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2016.09.04 (Sun)

トリツカレ男


トリツカレ男
(2006/3/28)
いしいしんじ

ある日心を奪われてしまえば、
頭の中は寝ても覚めてもそればかり。
他の何かが現れるまで、
他の何かなど考えられない。

トリツカレ男、ジュゼッペ。
その恋の顛末。


【More・・・】

大切な人のためにできることの限界が、
思いや愛の大きさを表しているとは思わない。
それは単に心を表現するその方法が、
人によって異なるというだけの話だと思う。
悲しみや喜びに様々な形があるのと同じこと。
心の中身を同じ器に出して比べることなどできない以上、
思いに大きさや重さを定義すること自体が、
そもそもナンセンスな話のかもしれない。
だから他人の心そのものを知ろうと無茶な物差しを使うよりも、
その人が何をし、それを自分がどう感じたかだけを、
他人の心の問題と切り離して考える方が、
まだ人と関わる建設的なやり方なのではないかと思う。
ペチカのためにジュゼッペがしたことは、自分を殺すに等しいことだった。
結果的にはその行為が彼女を救ったのは間違いないけれど、
ペチカの心が動いたのは、
ジュゼッペが自分を殺してまで幸せを願ってくれたからではなく、
それが友人ジュゼッペだったからこそだと思う。
これまでたくさん話し、悩んでいれば手助けをしてくれて、
そばにいていつも笑顔をくれた人が、
思い出に別れを告げる時にもそこにいてくれたこと、
そのことを自分がどれほど嬉しく思ったかということが、
彼女にとってはジュゼッペを選ぶ最後のピースだった。
自分の心に真摯に向き合う彼女が、とても好きだ。

何かにトリツカレると他のものが見えなくなるトリツカレ男。
トリツカレている時のジュゼッペは神懸かっていて、
世界にはそれ以上に価値のあることがないというように、
仕事も他人もないがしろにしてしまう様子は、
正気を失っているようにさえ見える。
かと思えばそれを極めきっていなくても、
ある日突然別のことに心を奪われてしまったりするのだから、
ジュゼッペという男はなんだかとても不安定な心を持っていて、
それを持て余しているのではないかと思っていた。
三段跳びをし続ける様はフォレスト・ガンプのようでもあり、
いつジュゼッペが社会との繋がりを保てなくなるのかと心配でもあった。
けれど、街の人々はジュゼッペの奇妙な性質に苦笑いしながらも、
誰も本当には彼を疎んだりしない。
陸上の大会には応援に来てくれるし、歌を日常に受け入れてくれる。
寒さがとても厳しいこの街の人々には、
奇妙で時々迷惑な男をのけ者にしない優しさがあり、
だからこそジュゼッペはトリツカレ男のままでいられるのだと思う。
凍り付いたペチカの心を溶かしたのはジュゼッペだったけれど、
きっかけさえあれば、街の温かさの中でゆっくりと春が来る日もあった気がする。
ツイスト親分が仕切る街は良いところだ。

ハツカネズミは最初にペチカの部屋に行ったときから、
自分の大事な友人の恋がどんな壁にぶち当たるのか分かっていて、
それでも友を止めることはしなかった。
トリツカレ男たるジュゼッペに何を言っても無駄だという諦めと同時に、
二人が恋人になる日を祈っていた、と言うハツカネズミは、
ジュゼッペのペチカへの思いがいつもの「トリツカレ」ではないことに、
一番最初、多分本人よりも先に気づいていたんだろうと思う。
いつものトリツカレなら、ジュゼッペは回り道などしない。
それを極める最短距離を脇目もふらずにひた走る。
なのにペチカに対するとき、そこにいるのはただの臆病に恋する男で、
迂遠とも思える方法で、ペチカの幸福のために裏道を選ぶ。
ハツカネズミが願っていたのはそういうひそやかな努力に、
いつかペチカが気づいてジュゼッペを見てくれる日だったんでしょう。
そうしてゆっくりと雪が溶けるように二人の心が通じるなら、
それが一番良いと考えていたんだと思う。
タタンのことを話せば、完璧な笑顔を見たいというそれだけのために、
大切な友人が全てを投げ打って無茶をすることは目に見えていた。
だからハツカネズミはジュゼッペがそれに気づくまで、
ペチカの部屋で見たもののことを話さなかったんだろうと思う。
街の人々に優しく見守られ、共に暮らす友人にはここまで思いやられ、
全くジュゼッペという男は幸運にも憑かれている。
タタン先生になることに失敗して命拾い後で自分の周囲を見回して、
ペチカ以外にも自分を愛する者が沢山いることを、
トリツカレ男が気付くことができたら良いと思う。

ジュゼッペがタタン先生に近づいていったのは、
ペチカには生きている彼が必要だと考えていたからだけれど、
彼女に必要だったのは生きて抱きしめてくれるタタン先生ではなく、
大切な人にお別れを言う時間、ただそれだだったんだと思う。
自分の知らないうちに、遠い場所で大切な人を失ったとき、
その喪失と向き合うのはその瞬間に立ち会う場合よりも難しい。
さよならを言う相手がいないこと、それがもう決して届かないこと、
その両方を同時に受け入れなければいけないのだから。
ペチカはタタン先生の訃報を受け取ったとき、
先生その人を感じるにはあまりに遠く、
一緒に悼んでくれる人もいない場所にいて、
だから心のその部分を凍らせることで対処するしかなかった。
ジュゼッペのタタンは本物と色々と違ったところがあったけれど、
彼女がさよならを言うには十分に先生の魂をもっていたんでしょう。
ただそれが成立したのは、夜の逢瀬が始まる以前に、
タタン先生の死を中心に広がったペチカの心の氷原を、
ジュゼッペの外国語と心が少しずつ削っていたからでもあると思う。
その意味では、そう意図したわけではないのだろうけれど、
ハツカネズミが最後までタタン先生のことを話さなかったのは、
とても正しい判断だったのかもしれない。
幸運と互いの努力で結ばれた二人の幸福を願っている。

言葉を喋るハツカネズミの子供たちが住む街。
うかつな噂話はできないなあ。

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