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2016.05.03 (Tue)

雨夜の月


雨夜の月
小松エメル
(2015/7/13)

心の中に何があるのか。
見透すことは難しい。
他人のそれも自分のそれも、
「本当」を隠したがる。

だから猫は耳をすまし、目をこらす。
長い命だけでは「本当」に触れない。

【More・・・】

同じ親から生まれ、同じ家で育った兄弟でも、
全く異なる価値観をもつに至ることはままある。
育った環境は人間のほんの一部だし、
「同じ血」なんてものも科学的には幻想に過ぎないけれど、
だとしても他人とも、また親とも違う繋がりが、
どこかにあるという感覚をかつては確かに持っていた。
小さな頃は確信に近かったその感覚は、
長じるにつれて様々な思いが混ざって薄まっていき、
多分私よりも他人の方が今は兄弟をよく分かっている。
それでもたまに兄弟に会った時にはその度に、
この人は良くも悪くも他人には成り得ないのだと確信する。
おそらくは親よりも長く、愛しい者よりも遠い場所で、
同じ時代を別々に生きていくのが兄弟なんだろうと思う。
椿、小春、義光の兄弟が共に、それぞれに生きる百年余り。
ただの猫だった時代のわずかな時間しか共有していない兄弟は、
反発し、嘲りや憎悪を向け合い、時には血を流して戦いながら、
理解し合う日など誰一人望みもせずに各々勝手に生きている。
そこには困った時に助け合うような兄弟愛はないけれど、
心の中の共通の風景一つ、それさえあれば、
たとえ殺し合うことがあっても、兄弟でいられるのだと思った。
別の方向を見ながら同じ木に集う兄弟猫の姿は寂しいけれど正しい。

三毛の龍という化け猫が経立を経て猫又になるまでに、
何があって偽物の首を長者に差し出すことになったのか、
逸馬とどんな時を過ごし、兄弟たちとは何があったのか、
その辺りのこれまで語られてこなかった過去の物語が今回のお話で、
まだ人と交流したことのない、化け物然とした小春は、
強さと自由だけを求めている分純粋に迷いがなく見えて、
喜蔵といる時の小春は確かにとても人間臭くなっているんだなあと、
本人が時たま嫌がっていたのが何だったのか今更分かった気がした。
とはいえ兄弟、特に椿から見ると、
二は強い一方でどうしようもなく甘い、らしいので、
相手が逸馬のような弩級の優しい男でなかったとしても、
いくらかの時間を共に過ごした相手の首を取って食うなんて、
そもそもが無理のある話だったのかもしれない。
自分よりも人間に対して何の感慨ももっていなかった兄と弟が、
それぞれの縁の下で人への情を募らせ、そして別れ、
その後に別々の道を選び取った様を目の当たりにして、
小春は自分が抱いていたものを認めざるを得なくなったわけで、
ということは喜蔵に出会い、共に過ごすうちに自分に何が起こるのか、
最初の時点から小春は多分分かっていたんだろうと思う。
別れる痛みも、ずっと同じ時を過ごせはしないことも知っていた。
それでも離れられず、事件の度に迷い続けていたのだから、
直情的に見えて、全く考える猫とはキミのことだったのか、小春。

逸馬と時を過ごすことによって小春が変わったように、
義光と椿も人間の傍でただの猫として生活するうちに、
それ以前には思いも寄らなかったものを自分の中に見つけた。
小春のそれは元から性質として備わっていたものでもあるとしても、
義光と椿の場合はそんなものは欠片ももっておらず、
常磐や右京と関わる中で初めて生まれた思いだったのだと思う。
だからこそ二人はその相手である人間が死んでしまうまで、
自分の中にあるものが何なのか気づくことができなかった。
喪失と共に自分の心に気づくなんてことは、
文字にしてしまえば陳腐な場面になってしまうけれど、
あの強く冷たく、軽やかに人と妖の世を渡り、
弟たちを憎しみ合わせて遊んでいたような椿が、
涙を落とす以外何もできなくなってしまう様を見てしまえば、
その衝撃と痛みの大きさが想像を絶するものなのはよく分かった。
自分の手で首を落とすことにはならなかった点は同じでも、
義光は首を喰らうことを選び、椿は首を弟に渡すことを望んだ。
その違いはそれぞれと主人との関係の違いでもあり、
妖としての本分云々は関係なく、
ただ自分が何を望む者であるかに突き当たった結果なのだと思う。
小春は幸運にも逸馬を死なせる前にそれに気づく機会があった。
そうでなかったなら、その時小春はどうしただろうと考えて、
きっとどういう形でも生きることだけは選び続けるんだろうななどと、
三者三様の兄弟の有り様に思いを馳せた。

一方首を狙われているとも知らずに猫と暮らした飼い主たちは、
誰も彼も自分の命や人生を諦めつつある人間で、
この兄弟がその手の人間に引き寄せられてしまう性質なのか、
あるいはただの猫と妖の境にいる経立というものが、
同じように淡いにいる者に波長が合ってしまうのか、
命を取るために近づいているのに、
その過程で三人とも飼い主たちを長らえさせているというのは、
一体誰の、何の因果なんだろうなあと思った。
結果的には逸馬以外の飼い主は死んでしまったし、
その最期も幸福なものだったとは言いがたいけれど、
わずか一年程度の時間とはいえ、温かな獣に傍にいて貰えたことは、
彼らの心に塗り重なった悲しみや寂しさの幾枚かでも、
確かに剥ぎ取ったように見えた。
義光に出会わなければ常磐の凶行はもっと早くに破綻し、
右京に出会わなければお家の末路も違ったかもしれない。
一匹の猫の出現によって不幸に見舞われた者もいる。
それでも相手が尋常の猫ではないと知ってさえも、
共にいてくれたことに感謝するような関係を築けたことは、
化け猫と人間の飼い主、両方にとっては幸運だったのだと思う。
本当は逸馬のようにその幸運がひ孫まで続いたならと思うけれど、
それを背負うには伊周夫婦と右京の傷は重すぎたのかもしれない。
長い時間が失った痛みに喘ぐ化け猫の傷を癒やしてくれればいいと思う。

これで過去の話はおそらく一段落。
幼子同然となった小春がどんな風に人と関わっていくのか、
しばらくは穏やかに日々が過ぎることを期待している。

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