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2016.06.12 (Sun)

妖琦庵夜話 グッドナイトベイビー


妖琦庵夜話 グッドナイトベイビー
(2016/4/23)
榎田ユウリ

触れたものの色を吸い、
心は少しずつ最初の色を失っていく。
身体がそうであるように、
垢もたまれば、痕も残る。

白いままで生きることは、
きっと正しいことではないのだろう。
世界は色で満ちているのだから。


【More・・・】

ビリー・ミリガンと一連の事件について、
ダニエル・キイスが著したものを一通り読んだ後でさえ、
多重人格というものをどう捉えればいいのか、
はっきりとした答えは得られなかった。
大きすぎる心身の苦痛から逃れるため、
それを「担当」する人格が生まれる、というのは分かる。
ただビリーのように二十人以上が存在するところまでいくと、
その理屈にはもう無理があるような気がしてしまい、
結果、多重人格に何か神がかり的な要素を見出したくもなる。
それほどに彼らは一人一人重みのある存在に思えた。
けれどそれは一つの肉体の上に表れる人格の一つ一つを、
まるまる一人分として見てしまうがための勘違いで、
どれほど詳細な「過去」や「人生」を語るとしても、
彼らはやはり人数分の一の存在、心の欠片なのだと今は思っている。
心が修復不可能な形に砕け散らないように、
せめて綺麗に割って名前と過去をもたせて表に出し、
そうして残りを奥にしまっておこうとしたのがその始まりで、
必要に迫られて心を割るときに別の欠片が多く出来てしまったとき、
ビリーのように多人数の「担当」をもたない人格が、
敵対さえしながら同居するような事態になるのかもしれない。
何の専門家でもないけれども、多重人格がそんなものだとすれば、
マメの心は幼い頃のどこかの時点で、
ぱきりと綺麗に二つに割れてしまったということなんでしょう。
今回荒々しく暴力を厭わないトウが表に出てきて初めて、
一人の小豆洗いの青年に会ったような気がした。

ビリーがそうだったように多重人格の「治療」が最終的に目指すところは、
人格の統合で、そのためには人格間の協議と合意が必要になる。
それはつまり一つの身体を共有する者同士が、
自分と相手が同じ存在だったことを思い出し、
その上で相手を受け入れるということなんだろうと思う。
元は一人の人間から生じたとはいえ、
少なくとも本人たちの自覚の上ではまぎれもない他人である「同居人」を、
自分と同じほどに受け入れるために越えなければならない抵抗を想像すると、
この病気の治療が一朝一夕で行えるものではないことが良く分かる。
トウを綴じることがマメとトウにとって最善ではないことは、
最初からマメとトウの両方を家族にしようとした伊織には、
十分に分かっていたことだろうと思う。
それでも、反社会的で自分自身をも傷つけるトウを綴じなければ、
新しい家族を家族にすることさえできないと考えたからこそ、
伊織は最善ではないそれを選んだということなんでしょう。
トウを綴じる為の言葉の優しさに、
そうせねばならなかった伊織の苦渋が滲んでいる気がする。
形の上のこととはいえ家族を拒むという行為は、
青目という弟を身内から弾かねばならなかった過去を考えると
伊織にとっても辛いものだったはずで、
トウを含めたマメを家族の内に留め置こうとする姿は、
弟にできなかったことをやり直しているようにも見えて悲しい。
今回青目が改めてマメを狙った理由は、
初めて純粋に、嫉妬だったのかもしれない。

妖人を取り巻く状況は相変わらず見通しが悪く、
柳沼さんの家族のような青目がつけいる隙は、
これからもいくらでも洗足家の中に持ち込まれるだろうと思う。
そしておそらく主はそれを拒むことができない。
それこそ家族を連れて山に引きこもる決断でもしない限り、
リスクが敷居をまたぐことを防ぐ術はないでしょう。
青目自身が自分の望みを見失いつつある様子を見ていると、
その考えの道筋を読みにくいという意味で、
危険はより一層増し、対処の方法は難しくなるかもしれない。
だから、今回巻き込まれたマメの母親似の女性には悪いけれど、
トウと混ざることでマメが灰色の存在になったことは、
意識の上で悪や危険に敏感になったと捉えれば、
そう悪いことでもない、むしろ歓迎すべき変化のような気がする。
それだけではなく、無垢の権化のようなマメは大変可愛らしかったけれども、
二十歳過ぎの青年が守られ愛されるばかりというのは、
やはり本人にとってもストレスフルで不自然なことだろうし、
何より一読者たるところとしては灰色のマメの方が魅力的に感じた。
初回特典のコミックペーパーのような感じで、
どんどんトウとの境目をなくしていけばいいと思う。

生まれ育ちは人間の全てを決めるわけではないけれど、
生まれ育ちの違いのために理解できない感覚、
あるいは感情というものは確かにあって、
それは色の見え方や味覚のように変えることも共有することも難しい。
自分の中にある不安を相談する相手として、
脇坂ではなく甲藤を選ぶマメを見ていて、それを強く思った。
安定した家族を知らず、暴力を隣人として育った二人の感覚は、
多分それを経験した者にしか理解することはできない。
その怯えも、「負けたくない」と言った甲藤の気持ちも同じように。
自分が幸福な家庭に育ったことを自覚し、
マメや甲藤のそういう悲惨な経験に向き合うとき、
適当なその場しのぎの言葉をかけたりせず、
「どう言葉をかけたら良いか分からない」と正直に思うだけ、
脇坂は正直で、本当に善人なのだと思う。
トウが脇坂を偽善者だと言ったのは、八つ当たりのようなもので、
マメとトウどちらの本音でもない気がする。
むしろ同情を誘う自分の演技に流されず、親しい者に嫌われるのも恐れず、
正しいと信じることを選ぶことのできる脇坂の善性が本物だと感じたからこそ、
トウはそんな風に在ることのできる男に嫉妬し苛立ったのだと思う。
だから多分、白いマメでもなく黒いトウでもなくなった新しいマメとも、
きっと脇坂は仲良くなれるし、上手くやっていけるでしょう。
自分の育ちや心の基盤の真っ直ぐさを恥じる必要などないのだよ、脇坂。

兄へのアプローチがだんだん危うくなってきているので、
一回自分が何をしたいのか青目くんは考え直した方が良いと思う。
食べたら人はなくなるんだよキミ。
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テーマ : 読書感想 - ジャンル : 本・雑誌


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