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2016.07.31 (Sun)

PK


PK
(2014/11/14)
伊坂幸太郎

譲れないものはありますか。
何を置いても曲げられない、
あなたの柱は何ですか。

ではそれを、曲げてください。
「大変なこと」を防ぐには、
あなたの選択が全てなのです。

さあ、さあ。

【More・・・】

頑固な子供だとため息とともに言われていた頃、
そのことを私はとても誇らしく思っていた。
意思を持ち、それを曲げずにいられるという特性は、
漫画の主人公たちには不可欠の美点だったし、
彼らはいくら頑固だ愚か者だと言われても、
最終的にはその意思こそを最大の力として、
目的を成し遂げるものだったから。
けれどもちろん現実の世界では、
自分の意思や信念を貫くことが、
問答無用で最適の選択であるほど単純な場面は少ない。
信念は子供でも大人でも尊いものだけれど、
それを守るために自分が犠牲にするものや、
傷つける他者のことを勘定にいれることなく、
ただ黄門様の紋所のようにそれを掲げるだけなら、
そんなものは信念などとは呼べない。ただ本当に愚かなだけだと思う。
ヒーローたちが信念を守ることで世界を救えるのは、
その二つが相反しない形で用意された幸運のおかげだし、
彼らの姿が格好良く輝いて見えるのは、
彼らが自分の意思一つで世界を救う重みを背負って見せるから、
また、その選択をできる人間が少ないからでしょう。
力と機会を前に、意思を問われ選択肢を差し出されたとき、
頑固な子供に誇れるものを選ぶ自信が今はない。

チームと国の期待を背負ったPKを前にして、
あるいは政治家としての岐路に立たされて、
また一通の不穏なメールを受け取って、
男たちは選択を迫られている。
迫られている、のだけれど、
信念を曲げなかったら彼ら自身に危害が加えられるとか、
大事な人間を人質に取られているということはないので、
脅迫というよりは強く問われている、くらいが正しいかもしれない。
さらに言えば、信念を曲げる、あるいは曲げなければ、
何が起きるかということも脅迫者は明言しない。
男たちは天秤の向こう側に何が載っているのか知らないまま、
自分の大事なものを反対側に載せてみろと迫られていることになる。
突然巨大ロボットに乗ることになる少年たちや、
色とりどりのスーツを纏って戦う青年たち、いわゆるヒーローと、
「小説家」「政治家」「サッカー選手」の立ち位置は、
そういう風に見ると大きく異なるものだと言える。
引き起こされる事態が「大変なこと」だからというだけで、
自分の大事なものをその引き換えにすることができる人間は、
ヒーローよりもどうかしている足し引きをする者か、
もしくは自分に何一つ期待していないような人間くらいで、
そして選択を迫られた彼らはそのどちらでもなかった。
人が真摯に何かを選ぶ瞬間はとても貴いものなのだと思った。

選択肢の前に立たされた者たちの中で、
「密使」で説明を受ける男と「営業マン」の二人は、
自分の選択がどんな悲劇を防ぐことになるのかを知らされる。
いや、「密使」の男には選択の余地はなかったから、
厳密には他と同じ立場とは言えないだろうけれど、
将来何が起こるかを知ることが、
現在の自分の価値に直結しているという意味ではとても似ているし、
明確に命と命を換える間際に立たされるという点でも、
二人は同じだと言えるのではないかと思う。
彼らをそこに置いた者の思惑がどんなものであったにせよ、
命を純粋に数という基準だけで測り取る価値観に従うなら、
二人には選択肢もなければ異論を挟む余地もなかった。
一人の命で数百万の命を救うことも、
一回の殺人の度に数人が死なずに済むことも、
命の足し引きの上では間違いなく正しい。
ただ、膨大な計算で世界の未来を変えようとする人々が、
その最後の仕上げの段階になっても一人の人間を数にできなかったように、
すでに何度も人を殺している「営業マン」が、
自分の命を救ってくれた人間を殺す苦しさに喘ぐように、
命を完全な数に置き換える価値基準は、
どうやっても人間が馴染むには適さないものなのだと思った。
命は数ではないけれど、数でしか測れない。
その先に、更にけれどを連ねて人に馴染むような基準を、
未来人が知っているなら教えて欲しい。

PKを外すこと、小説に薄っぺらな赤を入れること。
外からの圧力で簡単に譲るわけにはいかない一点。
まさにそこを譲れと迫られる男たちを見ていると、
自分にとってのその一点はどこなのか考えずにはいられなかった。
職業的な倫理や、これまでの努力、周囲の期待、
あるいはごく個人的な意地や感情。
一つずつ秤に載せ、比べては軽い方を捨てて、
最後に残るものが何なのかをじっくり考えていくと、
何か自分の皮を外側から一枚一枚剥いでいるような気分になり、
痛みと同時に核心に迫る気持ちよさにくらくらしてしまった。
けれどその核心に近づくにつれて、
比較と放棄の繰り返しには合理性がなくなっていく気がした。
AよりもB、BよりもC、CよりもAが大事だなんて非合理が、
そこではさも当然という顔で起こってしまう。
人間の心はそんなもの、その非合理性こそ人間らしさだと言うことで、
厳密な合理性や数の理論を信じ行える人間を、
冷徹の籠に投げ入れるのは簡単だけれど、
理性的で、常に明快な答えを出せる者でありたいと望むことと、
自分の感情や感覚に正直でありたいと願うことの二つが、
私にとってAやCとして存在していると考える方がしっくりくる。
そしてそう考えたいと思うことがBでもあるのだと思う。
譲れない最後の一点はまだ見つからない。

「魔王」に続くしょうもない超能力シリーズ「時間スリ」。
他の可能性を色々と考えてはみたけれど、
アクターヒーローは確かに最適の職業選択だと思う。

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