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2016.09.11 (Sun)

さよなら、ベイビー


さよなら、ベイビー
(2013/7/27)
里見蘭

親子の物語の第一章は、
子供の産まれた日だろうか。
それとも妊娠が分かった日か、
あるいは君を抱く僕たちの出会いの日?

いつか話してあげたいんだ。
今はまだミルク以上の幸福を知らない君に、
君の知らない君の物語を。


【More・・・】

気の重い会議や発表の場、試験に会見。
恥をかく、責められる、いやそもそも人に会いたくない。
逃げ出したくなる機会と理由はいくらでもある。
でも大抵の場合、思うだけで本当に逃げたりはしない。
嫌だ気が重い辛いと思いながら、足は現場へ向かう。
それは逃げた方が面倒が増えることを知っているからであって、
決して勇気や自尊心や何やかやの心の強さゆえではない。
逃げ出して、本当に後腐れなくそれから逃げ切れるなら、
多分もっと色々なものを投げ出してきただろうと思う。
そんな仮定の上でなら逃避はとても甘美な誘惑だけれど、
もしも本当に誰からも責められず、誰にも迷惑をかけないとしても、
逃げることは楽なだけの行為ではない。
責める声は自分の内側から絶え間なく生まれ、
目と耳と開き、心を稼働させている限り、
それから逃れる場所はどこにもないのだから。
雅洋は四年をかけてその全てを凍らせる術を身につけた。
一度それを身につけ、逃げていることも忘れてしまえば
確かにその状態でいるのは楽なことなのかもしれない。
でもその平穏は硬くて脆い均衡の上にかろうじて成り立つものだ。
父親が撫でることしかできなかったその虚像を
タカヤの泣き声とうんちの臭いが破壊する様は痛快だった。

赤ん坊の世話をすることがどれほど大変なのか、
実感としてはよく分からないけれど、
100%他人に頼らねば生きられない動物の世話と考えれば、
それは確かに引きこもっている場合ではない。
母親の四年後、二十歳そこそこで父親も亡くして、
家族を完全に失い、頼るべき人もなく職もなく、という状況で、
もしも世話をすべきタカヤという存在がいなかったなら、
雅祥はまた自殺の方向へ動いたかもしれないなあと思う一方で、
あの時点ではそんな現実を感じることができる心は、
雅祥には回復していなかったような気もするから、
借金の話が出るまでは通販としーちゃん頼りで生き延びるだけだったか。
いずれにしろ、赤ん坊など知ったことかと放り出せるほどには、
雅祥の心が死んでいなくて本当に良かった。
人が人ならタカヤも巻き込んで死んでいてもおかしくなかった。
タカヤを生かすために生活を変え、外の世界にも触れざるを得なくなり、
夜が明けるごとに音をたてながら雅祥は変わっていく。
それだけで何もかも上手くいくほど外の世界は優しくないけれど、
一ヶ月以上一人で赤ん坊の世話をし守り通した経験は、
自分を責める声をねじ伏せるための矛の一つになるだろうと思う。
「弟」に恥じないためにこれから頑張るしかないなあお兄ちゃん。

親と子、特に母と娘を巡る事情が、
世代をまたいで相似形のように繰り返されるのを見ていると、
一人一人の母親が別の人間であることを承知しつつも、
彼女たちが何か一つの系の中に閉じ込められているようで、
母子の情の重みに少しだけ暗いものを感じてしまった。
また、妊娠した女性はみな、どんなに刹那のことであれ必ず、
産むか産まないかの問いの前に立たされるのだということを、
恥ずかしながら同じ機能を持っているくせに初めて認識した。
それはとても、とても重い問いだ。
命は命をもつ者自身のものであり、
生命に関わる選択は常に本人の意思の上にあるべきだと思う。
でも、その意思を表明できない存在に対して、
選択を行い、責任を負うべきは一体誰なのだろう。
他人の意思と庇護なしには存在し続けられないものを、
一個の命として扱うことはできるだろうか。
妊娠するということは、そのあやふやな命のような何かの全てを、
否応なく委ねられてしまうということなのだと思う。
それは自分の腹の中にあり、完全に意思の下にある。
想像するだけでも、なんて重く恐ろしいことだろう。
それでも産みたいと願う人のことも、そうして産んだ人も、
あるいは産まないと決めた人のことも、だから私は尊敬する。
悩みながら、命に関わる選択をした全ての「彼女」に敬意を表したい。

もちろん、産んだかどうかということは、
親子に絶対に必要な要素というわけではない。
そもそも父になる者は大抵の場合産むことができないし、
遺伝子云々を論拠にした神秘論など信じないけれど、
それでも親になる人間は数多いるわけで、
子を我が子と思い始めるその瞬間に、
一体どんな心の動きがあるのか、大変興味がある。
親と子の間の特別な何かがあるのかもしれないけれど、
ただ、憎らしくて堪らなかった赤ん坊をいつの間にか、
地上に舞い降りた天使のように思い始める雅祥を見ていると、
そんなものなのかもしれないなあとは漠然と思った。
目が合った瞬間何か電流のようなものが走って、
親になり子と結ばれるなんて劇的なことはなく、
ただ日々を過ごし、触れ合ううちに、
友になるように、恋が始まるように、親子にもなるのかもしれない。
そうと明かされるまで養子であることを知らずにきた人が実親を辿るとき、
それは親を探すという意味と同時に、あるいはそれ以上に、
自分の物語の欠けを埋めるという意味のものなのではないかと想像する。
子の幸福と利益のために始まった特別養子縁組制度が、
幸福な親と子の物語を支えるものとして運用され続けることを願っている。

願いがあり信念があり自分の人生がある。
親に多くの事情があるのは当然だ。
それでも隠された事情を、
死んでから知る子の気にもなって欲しい親父さん。

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