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2016.03.05 (Sat)

過ぎる十七の春


過ぎる十七の春
(1995/3/28)
小野不由美

子供の上には、
あらゆるものが降り注ぐ。
愛も憎悪も、侮蔑も慈しみも、
等しく幼い心に積み重なっていく。

できるならば愛や優しさで、
子の生きる道が平らかであるように。
願いを込めて子を抱くとき、
女は母になるのかもしれない。


【More・・・】

十七歳の頃、何を考えていただろう。
その時々の不安や喜びさえ持て余しながら、
狭い世間を行ったり来たり、止まったり転んだり。
そうしているうちに十七歳は終わり、
十八になり十九になり、十代は過ぎ去った気がする。
なんてのは感傷と手垢まみれのただの思い出だけれど、
少なくとも確実なのは、今日が自分の命日かもしれないなんて、
そんなことを切実に感じた日は一日たりともなかったこと。
四十八十の自分を全く想像できなかったのと同じように、
明日自分の席に花が置かれる可能性など信じなかった。
今夜命を失うかもしれない覚悟する二人の少年を見ていて、
また、最後の手紙を書いているときの独白の中で、
つい典子と隆の結婚の心配をしてしまう美紀子の言葉を聞いて、
そもそも美紀子の望みはこんな状況ではなく、
十七歳の私が享受していたような平穏だったのだと気がついた。
子供を取り替えたり、自殺を強行したりという行動は、
この人の本質ではなく、母としての本能なんてものでさえない狂気だった。
自分も息子たちも今日明日の命の心配などすることなく、
遠い将来に対する不安と期待だけで日々を過ごしていくという望みは
疑心と不安に歪められ、怨念に引きずられて、叶わなかったけれど、
生き残った息子達の十八、十九、その先がそんな風に過ぎるなら、
彼女はあの母親のようなものにならずに済むだろうと思う。

一晩を境にして別人のようになってしまった隆を見ていて、
月の裏側」や「屍鬼」をそれぞれの顛末と共に思い出し、
あの隆は失われてしまったのかと一度はがっかりしてしまったけれども、
直樹の怒濤の踏ん張りで、二人とも正気に戻ってくれて安心した。
女の呪いは血とともに家系に刻まれたものだと思っていたので、
左手のアザを消せば乱心だけは防げるというのは予想外だった。
ということは彼女は管田の長男の誕生日に合わせて、
その都度やってきては痕をつけていたということで、
その執念、というかせっせとやって来る律儀さを思うと、
何世代にも渡って繰り返されてきた惨劇を横において少し笑ってしまった。
すり込まれた憎しみと母を思う気持ちの間で、
管田の長男たちが何度心を引き裂かれて敗北したかを思えば、
直樹が初めてそれを解いたことは、賞賛すべきことだと思う。
それにしても一世代ごとに長男と母を失いながら、
管田家はそれでもよく絶えずに続いてきたものだと思ってから、
叔父さんは自分の代で家を絶えさせようとしたのかとはっとした。
自分と両親が一度に死ねば、残るのは二人の妹のみ。
高い確率で家の名は絶え、呪いは終わるかもしれない。
狂気に飲み込まれながら叔父さんがその可能性を思って、
確実に両親を殺せるよう一際惨いことをしたのだとしたら、
呪いに打ち克った最初の一人は彼だと言うべきでしょう。
叔父さん、美紀子、直樹。人を思う人の強いことよ。

呪いが過たず目的を遂げ続けたという事実だけで、
子を奪われる痛み、守りきれなかった女の無念は、
想像するだけでも怯んでしまいそうになる。
吉と生みの母親の再会、その後の無残な死に様を考えると、
呪いの大元は母の無念でもその中には、
吉の思いもかなり取り込まれているのだと思う。
左手を握られた者の中に流れ込んでくる「息子」の思いは、
不遇のうちに育ち、人生を奪われた吉の思いそのものなんでしょう。
女が抱いていたのは子を奪った管田の家への憎悪だったはずで、
ならば呪いは家を完全に絶やす形になっても良さそうなのに、
十七歳で息子が「偽物」の母を殺す、というルールが遵守されるのは、
母ではなくむしろ吉の思いが強く出た結果なのかもしれない。
そのルールは管田の長男に自分と同じ思いをさせるという、
憎悪に基づくものだったと考えるのが自然だろうけれど、
吉の中に、管田の家に対する憎悪以外の何かが存在していて、
それが呪いの苛烈さを和らげたのではないかと思いたくもある。
弟、あるいは家の中の誰かとの間に温かい交流がわずかでもあったのなら、
それがブレーキとして働いた可能性はあると思う。
管田の家にも子を命懸けで思う母がいたことを知ったとき、
解けて消えたのは吉の思いの部分のような気がした。

兄の起こした惨劇を生き延びたあと、
呪いが追いかけてくる不安を抱えながらも、
二人きりの姉妹は二人ともそれぞれが伴侶を見つけ、
子を成し育て、できる限りの方法で子供を守りきろうとした。
呪いから完全に逃れる唯一の方法が、
子供を作らないことであることは分かっていただろうから、
その選択肢について夫婦が話し合ったこともあったのではないかと想像する。
でも姉妹は決して楽観的で希望的な観測からではなく、
各々の人生の幸福に手を伸ばすことを恐れず、
必ず子供も幸福にするという覚悟をもって産む決断をしたのだと思う。
あの電話で、姉妹は同じその思いを確認し合った。
やはり妹には相談すべきだったろうという点を無視すれば、
美紀子のとった方法は安全策として良い手だったと思う。
結局呪いは二人を捉えてしまったけれど、
姉妹が17年をかけて育て上げた息子たちは、
手紙がなくても生き延びる道を見つけたような気がする。
隆の冷静さ、直樹の行動力、何より二人の家族への思いの強さは、
美紀子と由岐絵が呪いのことなどおくびにも出さずに、
我が子に与え続けたものの成果でしょう。
驚くほどに聡い典子も含めて母が誇るべき子供たちだと思う。

妾腹の子で、しかもあんな最期だったなら、
おそらくあの石は吉とは全く繋がっていない。
それでも空手にかき抱く何かを拾わずにはいられない。
母であること自体が一つの呪いのように見えてしまうのは、
いまだそうではない者だからこそなのだろうか。

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