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2016.05.19 (Thu)

赤い小馬


赤い小馬
(1988/6)
スタインベック

どんなに策を巡らせても、
最善を尽くしても、
一番ひどい悪夢はやってくる。
そういう日が人生にはある。

その時きみは、どうするだろう。
ヨモギの原と山脈の狭間で、
10歳を生きるきみは。


【More・・・】

10歳の頃の英雄は、一つ年上の男の子だった。
その子はしならせたりんごの枝の間にたこ糸を張って、
狙って命中させることもできる見事な弓を作り持ち歩いていた。
矢の風切り羽や木の刀の柄まで器用に細工していた。
そういうことを人に自慢することなく、
頼めば誰にでもやり方を教えてやるような子でもあった。
私は武器に関することなら彼が万能であるような気がして、
放課後は彼について回り、次々と技術を教わった。
けれどある時から突然彼はそういう魅力的な武器作りをやめ、
私たちの遊びの輪からも離れて行った。
赤い小馬が死んでしまって以降、
ジョーディがビリーの言葉を信じ切れないでいる様子を見ていて、
ふとあの男の子のこと、離れていった彼に失望した気持ちを思い出した。
彼が当時何をどんな風に思っていたのかは分からないし、
離れていったのもただ年上の少年が一足早く成長したという、
それだけのことだったのかもしれない。
ただ、あの頃私にとって放課後の英雄はまぎれもなく彼で、
そしてそれは11歳の少年には重荷だったのではないかと今は思う。
どんなにその分野に秀でた人にも試行錯誤があり、
時には最善ではない判断をすることがあるのだということを、
10歳の私は全く理解していなかったし、事実を見ようともせず、
ただ完璧な結果をスマートに示すことだけを求めていた。
少年の信頼を二度と裏切るまいとしながら、
信頼と不安の間で揺れるジョーディに苛立つビリーに謝りたくなった。

小馬の成長を一日一日と楽しみに見守り、
背にまたがる日を夢に見るジョーディの視点で牧場を見回すと、
ヨモギの丘と巨大な二つの連邦、それらに抱かれた牧場が
何よりもきらめいて広大に見えた。
学校以外の全ての時間を牧場の周りで過ごすジョーディは、
その中に存在するあらゆるものの表情の中に、
世界からの祝福や警告を読み取りながら生活している。
水を溢れさせる桶の清らかさ、それ対照的な豚を吊す木の禍々しさ、
父親への畏れと不満、母や祖父への慈しみ、ビリーへの信頼。
描写される情景はどれもジョーディの固有の思い出だけれど、
この牧場にはいつか行ったことがあるような気がした。
それはおそらくジョーディの視野の広さが、
10歳の自分の世界とぴったり同じに感じるからなのだと思う。
あの頃草木との距離は今よりももっと近く、
動物の毛づやや臭いもずっとはっきりと感じていた。
その分だけ世界は狭かったはずだけれど、
その大きさでさえ手に余るくらい日々刻々と変化があった。
思い出による補正も考慮にいれたとしても、
ジョーディの世界、子供の視野というものを、
見事な距離感で描いた書き手の技量に感服する。

一方でジョーディの両親や祖父の世代の思いそのものは、
はっきりとした言葉で語られることはなく、
少年が感じている悲しみや恐れの中に、
ただぼんやりと映し込まれるだけに留まっている。
にも関わらず、その時ばかりは少年の視点を離れて、
彼らの思いをはっきりと感じることができるような気がした。
血濡れた手で小馬を差し出した時のビリーの昂ぶりも、
もうここには長くはいられないと言った祖父の虚しさも、
また弱っていく小馬のために心あらずの息子を見守る母の思いも、
ジョーディ少年がその時にはまだ捉え切れていない感情が、
視界の中、思い出の中には確かに残っている。
ただ当時の自分の姿や思いを美しく閉じ込めるだけでなく、
その時は理解できないままに見ていたものの中に、
自分以外の人間の思いを残しておく力が思い出にはあるんでしょう。
これが事実自伝的作品であるなら、
ここで描写される大人たちの表情や言葉に現れているものは、
おそらく書き手が思い出の中から見つけ出したものなのだと思う。
そこにあるものの意味を理解できるようになるまで、
どんな思い出も取っておくべきなのかもしれない。

もしもビリーが正しく雨の気配を読んでさえいれば、
小馬は死なずに済んだかもしれない、というのは、
ジョーディの期待の大きさを考えると、
そのためにビリーを責めたくなるのも仕方ない。
でも、ただ一つの過ちさえなければ、という悔しさは、
大人になった多くがその身で経験して知っていることで、
ジョーディは赤い小馬という形でその最初の一回を経験し、
その怒りのやり場などどこにもないことを、
ハゲワシを殺した時に知ったんだろうと思う。
鳥に暴力を振るうことしかできないジョーディの胸のうちに、
その時どんなものが渦巻いているのかを、
父もビリーも経験的によく知っているはずで、
だからこそビリーはジョーディに好きにさせてやったんだと思うけれど、
それでも息子の手が血に染まるのを止めようとする思う父もまた、
親としてとても正しい在り方だと思う。
学校から帰ってきては一人で遊んだり手伝いをこなすジョーディは、
やや寂しい思いがあるのではないかと想像するけれど、
少年には両親にビリー、祖父に動物、ふいの訪問者、と、
多くを教えてくれる教師が身近に多くいるし、
経験から考え学ぶ心も順調に育まれているように見える。
やがてスタインベックへと育つ少年の成長が頼もしい。
なんて一体誰目線なんだろうか。

これから小馬を調教し乗りこなす少年なんて、
友達の輪の中にいたら羨望ごっつ盛りになると思う。
ジョーディは何を差し出せば乗らせてくれただろう。
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テーマ : 読書感想 - ジャンル : 本・雑誌


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