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2015.06.28 (Sun)

続・終物語


続・終物語
(2014/9/18)
西尾維新

鏡の上に結ばれた像は、
本物か、偽物か。
その前に立つ者は、
本物か、偽物か。

彼女たちがどんな人間か、
知っているのは誰だろう。


【More・・・】

鏡を見るのが嫌で仕方なかった十代の頃でも、
映り込む自分が自分とは思えないなんてことはなかった。
むしろそこに映るなんてことはない日本人顔こそ、
内側に隠した色々な思いが反映されたものである気がして、
その汚さやしょうもなさを見たくなかった、という方が近い。
浄玻璃の鏡などもってくるまでもなく、
鏡の前では全てが露わになると思っていたんだろうと思う。
でも、鏡の国を阿良々木くんと一緒に巡り、
あれほど自分と厳しく向き合っているように見えた彼女たちでも、
いつものキャラクターからかけ離れた思いの塊を、
鏡の裏側、つまり反射さえしない場所に捨て置いているのを見て、
そもそも鏡が返してくる像は結局のところ、
自分が認め、見ることを選んだ自分でしかないのだと気づいた。
物理的な鏡の性質上、そこに映るのは実体の相似でさえない。
ならば鏡を覗くことは壁のシミに意味を見出すことと、
本質的には違いがないのかもしれない。
鏡の国で阿良々木くんが出会った彼女たちは、
多分、彼女たち自身が鏡の中に見出すことがない姿なのだと思う。
失われる光を救ってしまったのだと言えば聞こえが良いけれど、
結果的には他人の心の覗き見みたいなことなのでは。
見たものを見なかったことにしなければ、
阿良々木くんが何度目かの死を迎えると思う。

初代怪異殺しが再び霧散し、新しい神様が着任したことで、
阿良々木くんが住む街は安定したはずなので、
めでたく高校を卒業し、感傷のまっただ中の阿良々木くんが、
性懲りもなく始めた鏡の国企画は、
正真正銘、阿良々木くん自身の心から生じた怪異ということか。
扇ちゃんという「くらやみ」もどきが生まれるまでに、
阿良々木くんの人生分の長さが必要だったことを考えると、
感傷によって生じた擬似的な鏡の国の規模のささやかさは、
オマケの話として妥当なバランスなのかもしれない。
蟹、猫、猿、などにならって言うならば、
鏡に手を伸ばした男、と言ったところか。微妙に格好悪い。
自前の吸血鬼性は一度地獄に落ちた時に抜けたので、
今の阿良々木くんは影に元吸血鬼を宿すだけのただの人間。
にもかかわらず高校卒業後のありきたりな感傷を契機に、
自分以外の人間の置いてきた思いまで実体化させてしまう辺り、
「化け物を作る」専門だったという家に連なる神原並に、
阿良々木くんにはその方面の能力があるのではないかと思った。
大学でかの専門家集団のような出会いがあれば、
将来的にその道に進むことも、まあないような気がするけれど、
影縫さんと余接よろしく忍とのコンビを想像すると悪くない気もする。
その頃ガハラさんは宇宙で、羽川は世界規模の重鎮か。
直江津高校のOBは個性派揃いになるなあ。

普段のキャラクターからの変化の大きさという意味では、
老倉と撫子の二人がツートップでお前は誰だ状態だったけれど、
クチナワさんが「神様」という体で作られた人格であることを考えると、
阿良々木くんが拾い上げた「20%」の姿として、
残りの80%との差の大きさは老倉が一番大きいように見えた。
三度阿良々木くんに出会い、直江津高校を去って行くまでに、
一体何度彼女が自分ができなかったことを悔い、
有り得たかもしれない生活を思ったかは知れない。
もしかしたらそんな感傷や後悔で遊ぶような、
そんな余裕さえ彼女にはなかったがために、
老倉の20%は鏡の裏側に捨てられることになったのかもしれない。
溌剌と笑い、幸せというものの受け入れ、
なんの引っかかりもなく「家族」という言葉を口にする老倉の姿は、
現実の彼女からあまりに遠くて、
その違いを思えば、明るい姿さえ痛々しく感じた。
自分を哀れまないために阿良々木くんを憎んだ老倉は、
助けてくれない人に助けを求めたことよりも、
助けてくれようとした人に助けてもらえなかったことの方を、
より強く悔いていたのではないかと思う。
だからこそ幻の老倉は「中学生の阿良々木暦」ではなく、
阿良々木家の両親に助けられることで家族を得ている。
幸せになって良いのかと頭を抱える彼女に、
全くそれで良いのだと言ってやりたかった。

普段は表層に浮かび上がってくることのない思いの塊であり、
おそらく当人たちにとっても望んだ姿ではないとはいえ、
八九寺が幽霊として過ごした年月が、
ちゃんと体と心に反映されている様は嬉しいものだったし、
忍が人間だった頃の姿や、故人である遠江さんなどは、
こんなことでもなければ見ることができないだろうから、
阿良々木くんと一緒に覗き見できてよかったと思う。
自分自身の心の裏側にしまい込んだ姿でさえ、
表層とは大きく乖離していることを考えると、
臥煙さんの心残りとしての遠江さんのキャラクターは、
生前の彼女とは違うものなのかもしれない。
遠江さんの裏側は含まれていないだろうけれど、
少なくとも妹から見た姉の姿の幾ばくかは反映されているはずで、
それが想像していたよりずっと母親の姿をしていたことで、
決して姪に名乗らなかった臥煙さんの中に、
神原への肉親としての思いが確かにあることを感じた。
神原がレイニーデビル姿で暴れ回っていることで、
思いがけず実現した母娘の共演は、
なんだか反抗期の娘と心配する母親のような様になって、
生命の危機だった阿良々木くんには悪いけれども、微笑ましかった。
裸体に恥じ入る所のない母娘であっぱれである。

顔を合わせ言葉を交わすだけで、
次々目の前の人間が死のうとするなら、
人であることに嫌気が差すのも仕方ない。
姫が鬼になる物語が読みたくなった。

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