2017年08月 / 07月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫09月

2016.07.10 (Sun)

虚航船団


虚航船団
(1992/8/28)
筒井康隆

スマートでありたい。
兄が憎い。女が欲しい。
誰かを殺したい。
誰にも指示されたくない。

生ぬるく煮詰まった狂気を詰め込んで、
暗い宇宙を船は行く。


【More・・・】

頭がちょっとくらいどうかしていても、
なんだかんだで日常生活を送ることはできる。
多少の心の傾きや欠けやヒビは、
そういうもの、そういう人とみなされて、
大きく他人の生活を阻害したりしない限り、
問題として認識されることすらない。
他人のその程度の狂気をいちいち重大事にする人間は少ないと思う。
だから、もしもクォールへの降下命令が下されなければ、
文具船の乗員たちに蔓延していた狂気は、
ごくまれその中で命を落とす者が出るだけで、
それ以上の惨事に繋がることはなかったような気がする。
気が狂ったまま、頭がどうかしたまま、
どの文具も業務をこなしていくことはできたはずなのに、
圧倒的な力で鼬を殺戮したその果てに、
次々と死んでいく文具たちの末路を見ていると、
何もかもに意味がないような虚ろな気分になった。
それは虐殺の非道さゆえではないのだと思う。
鼬の千年の歴史にも鼬を殺す使命にも文具の感情にも、
そして全ての命令を下した巨大な船団自体も、
始まったから終わりまで続く、というだけの意味しかない。
そんな虚無に辿り着くくらいなら、
頭がどうかした文具たちの薄暗い日常をずっと見ていたかった。

巨大な船団の中の一船である文具船。
どこへ、何のために進んでいるのかも示されないまま、
気の違った、狂った、壊れた文具たちを満載して、
船は宇宙の闇の中を長い時間進んでいるらしい。
第一章でひたすら綴られるのは、
彼ら頭のおかしい文具のその狂い方について事情で、
船と同じようにこの語りがどこへ行くのか全く分からなかった。
コンパスのネジが緩んだりすることから考えると、
彼らは「文具の名を冠した人間」ではないし、
かといって手指や顔面があるらしいので、
「人格がある文具そのもの」というわけでもないようで、
実体としては巨大な文具ににょきにょきと手足の生えた、
幼児向け番組に出てくるようなキャラクターなのかもしれない。
そういうイメージで彼らの狂気にまつわるエピソードを読むと、
殺人狂だの色情魔だの言うなれば多重「同一」人格の雲形定規だの、
社会生活を普通に送るのは難しそうな者も多くいて、
自殺者や船外への追放なんて物騒なことも起こるのに、
何か奇妙な明るい劇を見ているような気分になり、
「狂気」という言葉の持つ切迫感は全く感じなかった。
ただこの船の誰も幸福ではないのだとは一章を通じて思っていた。
「流刑地」はクォールだけではなかったのかもしれない。

二章では一転、クォールという星での鼬族の歴史が語られる。
テンやオコジョ、グズリなどの十種の鼬の千年の歴史は、
地球の人間の歴史を倍速でなぞるように進むけれど、
ただ一点大きく違うのは種の違いが繁殖の是非に関わる点で、
特に古代から中世までは一代雑種か純血か否かが、
王政の進む方向を左右するという事態が頻繁に起こる。
様々な思惑から雑種の王を選んだり避けたりといった政治は、
とても生々しい一方で滑稽にも見えて、
食ったり食われたりが同族間で普通に起こる血生臭い歴史の中で、
唯一微笑ましいものであるような気がした。
近代になればなるほど鼬の歴史が人間の歴史に近づいていくのは、
多分科学の力によってその繁殖に関わる障害がなくなったからで、
結局は毛深い鼬も生剥けの人間も同じものだったということか。
船団の司令船が文具船に鼬族の殲滅を銘じたのは、
元が流刑者である鼬族が宇宙へ進出するのを防ぐためだったようだけれど、
核戦争間近で自らの首をしめるばかりだった999年の鼬世界の状況を考えると、
その危惧は本当にただ可能性をつぶしておくという程度のもので、
文具船の乗員がみなそれぞれの胸の内で感じている通り、
それは不毛な、意義の薄い、半ば厄介払いのような指令だったのだと思う。
実行する意義も完遂の可能性も薄い命令は、
ただクォール千年の歴史を踏み散らし、文具船を壊滅させただけだった。
それこそが命令の真意なら司令部の価値観が恐ろしい。

三章では文具船の狂気とクォールの鼬の歴史が交差し、
混沌の中でどちらも死に絶えていく。
双方の死に場所は重なり合い、命のやり取りが行われるけれど、
鼬と文具たちは同じと言っても良いほど似ているのに、
どの一点においても交流することがなかったような気がした。
その歴史を詳しく書き綴った三角定規兄でさえ、
生きている鼬のこを理解したわけではなく、
コンパスの子を産んだ女も子を通じてしかコンパスを思えない。
相似の存在でありながら徹底的な断絶をもつ二者が、
どちらにとっても故郷ではない星で滅びていく様は、
誰にともなく助けてくれと叫びたくなるような無残さだった。
ただその中で、船団にいた時よりもクォールに来てからの方が、
幸福と言えるような心境に至った文具がいくらかいて、
結局はそこから数日、数十年以内に誰にも看取られず死ぬとしても、
その幸福が鼬にとっては悪夢そのものだとしても、
彼ら個人にとってはクォールに来たことは無意味ではなかったと思う。
コンパス、三角定規兄、糊、伝玄墨汁、パンチは、
出口のない懊悩や忍耐ばかりだった船での生活よりも、
異星での血みどろの任務の中での方が生き生きして見えた。
それに意味を見出しでもしなければ、
999年にクォールで起こったことの全てがあまりに虚しい。

戦場ではどこまでも厄介でしかない消しゴムの狂気。
本当に最後の間際まで周囲がその形式に合わせる姿は滑稽で、
そうせねば自分を保てない消しゴムの弱さは悲しかった。

スポンサーサイト

テーマ : 読書感想 - ジャンル : 本・雑誌


17:13  |  筒井康隆  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

コメントを投稿する


 管理者だけに表示  (非公開コメント投稿可能)

▲PageTop

Trackback

この記事のトラックバックURL

→http://acon6960.blog40.fc2.com/tb.php/652-71033f0c

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック

▲PageTop

 | BLOGTOP |