悪だけだなどとはもはや思えなかった。
一人の女を二人の男が取り合うなんて単純な構図は、
阿良々木くんと初代、両方の心情を全く反映していない。
忍と阿良々木くんの間にあるのが反転を重ねた主従関係だけでないように、
初代とキスショットの間にあったのもそれだけではないのだろうし、
400年の断絶の間に、それぞれの思いも変化したのだと思う。
もしももっと早く数十年のうちに初代が蘇っていたなら、
愛憎の濃度は全く違うものだったんでしょう。
崩れた言葉はきっと忍にも聞こえてはいなかった。
400年かけて、二人の思いは同じところへ到達したのだと思う。

扇ちゃんが「くらやみ」のような厳然とした理を体現する存在でないこと、
また、ガハラさんにとっての蟹、羽川にとっての猫や虎のような、
自分の心に由来する怪異との出会いは、
思えば阿良々木くんにはなかったののだなあと思い至ったってしまえば、
八九寺、撫子、余接、正弦、忍、老倉など次々と、
曖昧を精算させるかのように仕向けていく彼女の目的、
というより、彼女がなぜ現れたのかは、
そんなに難しく考える必要のないことだった。
扇ちゃんが茶々を入れることで至った事態は、
迷いなく行ったように見えた決断の裏側で、
阿良々木くん自身が積み重ねていた迷いの一つの極の姿なのだと思う。
そうあるべきなのではないかと迷いながら、
決して自分が望まなかった選択の集積が、忍野扇という怪異。
阿良々木くんは即断によってその迷いから目を逸らしてきた。
けれど、ただの人間の体で、忍が影にも潜まないただ一人であっても、
目の前で消えようとする意思ある存在を見過ごせず、
自己犠牲をもって自己批判の体現である扇ちゃんを守ることで、
阿良々木くんは矛盾を抱えた人間である自分が望むものを肯定した。
その時点で、扇ちゃんの発生理由は多分霧散した。
忍野がいなければ「くらやみ」は容赦しなかっただろうけれど、
自分がどんな愚か者かを知って、阿良々木くんは変わったと思う。
やっと彼女たちに並んだなあ、主人公。

多くの混乱を巻き起こした自作自演の結果、
八九寺だけが地獄で貧乏くじを引くなど、
我らが阿良々木暦の許すところではない。
バチの当たらない程度に神様と戯れるが良い。

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