2017年11月 / 10月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫12月

2016.10.10 (Mon)

象られた力


象られた力
(2004/9/8)
飛浩隆

獣としては鈍すぎる五感に、
自死さえ許容する心。
不完全な社会の仕組み。
ヒトは小さく、弱い。

それでも拳を握れ。
天を見上げて心を放て。
宇宙と殴り合うに足る力が、
この身体にはあるのだから。


【More・・・】

ヒトに見える光は精々が360~830nm以内の波長のものだけで、
赤外線、紫外線という形でひとくくりにされるその外側の光は、
特殊なレンズを通さない限り目にすることはできない。
同じことが全ての身体器官に起こっているから、
音も臭いも、皮膚に触れるものの感触さえ、
現象の全てということには絶対になり得ない。
身体で感じることができるものは世界のほんの一部。
世界がもつ膨大な情報の前で、ヒトはあまりに小さいのだと思っていた。
でも、奇妙な双子が奏でるピアノ、その感情に襲われるとき、
百合洋の図形がもたらす破壊に圧倒されるとき、
また異星の森を包む命の音と泥の臭いに飲み込まれるとき、
それらの光景、語り手の五感を通して立ち上がる世界は、
そこで起きている現象を完全に網羅しているような気がした。
いや、というよりは五感が現象を受け取るという一方通行ではなく、
感じることが現象の側にも影響を与える相互関係があると言うべきか。
物語のクライマックスで起きる巨大な現象と、
心も含めた感覚群、それらを司る小さなヒトの身体一個が、
同じ重さの拳で殴り合っているような、
そんなイメージを喚起する描写の力に何度も圧倒された。
現代の科学などはるかに後方に置き去りにした遠い場所でも、
人間の身体、その五感は世界とやり合うことができる。
現象に翻弄される人々は身体全体でそれを示してくれた気がする。
人間の中で本当に信頼するに足るものは、その倫理や文化などではなく、
骨肉でできたこの柔らかな身体、そのセンサー群なのかもしれない。

もう一人のグラフェナウアーズ、三人目のピアニスト。
死臭を放ちながら、生きたいと願う彼の存在に気づいたとき、
語り手である「ぼく」は殺さなければいけないと考えた。
彼を愛した者もいれば、守ろうとした者いた。
相対する者それぞれと個別の関係を築いたというそれらの事実と、
「名なし」が生物としても意思ある何かとしても生きていない、
死んだ子供が残した傷、そこから発生する現象に過ぎないということを考えると、
人間の頭が作り出す感情、心というものは、所詮はただの環境に対する反応、
特別な動力さえ必要ない器械のようなものなのか思ってしまう。
人間の「心」は相手が心や命を持っているかどうかに関係なく、
愛することも憎悪することもできてしまうのだから。
条件さえ整えば、台風に恋をし太陽に殺意を抱くこともできる。
それは人間というものの柔らかさ、多様さを表す現象でもあるはずなのに、
自分がバーコードの読み取り機にでもなったような気にもなってしまう。
ハーモニー」で語られた感情の起源を進化上の必要に見出す理屈には、
何の反論点も見出すことができないし、
科学が示す「無意味」に耐え得る者になりたいと思いながら、
一方で私はやはり心を特別な何かだと思いたいのだと思う。
「名なし」は確かにレコード盤に刻まれた溝のような存在だったけれど、
そのレコードを回し、針を落として音楽を奏でるのは、
生きることを知っている双子の心であるはずで、その動力は「反応」などではない。
心が現象に類するものではなく、それと向き合うことのできるものであるという、
その論拠を物語の中に必死に探している自分を見つけた。

そんな弱々しい希望を木っ端微塵にして撹拌してくれるのが「象られた力」で、
百合洋の図形によって起動する破壊は、まさに人間を読み取り機としている。
特定の図形を目にするだけで発動する力、
その停止方法も含めて、人間の心は全く関与する余地がない。
どう思おうが願おうが、力は星を捻れさせ、時空を歪める。
その圧倒的な破壊力よって街が崩壊していく様を見ていると、
人間がせっせと作り上げ、編んできた文化や生活など、
システム上のちょっとした誤差のようなものでしかないような気がしてくる。
ただ、破壊し尽くされ、何もなくなったそこから聞こえる「歌」、
それを紡いでいる(かもしれない)者の存在を考えたとき、
力の大きさは人間には制御し得ない規模のものであったとしても、
図形を作ったのも、それを食い止めようと策を巡らせたのも、
その起動点でヒトミのように戦った(かもしれない)のも、
全て人間であり、その動力は心だったような気がした。
壊したい、守りたい、作りたいという思いが、
図形という装置を構築しながら最終的には三つの星を飲み込んだ。
「象られた力」で語られる推測の物語は事実ではないかもしれないけれど、
そうやって語ることもまた、観測する人間の思いの一端なのだと思う。
ヒトの心は現象かもしれない。ただの反応かもしれない。
でもその現象は、宇宙の形を変えるのに十分な力を持っている。
巨大な現象との殴り合いをするには別の何かである必要はない。
同じ土俵の乗っても、ヒトの心は負けたりしないのだから。

「呪界のほとり」という辺境での一幕は、
まさにシステムとしての心が宇宙に穴を開け得るという話で、
万丈、竜、パワーズそれぞれのキャラクターも相まって、
何やら大変なことが起こっているような話なのに、
雨宿りの時に見ず知らずの人間から聞く世間話のような気軽さで読んだ。
呪界に憧れながら砂漠にしがみつくように暮らしてきたパワーズにとって、
その理に気に入られている万丈など嫉妬で焼き付くしてもいい存在だろうに、
三人の中で最も自由なのはそのパワーズであるように見えた。
皮肉まじりに自分を万丈のために発生した存在のように言いながら、
その実、この爺は呪界や理に挑戦することに対して、
一切何の無常も見出してはいないんだと思う。
今、ここに命があり、思いがあるというそれだけで、
前後の文脈や誰かの意図は自分の選択に関係がない。
パワーズのその信念の強さ、軽さには憧れずにはいられない。
多分パワーズはたとえ理が自分の存在理由や未来を明言したとしても、
変わらず呪界発生装置を作るのだろうし、
万丈に肉と水を与えることに躊躇しないんでしょう。
強固な理に支配された領域ではあるようだけれど、
呪界の外側にも、その下にも上にも世界はある。
それはもう広くて深くて、理が錯綜する世界が。
希釈されていく人類の一粒である三人の旅路を追いかけたくなった。

地球化しているつもりで、
異星化されていく人類。
命のシステムは、やはり強い。

スポンサーサイト

テーマ : 読書感想 - ジャンル : 本・雑誌


15:50  |  た行その他  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

コメントを投稿する


 管理者だけに表示  (非公開コメント投稿可能)

▲PageTop

Trackback

この記事のトラックバックURL

→http://acon6960.blog40.fc2.com/tb.php/663-fa2c5343

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック

▲PageTop

 | BLOGTOP |