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2016.05.11 (Wed)

水底の棘 法医昆虫学捜査官


水底の棘 法医昆虫学捜査官
川瀬七緖
(2014/7/18)

人が罪を重ねるのは、
何が正しいか分からないからではない。
正しいと分かっていることを、
その瞬間に選ぶことができないからだ。

美しく尊いものが、
正しいものを選ばせるとは限らない。


【More・・・】

身の回りの品を何も持たない状態で、
もしも何かの拍子に出先で死んでしまって、
さらに身体の発見までに長い時間がかかったなら、
私の身体は私だと分かって貰えるだろうか。
歯医者には何年も行っていない。指紋の登録もない。
個人が特定できる装飾品をつける習慣もなく、
身体の特徴と言えば精々いくつかの手術痕だろうけれど、
それも特別珍しい術式のものではない。
残る可能性は失踪時と発見時の着衣の照合か。
それも失踪に気づき捜索願を出してくれる人がいなければ難しい。
変死体が誰なのか、という一点を明らかにするために、
細かな情報の細い糸を辿る捜査員たちを見ていて、
人間の身体だけから個人を特定することは、
不可能ではないにしろ大変な労力を要する難事なんだなあと、
自分の身体をしみじみと眺めつつ思った。
身体は人生の最後に置いていくしかないものとはいえ、
それが個人を特定する絶対的なよすがになり得ないというのには、
やはりどうしても無常を感じてしまう。
ただ赤堀と大吉が語る虫の世界の美しいサイクルに参加できるなら、
それが私であったことを覚えている人に葬ってもらった後は、
彼らの養分になるのも悪くないかもしれない。
もちろん、公衆衛生のために、土の中で。

なかなか現場や解剖に立ち会わせて貰えないのなら、
いっそ発見者になってしまえ、という訳でもなかったけれど、
結果的に全く人の手が入っていない形で、
初めて遺体をじっくり見ることができたので、
さぞや虫のささやきがよく聞こえて赤堀はほくほくだろうと思いきや、
人間の遺体のもつ重さに耐えながら、
必死に目を凝らし耳をすまそうとする彼女の様子に、
虫に対する愛と関心が人よりかなり過剰なだけで、
生死に対する感覚はごく普通に持っているのだなあと思った。
いやこれまでの拓巳や被害者に対する姿勢を見れば、
彼女が興味や研究本位で捜査に参加しているわけではないことは、
今更改めて認識を改めるようなことでもなかったか。
ただ虫の生態や現象に関心があるだけなら、
意図的に生み出された死体なんて特殊な環境を見るために、
わざわざ面倒ごとの多い警察組織に参加する必要はないし、
そもそも法医学に関わる意味もないだろうと思う。
にも関わらず、学問的な遅れや組織の壁と戦いながら、
赤堀が一人で法医昆虫学の旗を振り続けるのは、
犯罪を憎み被害者の無念を思う志があるからなんでしょう。
震える身体を叱咤して自分の武器である頭脳を稼働させる赤堀は、
まぎれもなく犯罪に挑む捜査官に見えた。

なぜそこでどうやって死んだのかは、
それが誰なのかが分かって初めて突き詰めることができる話で、
マサキという男に辿り着くまでの捜査の地道さを見ていて、
実際の事件・事故の捜査の大半は、
こんな風な作業、作業、作業、聴取の連続なんだろうなあと想像し、
警察関係者の方々の常日頃の努力に頭が下がる思いがした。
それにしても虫の捕獲・同定のスキルだけではなく、
ダイビングの技術も持っていたとは、
赤堀の冒険家じみた手広さには感心してしまう。
さすがに海洋の生き物にはそれほど通じていなかったようだけれど、
多分彼女はこれを機にそちらの方にも手を出すんだろうと思う。
遺体が水の中に遺棄されたなら、
分解の主役になるのは爬虫類、魚類、水棲昆虫になるし、
それが海なら大型の蟹なんかも範疇に入ってくる。
クモやヘビにも詳しいところを見れば、
法医昆虫学は厳密に昆虫だけを対象にするということはないだろうし、
そんなところで線を引くような狭量さは、
赤堀には全く似つかわしくないだろうと思うので、
数年後には検死に関する知識も数倍になっていたりする気がする。
賢い頭脳に飽くなき興味、行動を支える体力と羞恥心の欠落。
着々と犯罪者の脅威が育っていくのが楽しくて仕方がない。

明確な殺意と計画があった上で起きた事件なら、
理詰めの非難を浴びせることは簡単だろうけれど、
今回の事件の根本は偶発的な事故で、
水森兄弟の軽率な判断が決定打になったとはいえ、
こうなることを望んだ人間は一人もいなかったことを考えると、
もう少しマシな幕引きに至る選択肢はいくらでもあったはずなのに、
どうしてそちらを選べなかったのかと、
殺してしまったことよりもそのことの方に怒りを覚えた。
真実に辿り着いた時の赤堀もそんな気持ちだったのではないかと思う。
ただ、兄弟が更なる罪を重ねることになった結果から見れば、
組合長は事実を知った時点で通報すべきだったのは明かだけれど、
人生を世話するつもりで引き受けた若者が誤った選択をし、
それが彼らの人生の大きな傷になり、
さらには家族さえ破壊してしまう可能性さえある重大事なら、
「守るため」という言葉が強く響いてしまったことに対して、
正面から非難する勇気は私にはない。
もちろんそのために二人の刑事が死んで良いわけもなく、
心配と怒りと悲しみで頭の中をぐちゃぐちゃにしながら、
赤堀がした判断は完璧なものだったと思う。
事件後に兄弟に会いに行くとき、赤堀は多分拓巳のことも思っている。
まだ手を差し伸べられることは彼女にとっても救いなんだろうと思う。
彼らが戻ってくる日を奇特な昆虫学者が待っている。

乾燥アリをスーハーする刑事は、
捕虫網を踏み回すヘルメットの女くらい怪しいと思う。
鰐川が段々二人の保護者のようになってきたなあ。

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