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2016.02.16 (Tue)

有頂天家族 二代目の帰朝


有頂天家族 二代目の帰朝
(2015/2/16)
森見登美彦

素直に心を明かしても、
伝わらないことは多いでしょう。
つけ込まれたり、嘲笑われたり、
そういうことだってあるかもしれない。

ああけれど、心を開かねば、
何百年経っても届かぬものがある。
あるのですよ、天狗様方。


【More・・・】

寿命が異なる生き物が感じている時間の速さが、
自分のそれと同じなのかどうか知ることはできない。
ヒトよりも短命の獣とも、長命の樹木とも、
残念ながら言葉を交わす術はいまだ存在しないし、
たとえ今その術があったとしても、
言葉が伝えてくれるものはわずかだろうと思う。
現実に存在する種々多様の絆を思えば、
だからと言って理解し合えないわけではないことも明かで、
結局のところ、絡んでこじれた天狗様たちの関係は、
個々の胸で凝り固まった意地やら矜持やらが原因なんでしょう。
弁天様には弁天様の、二代目には二代目の、
また赤玉先生には赤玉先生の譲れぬものがあり、
それを各々が秘めたまま癇癪玉に着火するものだから、
被害甚大、混乱極致、毛玉ころころ右往左往となる。
数百年、もしからしたら千年単位で生きる天狗様方の思いなど、
地を這う毛玉や裸の猿には推し量るのは難しいけれども、
矢三郎が事情が分からないなりに弁天様や二代目を慮り、
精一杯波風立ててできる限り愉快なことになるように、
画策し逃走し憎まれ役さえ引き受ける様を見せられては、
この四つ足の毛玉は本当になんて健気なのかと思わずにはいられなかった。
やわらかいことだけが取り柄らしい毛玉の生き方を、
まるで人間のように面倒な天狗様方は見習ったらいいと思う。

天狗の喧嘩があったり、夷川の長男が帰ってきたり、
なんだかんだと絶えず騒動はあったものの、
とはいえ狸同士が不似合いな疑心を抱き合っていた去年に比べれば、
この一年は少なくとも心情的には平穏だったのだろうと思う。
父親の死の経緯が明らかになり、憎き早雲も一応は去って、
下鴨家の狸たちも心なしか去年より緩くもふもふしている気がする。
夫を失ってから息子達を心配し通しだった母様が、
本来の大らかさと大胆さを取り戻している様などはほっとするもので、
雷と共に集まる母子を見ているとああ家族だなあとしみじみ感じた。
また父親のことが一段落したことで、
兄弟はそれぞれの道を意識し始めたようにも見えて、
逆に言えば母がそうであったように父が死んでからのこれまでは、
息子たちも混乱と動揺の中にあったんだと今更ながら気がついた。
父に恥じない狸となること、狸としての自分を取り戻すこと、
興味関心を追求すること、などなど、
兄らと弟が着々と将来を考え始めている中で、
矢三郎はと言えば相変わらず面白いことを探してうろうろしていて、
それがこの三男坊の道とすることもできなくはないけれど、
弁天様を思い、海星を思い、他者の思いを汲まずにはいられないのは、
道というより性質の問題だろうなあとも思う。
矢三郎が自分の意思や気持ちを一番に考えて、
何かを選ばねばならない時がくるのを楽しみにしている。

狸たちがもふもふと天下の平らかを謳歌していられるのは、
天狗様方の騒動が所詮他人事の域を出ないからで、
いざ天地を揺るがすような大喧嘩が始まっても、
まるで祭り見物のような緊張感のない感じになるのも仕方ない。
百年前の薬師坊親子の大乱闘を見た狸はもはやいないだろうけれど、
多分百年前も今と同じように狸どもは見物していたんでしょう。
人間や天狗に比べればとても短命で、
化かす以外にさしたる力も持たない生き物だけれども、
その生き、殖え、繁栄する様は連綿と変わらない。
恋をし、化かし合い、この世の生を隅から隅まで満喫して、
そして時がくればお囃子の向こうへ軽やかに駆けていく。
たかが獣の会議や婚姻、各種行事に赤玉先生がのっそりやって来て、
わざわざその決定を見届け、言祝ぐのは、
狸の次の者にバトンを渡しながらも変わらずにいるという、
生き物としての真っ当な有り様に敬意を表しているからなのではないかなどと、
絶対に素直には言わないであろう先生の胸の内を想像してみる。
自分一人の身で数百年を生きるがゆえに、
百年でも二百年でも意地を張り変わらずにいられてしまう天狗とは、
狸のそういう有り様は似ているようで全く違う。
ことあるごとに矢三郎を愛おしむような言葉をこぼす弁天様も、
赤玉先生と似た気持ちでいるようにも思う。
だからこそ矢三郎は苦しんでいるのかもしれないが。

二代目や弁天様の出自、三人の天狗の関係については、
過去の因縁がまだありそうだけれども、
今のところの一番の意地っ張りは弁天様だと思う。
二代目にでもお師匠様にでも、あるいは矢三郎でもいい、
一人でいいから自分の気持ちを話せる相手がいたなら、
こんなにこじれることはなかっただろうし、
彼女自身二度も敗北するようなことはなかったでしょう。
しかしながら百年前に二人の天狗が恋をした女性が、
弁天様の何にあたる人であるにせよ、
同じ顔の女に何度も心乱され歯がみし挙げ句街を巻き込んだ乱闘、
とまあ男天狗どものみっともないこともこの上ないので、
誰か一人が悪いという話でもないか。
お祖母さまの助言に従って矢三郎が波風立ててくれたおかげで、
膠着状態は思いの外早く解けたので、
あとは次の一手を各々が選ぶだけなのだけれど、
おそらく再び性懲りもなく意地を張るであろうから、
そこは三度矢三郎の出番、ということになるのだろうか。
獣に頼らずとも問題解決できる「偉さ」の発揮を期待しておこう。

矢二郎の旅立ちはとても寂しいけれども、
新しい出会いや恋の予感にはわくわくする。
矢一郎に玉瀾、矢二郎に星瀾、矢三郎に海星。
なるほど運命の赤い毛はあるのかもしれない。

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