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2016.08.28 (Sun)

火車


火車
(1998/1/30)
宮部みゆき

罪人の身体をまき散らし、
地獄へひた走る火の車。

転げ落ちた頭は、足は、誰のものだろう。
誰がその手を彼女と知るだろう。


【More・・・】

人は常に自分の人生の真ん中を歩いていて、
それ以外の場所に立つことは想像の中でしかできない。
想像できるということはとても尊い人間の特性だけれど、
目に見えるものの色に一番強く影響を与えるのは、
やはり自分の感情なんだろうと思う。
しばらく会わなかった人からその間のことを聞いて、
思いがけない波瀾万丈に接し、
その大事への距離を感じるたびそんなことを考える。
同じだけの時間が流れる間に自分にも色々なことが起き、
それよりもはるかに大きな波が誰かを襲う。
とある占いで「見かけよりも不幸」などと言われたことがあるけれど、
見かけが正しく人生の幸不幸を表している人間なんて多分いない。
なんてことない顔で誰もが重い荷を負って遠い道を歩んでいる。
世界に溢れるその膨大な幸不幸の中から、
たった二人の女性の軌跡を拾い上げて追いかけるのは、
とても悲しく、人生の重さに反して不毛感のある行程だった。
「幸せになりたかっただけ」だと彰子は言う。
けれど彼女はばらばら死体になってどこかで眠っている。
「いつかきっとこういう家に暮らす」夢を喬子は持っていた。
そして、そこへ向かうために修羅の道に入っていった。
その間にあっただろう無数の日常の光景に思いを馳せると、
本間と一緒に夜へ沈んでいくような気持ちになった。

「逃亡者」として十代の頃から生きてきた喬子が、
どんな経験をして、どんな希望を奪われて、
その果てに「彰子」になったのかが明らかになるにつれ、
彼女に対する同情の気持ちがどんどん大きくなり、
本間の追跡を止めたくまでなってしまった。
けれど、井坂さんが智に言った言葉を聞いて、
それではいけないのだとはっとした。
大切なのは「どういうことをしたか」だという言葉はとても厳しい。
人には事情があり感情がある。
同じ結果に至ったとしても、その過程を無視して、
一律に扱うことは溝口弁護士の言う通り公平ではないでしょう。
機械的に罪人を仕分けるだけなら裁判などいらないのだから、
人間が人間を裁くことには様々な斟酌があって良い。
ただその斟酌は罰に対するものであって、
罪に対するものではないのかもしれない。
人を殺した者は人を殺した罪で裁かれるべきで、
哀れだから、仕方なかったからと言って、
故意の殺人を事故にしたり見逃したりしていたら、
罪と罰の交換は成り立たなくなってしまう。
木村こずえの姉を瀕死に追いやり、彰子を殺したのが喬子なら、
その罪は彼女が精算すべきものに違いない。
逮捕の時、初めて「逃亡者」ではなくなる彼女はどんな顔をするのだろう。

一方で、殺され、成り代わられた彰子が、
破産した背景にはまた溝口弁護士の言う通り、
考慮し、議論すべき社会の問題が多くあり、
全てが彼女の非とは言えないのはそうなのだろうと思う。
幸せになりたいと望むのは当然のこと。
賢いとは言えない方法でそれを求めてしまうのもよくある話。
破産の後、そうとは分からないほど立ち直りかけていたのは、
喬子の例を考えるとレアなケースか。
でもそれだけだ。本当にそれだけのことなのだと思う。
母子家庭も、カード破産も、そこからの復帰も、
誰にでも起こることではなくても、
誰にでも起こり得ることではある。
ローズラインのアンケートを送った女性達の中には、
彰子と近い境遇の人も何人もいたはずで、
本間が調べ上げた通りそもそも彼女はNo.1ではなかった。
無残に殺して捨てておきながら、
喬子がリスクを重ねて彰子を弔うような真似をしたのには、
その辺りのことに対する思いもあったのではないかと想像した。
ただの巡り合わせで殺されることになった彰子を、
喬子は哀れんだのかもしれない。哀れみながら殺したのか。
その矛盾が、追われ続けた喬子の狂気なのかもしれない。

本間が追い続けなければ喬子の犯行はおそらく露見せず、
木村こずえは第二の彰子のなっていたのだと思う。
それほどに喬子の準備は周到だったし、
完璧を求めてリスクを増やさない計算もできる女性だったんでしょう。
でも喬子は一人の人間に成り代わる人間の難しさを、
書類の上でしか考えることができなかったがために、
大した権力も持たない本間に追い詰められることになったような気がする。
血縁を全て失っても、故郷の同級生やかつての同僚が、
彰子のことを忘れることなく心配していたことが、
喬子の足取りを追う手助けになったのだから。
一人の人間を忘れずに心配し続けるのは、
必ずしも家族親類だけではないということを、
何もかも捨てて家族だけで逃げた境遇が忘れさせたなら、
それはあまりに悲しい誤算だと思う。
喬子にとって須藤薫は凶行の後に逃げ込む場所ではあっても、
さよならを言って二度と会わなければ、
それで全て終わると思える存在だったのだろうか。
それとも捨て去るためにそうであって欲しいと願ったのか。
ついに生の言葉を聞く機会のなかった彼女に聞きたいことが沢山ある。

どんな人間にも、
食べ、眠る。服を着て、雨を気にする。
温かなその事実がとても悲しい。

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