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2016.09.05 (Mon)

伏 贋作・里見八犬伝


伏 贋作・里見八犬伝
(2012/9/4)
桜庭一樹

暗がりで生まれ、
親も兄弟も知らずに血を浴びて育ち、
つまらない喧嘩で命を削り、
道端や溝の中で朽ち果てる。

そのとき犬の心には、
どんな景色が広がっているだろう。

【More・・・】

一人でいても無敵の夜もあれば、
集団の中で乾いた風の吹く荒野に立っている日もある。
寂しさというものは物理的に誰が隣りにいるかではなく、
自分の中、その一部に特定の誰かを感じられるかどうか、
あるいはそういう他者の存在を信じられるかどうか、
その辺りから生まれるものである気がする。
もちろん、他者の存在など必要とせず、
自分一人で過不足なく心を満たすことができるなら、
そういう者は他者の不在の穴に吹きすさぶ風のことなど、
生涯知ることはないのだろうと思う。
でも伏たち犬人間はそういう者ではないように見えた。
短い命と凶暴な性質の他に、
心の底にある大きな板のような寂しさもまた、
彼らがばらばらのまま共有しているもののように思う。
その寂しさから凍鶴は軽やかさを、真兵衛は生への執念を、
毛野は刹那的な欲望を育てたのかもしれない。
そして多分、信乃はその寂しさを寂しさのまま持っていて、
そこから生まれ得るあらゆるものを自分のものにしたがっていた。
祖たる伏姫が銀の歯の森で上げた鳴き声が、
人の間に潜む犬人間の喉の奥から漏れ聞こえるようで、
牡丹の痣のない身でもわおーんと鳴きたくなった。

人の身体に犬の機能と心を載せた犬人間たち。
凶暴で刹那的、情が薄く軽やかな処世術、信乃曰くなまけもの。
そういう特徴はあれど、本人でさえそうと気づかないほど、
人間の世間に上手く紛れて暮らすことができるのだから、
無闇に人間を襲って喰らうような化け物というわけでもなし、
どうしても狩らねばならない理由がいまいち分からないけれど、
その身体能力や寿命のことを考えれば、
彼らが人間とは異なる生き物であることは明かで、
狩人が銃を向ける理由としてはそれで十分なのかもしれない。
おそらく浜路が伏を狩る理由も、
奴らが獣だからというだけのことなんだろうと思う。
伏自身もどちらかと言えば人間よりは犬であることの方に、
自分たちの根っこを見ているように思えるから、
狩る者と狩られる者という構図は自然なものなのかもしれない。
でも、本当に混じり気のない獣は多分、寂しいなどとは思わない。
野に生きてそこらで死ぬにことに対する感傷もない代わりに、
そんなことに対する矜持もないだろうと思う。
伏たちの心を突き動かす寂しさは、
彼らの中に人間であった伏姫の血が流れるせいで、
ならば犬人間は犬でありながら同時に人間でもあるとも言える。
因果の果の物語を聞いて浜路が涙を流すのは、
犬っころでありながら寂しさを知る心も持つ伏たちを、
やはり人間である自分は狩るのだと思うからこそなのだと思う。
伏を哀れみながら生き生きと伏を狩ろうとする浜路は、
人と暮らしながら獣の心で血煙を浴びる伏によく似ている。

輝かしい幼年期を過ぎ、苛烈な運命の中で森に消えた伏姫。
明るく、温かな場所で生まれ育った彼女が、
結果的には世の平穏の裏側へ落ちていったことは、
自分の望みから遠い場所で生きねばならなかったという点で、
弟の鈍色と同じだったように見えた。
少年の頃の鈍色が光の中にいる姉を憎んでいたのは確かだと思う。
伏姫の振る舞いは傍若無人とも言えるもので、
こんな姉だけが愛されるような環境で姉を憎むなという方が無理がある。
でもそれは自分が姉に代わってその場所に立ちたいというような、
そういう種類の憎悪ではなかったような気がする。
鈍色は日陰で笑える自分を認めて欲しかったのだと思う。
太陽ではなく月の下で笑うことができるその象徴が遊女であり、
姉や父がそれで良いと言ってくれるなら、
鈍色はいつでもそうなることができる自分を知っていた。
だから姉が陰の側へ自ら去ろうとするとき、
弟は本当の自分をさらけ出す最後の機会として、
あの姿で姉を止めようとしたのだと思う。
本来の姿を捨てようとする姉に、太陽を思い出して欲しい。
せめて最後くらい、それがお前だと言ってくれと願いさえしたか。
などと、物語の上でも姉と伏の影のように存在する男の心を想像した。
獣として城に戻った姉を鈍色はどう思い、どう看取っただろう。
似合わない女装で泣く少年の姿が忘れられない。

八人の伏が始祖の森を訪ねた旅は、
自分が何者か知らずにいた毛野や雛衣にとっても、
伏であることを承知して生きていた凍鶴や現八にとっても、
自分の抱える寂しさと折り合うために必要なものだったのだと思う。
寿命までの残り時間の長さは関係ない。
訳の分からぬ寂しさを抱えたまま、
あってないような足場を支えに悠々と生きられるほど、
江戸の世は犬人間にも人間にも優しくない。
まして状況は悪い。今日明日にも狩られて果てるかもしれない。
ならば、稀有にも八人もが一カ所に集まった縁にすがって、
自分たちの始まりへ還ってみたいと思うのは、
とても自然な情動であるように思う。
まあそんな思いをそれぞれが抱えているくせに、
悲壮さや感傷などおくびにも出さず山を駆けるとき、
彼らは本当に自由で楽しげに見えた。
姫の腹から生まれた最初の伏が野に散ったときも、
こんな風に自由を体現するように走り抜けただろうか。
それとも始祖に近い彼らはより犬らしい真っ黒の瞳をしていたか。
ここが先祖から続く長大な物語の因果、その果だと知りながら、
一切の躊躇なく幕を下ろす八人の犬人間は、
正しく犬の、また伏姫の子らだという気がした。

幼児のように大声で泣いたかと思えば、
倹約家の妻のような知恵を働かせ、
一度走り出せば獲物を狩る獣の顔になる少女、浜路。
伏を追う彼女の道行きをもっと見ていたい。

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