2017年06月 / 05月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫07月

2016.06.19 (Sun)

いのちのパレード


いのちのパレード
(2010/10/5)
恩田陸

最後の一人が倒れるまで、
私たちは進み続ける。
線路は途切れず、賽は振られ、
何度でもかたつむりがやってくる。

物語は終わらない。

【More・・・】

放射性同位体による年代測定等々の手法が影も形もなく、
世界が目と手の届く範囲に限られていた頃、
人間の始まりを語るのは神話の役目だった。
国作りがあり、栄光と破滅、そして救済があり、
宗教というものとも密接に関わりながら、
世代を経るごとにそれは一つの物語として完成していった。
そこでは現実には起こり得ないような現象がまま起こる。
一声で天地が動き、化け物が当たり前に登場し、
人間の存在はその肉体を越えて価値を持つ。
けれどそれはそういうものとして受け入れられる。
神話の中の出来事の非現実性に茶々を入れることは、
目が覚めてから夢の荒唐無稽さに憤慨するようなものでしょう。
世界はこういうものでも有り得たのだと、
十五篇の奇想小説を一篇読むごとに思った。
かたつむりが満ちる夜があり、蝶遣いが集う春がある。
そこにはなぜそうなのかと問う意味はない。
そういうものだからそうなのだと思考停止することこそが、
神話のような物語に相対する正しい姿勢なのかもしれない。
わずかに不安を帯びたようなどの世界も、
おそらくはそのためにこそ心地良く、気持ちが良かった。

奇想小説集と言って思い浮かぶのは「ブラック・ジュース」や、
愛に限った話であれば「変愛小説集」あたりの翻訳小説で、
日本の作家のものというと三崎亜記群の作品が最初に思い浮かぶ。
奇想の中に奇怪を含めて良いのなら、
小松左京や平山夢明の小説集もその範疇かもしれない。
いずれにしろファンタジーのような全くの別世界というよりは、
この現実世界が少しねじれたりずれたりした世界で、
そこでは当たり前、少なくとも想定し得る現象を描くのが、
奇想小説と言うことができるだろうか。
まあそんなジャンル分けに大した意味はないのだけれど、
十五篇をまとめて読んだ印象としては、
あとがきで述べられている通りの異色作家短編集そのものだった。
一人の作家に一貫した色合いのようなものは薄く、
そこを目指して一篇ずつ連ねていったのなら、
書き手の思惑は大成功なのだろうと想像した。
「夕飯は七時」のような明るいタッチのものは少なく、
ほとんどが薄くかすれた払いのような余韻の終わり方をするので、
その点では恩田さん一人の手によるものと言われれば、
確かにそうだなあと納得もできるという塩梅になっていてると思う。
欲を言えばもう少し毒や恐怖感のあるものも読みたかったけれど、
その役は別の長編小説に譲るということで我慢しておくとする。

「夕飯は七時」の明るく静かな混乱は大変楽しかったし、
「エンドマークまでご一緒に」のドタバタには笑ったけれど、
好みとしてはまさに神話のような「走り続けよ、ひとすじの煙となるまで」に、
抜群に惹きつけられるものがあった。
一つの民の栄枯盛衰が大地を疾駆する遺物の中で起こり、
その様子を神の視点で眺める物語なのだけれど、
彼らが殖え、広がり、栄華を極める過程よりも、
徐々に滅びに向かう衰退の段階に入った時の方が、
エネルギーに満ちて走り続ける箱との対比がより際だって、
一層の魅力をもっているような気がしてしまう辺り、
滅びの物語というのは特別な吸引力を持っているなあと思う。
しかし内部でいくつもの国が生まれる走り続ける箱というのは、
スケール感がいまいちピンとこないのも正直なところで、
一応の対照としては一隻で数千人が寝起きする軍艦を引っ張ってきて、
おそらくはそれがいくつも連結して動いているようなものとして想像した。
広大とはいえ限られた空間の中だけで国を運営するのは、
その構造が一直線で分岐が存在しないという点も含めると、
伝染病や紛争が発生したときにはとてもリスクが大きいと思われるので、
疾駆する国の衰退は始めから予定されていたとも言える。
と、そこまで考えてから、広大だけれど限られた空間というのは、
一個の星にも言えることかと気がついてはっとした。
回り続けよ、一筋の光となるまで。と言ったところか。

長く連なっている点が共通しているからというわけではないけれど、
「SUGOROKU」の世界の末期感にも強く惹かれた。
巨大すごろくというような何かのバラエティ番組のようなことを、
少女たちが人生を懸けてやっているような光景には、
どこを切り取っても悲壮感と呪術じみた不気味さが漂っていて、
アニやキキのような「あがり」への懸念がなかったとしても、
ひたすらその日を目指して頑張る少女たちのようには、
単純に明日に希望をもって進むことは難しいような気がする。
あがることで持ち帰ることができるものに希望として考え、
年頃の少女がこぞって参加したくなるほどには、
おそらくすごろくの外側の世界は荒廃しているのだろうし、
キキが恐れているような「あがった少女たちを使う何か」が、
その裏で行われているというのも事実のような気がする。
けれどその一方で、彼女たちが一日一日を行きつ戻りつ過ごし、
すごろくの部屋の中に降り積もる人生や思いのかけらが、
世界を支えている仕組みの要でもあるのではないかと、
この不可思議な連なりを俯瞰してみて思った。
あるいはすごろくを運営する者が探しているのはあがる者ではなく、
絶対にあがることができない者なのかもしれない。
そういう想像をどこまでも続けていきたくなる光景だった。

あらゆる生き物が連なる「いのちのパレード」。
もしも今ヒトが最後尾にいるのだとしても、
それはおそらく一瞬のことなのだと思う。

スポンサーサイト

テーマ : 読書感想 - ジャンル : 本・雑誌


10:17  |  恩田陸  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

コメントを投稿する


 管理者だけに表示  (非公開コメント投稿可能)

▲PageTop

Trackback

この記事のトラックバックURL

→http://acon6960.blog40.fc2.com/tb.php/650-68a07aee

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック

▲PageTop

 | BLOGTOP |