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2016.05.17 (Tue)

鬼流殺生祭


鬼流殺生祭
(2002/6/15)
貫井徳郎

大切なものは仕舞っておこう。
塀の内側、家の中、納戸の奥、
血を分けた者だけが触れる場所に。

それが家を軋ませて、
やがて血が流れても。


【More・・・】

家や血筋を何より大事に守るべきとする感覚を、
身近なものとして持っている人間は、
現代ではすでに少数派になっているだろうと思う。
家業という意味でなら繋ぐべき技術や伝統は多くあるけれども、
どうしても残さねばならない家柄も家業もない人間からすれば、
守るべき家とは個人から成る家族以上のものではなく、
名字でさえチーム名程度の意味しかない。
そういう感覚で生きているところからすると、
霧生家の人間が家の囲いの崩壊を必死に止めようとする姿は、
文明開化が始まったばかりの頃とはいえ、
いかにも時代に取り残されつつあるように見えた。
けれど彼らが本当に守ろうとしていたものが何だったのか、
家の中に何を隠していたのかが明るみに出たとき、
その抵抗は本質的には家族の一人一人を守ろうとすることと、
何ら違いがなかったのだと気がついた。
少なくともその慣習を始めた最初の世代は、
まぎれもなくそのために嘘をつき血の流出を禁じたのだと思う。
武士の時代が終わり、新しい物と価値が大量に流入するなかでは、
血の団結などじきに必要なくなったはず。
そうと気づいた者がもっと平和に家を開けたなら、
こんなに人が死ぬことはなかっただろうと思うと残念でならない。

朱芳が推測しているように、
霧生家の信仰がもはや最初に伝来した信仰とは、
大きく異なるものに変容していたのだとしても、
もしもそれが明詞の時点、貞道の世代辺りで廃れ果てていたのなら、
事件はどんな風に変わっただろうか、などと、
一つの家の中で起きた事件のあまりのひどさについ考えてしまった。
もちろんそうなればそもそも信仰を共有する者同士の婚姻が成立せず、
家系図が大きく変わっていただろうから、
事件自体が起きなかった可能性が高いわけで、
その前提で考える意味は全くないのは承知している。
ただその上でもしも婚姻関係が変わらず、
個々の事件で関係者の行動を規定した「信仰」のみがなかったなら、
死なずに済んだ人がいたのではないかとはやはり思う。
耀の病死は避けられず、となれば貞道は凶行に及び、
吉が命を絶つところまでは変えることができないけれど、
赤子は生まれなかったかもしれず、
となればお蝶さんは正純を愛することはなく、人殺しにもならなかった。
それが愛する人を殺すことより幸福なことかどうかは分からないし、
いずれにしろカツの憎悪は佐和に向いていただろうから、
結局は呪いが別の形で発現しただけのことかもしれない。
信仰の救いの出る幕もない惨事に頭を抱える。

あからさまに家や因習に反発を示していたのは、
正純や史郎といった若い世代だったけれど、
近しい血縁での婚姻を続けてまで霧生家が隠そうとした信仰は、
カツの時点ですでに現実への力を失っていたように思う。
カツが佐和とそれに連なる血族を憎み続け、
貞道が自身の感情と欲望を抑えることができなかったのは、
それらの業に対して彼らの信仰が無力だったからに他ならない。
教えの定める禁忌のために強い罪の意識に苛まれたお蝶さんは、
そのために人を殺すほどに忠実な信徒だったのだと、
悲劇的に見ることもできるかもしれないけれど、
結局のところ彼女もその父や祖母と同じように、
自分の情動を制御することができなかっただけのような気がする。
本当に兄妹で契ったことを罪と思うなら、
二人で告白と贖罪に臨み、父にもそう求めることが、
おそらく彼らの信仰にとってもあるべき選択だろうに、
彼女はその時々の感情のままに人を殺し、自分にも刃を向けた。
半陰陽に生まれ、祖母の悪意にさらされた人生には、
大いに哀れむ点があるのは間違いない。
でも事件の渦中の彼女は正しくはなかったと思う。
罪を告白すべき真っ当な神父役がいてくれれば良かったのに。

友人の死の真相を明らかにするという大義名分が、
あっという間にほとんど興味本位のお節介になったりと、
ワトソン役たる九条くんの凡としたキャラクターは、
どんよりと湿って歪んだ霧生家の事情に踏み込むにあたって、
箸休めのようでとてもほっとするものだった。
友人知人の心情を思って怒ったり悲しんだりする一方で、
自分の興味のためにはどこまでも図々しくなれる性格は、
日の下を歩けない吸血鬼のような朱芳が探偵役をやる上で、
思いがけない事情や感情を拾ってきてくれるという意味で、
とても有能なワトソンくんだなあと思う。
まあ朱芳自身は探偵役などやる気は全くないし、
九条くんにワトソンにもなって欲しくなかったようだけれど、
良かれと思って事件を引っかき回してしまった友人のために、
渋々夜の闇の中へ出かけて行く朱芳の姿には、
どこぞの黒衣の拝み屋をついつい思い浮かべてしまった。
埃のたとえ話で言えば友人が埃の一つになってしまってさえ、
できる限り襖の向こうへ踏み込むまいとする朱芳は、
襖を開けたからには場の全員の憑き物を落とそうとする男とは、
その立ち方が大きく異なるように思う。
もし最初から自身が室内にいる事件が起きたら、朱芳はどうするだろう。
多分勢いよくばたばたと九条が襖を開けてくれるから、
その時はごく冷ややかに「ありがとう」を言ってほしい。

主人には忠実で、ちゃきちゃきの江戸っ子で、
寡黙で真面目一辺倒の夫について、
娘のようにはしゃいで話すお時がとても可愛かった。

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