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2016.05.24 (Tue)

虐殺器官


虐殺器官
(2014/8)
伊東計劃

心は脳の中にあり、
脳は身体の中にある。
駆動する身体を命と呼び、
命と心は分かち難い。

膨大な死者の前で、
そんな言葉は無力だ。


【More・・・】

現存する全ての生物は進化の末端にいる。
その軌跡を表す樹形図を初めて目にしたとき、
すでに滅び去った多くの生物に対して、
憐れみとわずかな優越感をもったことを覚えている。
ぶつりと途切れた線は彼らが選択に失敗した証であり、
今も進化を続けることを許されている種の一員であることは、
誇っていい事実のような気がしたのだと思う。
けれどもちろん誇るべき事実も恥じるべき選択も進化には存在しない。
進化とは偶然の重ね合わせのあとに生じる結果に対して、
あくまで現在の位置から名付けただけの刹那的な言葉でしかないし、
その結果を評価する立場にある者などどこにもいないのだから。
現在の生物学が掲げるそういう基本的な考え方に頷く一方で、
虐殺という現象、現象と呼ぶのもおぞましい行為について、
ごく理性的な言葉で語り、その種を播くジョンの言葉を聞いていて、
個人の選択とは、意思とは一体何なのだろうかと考え込んでしまった。
個人の選択は進化の「意思」の虜などではない、とは思う。
でもどんな個人の脳も進化の末端に位置する以上は、
特定の構造、モジュールというやつを離れて思考することはできず、
さらにはもしも本当にそこに虐殺の調べに反応する器官があるなら、
多くの命を奪うという重大であるはずの選択でさえ、
個人の意思とそれに伴う責任は土台を失ってしまう。
それは考えたくもないほど恐ろしいことであるような気がする。
虐殺の王とその追跡者の問答に頭の中を掻き回された。

虐殺とは個体数を減らす行為に他ならず、
いくら人間の総数が数万程度の損失では、
すぐには存続が揺らがない域に達しているとはいえ、
数の減少は多様性の減少そのものなわけで、
それはやはり種の存続に危険を及ぼすものだろうと思う。
虐殺の文法とそれに反応する脳の部分が、
競合する形で残されたモジュール、時代遅れの機能かどうかを、
ジョンは結論を出せないでいるようだけれど、
そもそもそんな機能がどんな必要で生まれるのか分からない。
いや、生物の性質が必要によって生まれた、という考え方自体が、
進化に必然を求めたいと願う偏った感覚の産物か。
別の、もっと生存に寄与する機能を世代の間で継いでいく過程で、
それは分離しがたく残ってしまっただけ、なのかもしれない。
虐殺の文法などもたないヒトに近い生物が、
それ以外の環境に不適応な形質をもっていたために、
現在のヒトとの競争に敗れ滅んでいったのかもしれない。
いずれにしろジョンにとって虐殺の文法で言葉を唱えることは、
進化だの脳の機能だのという科学的な信仰とは、
切り離されたものだったのだろうと思う。
ジョンは選んだ。人間の命に自ら価値を加えて天秤にかけた。
進化の末端で個人の意思は完全に自由になり得る。
膨大な数の人間を死に追いやった男の「動機」に、
そんな希望を見せられた気がした。

一方でジョンの追跡者である大尉は、
自分の意思と責任の所在に惑い続けている。
ストレスで壊れてしまわないように、
科学的、心理学的な処置で痛みを鈍麻させ、
任務と命令に何よりも重きを置いて戦う自分には、
人間を、子供を撃ち殺す罪を背負うに足る存在なのか、
母親の死にイエスと答えた時の自分はどうだったか。
虐殺をまき散らす男を止めるために世界各地に降下しながら、
大尉は問いを膨らませ、迷いを大きくしていく。
その胸のうちにある赦されるために罪を背負いたいという願いの切実さ、
それでも抜かりなく任務を遂行できてしまう残酷さを見ていると、
大尉ジョンとルツィアに入れ込んでしまうのも仕方がないように思った。
ただ虐殺を受け入れ実行する器官がジョンで、
それを止めたり忌避したりする良心を大尉として見れば、
彼らが世界を舞台にやっていることは、
ジョンが言うところの感情のモジュールの競合そのもので
ジョンと大尉の関係は人間の脳のリサイズ版なのだとすると、
そこに浮かび上がるのはより残酷な画になる。
大尉に施される様々なメンテナンス、心身を鈍麻させる施術は、
文法が十分に染みた脳内で良心にかぶせられるキャップと読むことができ、
意思を持ち、罪を背負おうとする二人の男はどちらも、
より大きな虐殺の文法の中の一つのフレーズでしかなくなる。
逃げ場のない構図の見事さ、その絶望のなんと甘美なことか。

裏切りの最中に妻子を失ったジョンにとって、
虐殺をばらまくことで守りたかった愛する世界とは、
愛する者が生きている場所のことではない。
それはおそらく大尉が帰っていた場所と同じなんだろうと思う。
だとしたらジョンが大量殺戮者の道を歩み始めたのは、
サラエボで核の穴の縁に立ったときではなく、
その後の引きこもり生活の中でのことなんでしょう。
汚れた大地の底に焼き付けられた大量の死でさえも、
自身の外側に置いて平穏を保てる普遍的な世界。
ジョンにとってそれは守るべき最後の楽園に見えたのだろうか。
命を測る基準は数しかないと思うけれども、
それは単にそれ以外の基準では他人と共有することができないからで、
共有する気もその必要もそもそもないのなら、
命の重さはどんな基準でも測ることができるとも言える。
ジョンの基準は明確だった。だからこそ膨大な死を作り出し続けられた。
でもジョンから虐殺の文法を受け継いだ大尉は、
自分の言葉が引き起こす死とその外側で生まれる平穏を、
しっかりと測り、見極めた上でエディターを使ったようには見えなかった。
大尉はただ明確に自分の意思を感じられる行為と罪を、
背負うことを望んだだけのような気がする。
そこにはジョンと、自分から痛みを奪った社会への復讐も含まれている。
大尉を赦す言葉か銃弾が早くどこかから降り注げばいいと思う。

クジラやイルカの肉で覆われた最先端機器の数々。
血が巡りながら命とは言いかねる肉に守られて、
殺し合う戦場はまさに地獄のようだろう。

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