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2016.10.22 (Sat)

深い河


深い河
(1996/6/13)
遠藤周作

確かなものは何だろう。
人生の重みに耐え得るものは、
一体どうすれば見つかるのか。

そう問うべき相手さえ、
知らないというのに。


【More・・・】

自分が死んだら残った身体をどうして欲しいか。
その希望は年と取るごとに変わっていっている。
鳥葬の激しさに憧れた時期もあれば、
森に埋められて土に還りたいと思ったこともある。
灰を海に撒く場面を美しいとも思う。
けれど今は、使える部分は存分に切って使って貰って、
残りは見送る人の気の済むようにしてくれれば良い気がしている。
自分の死の後に残るもの、その行方を思うことは、
基本的にはどこまで行っても夢想でしかない。
だからこそ、生きているうちにするその夢想は、
今生ある自分の根を見つめることなのかもしれない。
生者の祈りも死者の身体も一緒くたに飲み込んで、
ゆっくりと動くガンジスの流れを眺めながら、
自分にとってのその河はどこにあるのだろうかと考えた。
浮き沈みを繰り返しながら生ききったその先で、
どこへ帰りたいと望んでいるのだろうか。
ガンジスを目指す人々の姿を異邦人の目を通して見て、
宗教という形でその願いを体系的に捉えられることについて、
彼らを羨ましいと思ってしまう程度には、
私は神なる何かを探しているのだろうと思う。

迷う毎に異国の雑踏の中に大津を探す美津子もまた、
大津を通り越したその先で探しているものがある。
何をしても冷め切っている自分を見つけてしまう彼女からすれば、
一度は離れかけた「玉ねぎ」の元へと帰り、
その考えを異端と断じられてさえ捨てることができず、
インドの道端で死に行く者を探して放浪する男は、
彼女が探す「何か」を持っているように見えるのだろうと思う。
手触りをもつ確かな何かを探しながら、
それを愛や信仰と呼ぶことを避けたいと思う気持ちは、
はっきりとまとまった宗教を持たない者の感覚としてよく分かる。
多くの人は多分、一時の熱や昂ぶりを「確かなもの」の引き出しに入れて、
そこにそれがあると信じてしまっておくことで、
宗教が支えてくれない部分を埋めている。
それこそその引き出しに「愛」や「信頼」、「夢」なんてラベルを貼って。
平凡な夫や、あるいは若き大津をそうと信じられたなら、
美津子も玉ねぎでなくとも「確かなもの」を手に入れられたでしょう。
彼女自身は何も信じ切ることができない自分を、
何かとても冷たい化け物のように思っているようだけれど、
私にはただ信じることの盲目さに自覚的過ぎるだけのことのように見えた。
それは「確かなもの」を求める上では不幸なことだとは思う。
でも愚かなことでもなければ、冷酷なことでもない。
どんなものも受け入れる河の中に彼女が自分を見つけられてほっとした。

大津が語るところのキリスト教観、神というものの存在の話は、
何にでも神を見出すことに慣れた世界観の中で育った身としては、
実に理解しやすく、耳に優しいものだったので、
それを異端として糾弾する者たちの論法は、
乱暴で凝り固まったものに聞こえてしまったけれど、
それは本当にただの反動みたいなものなのだろうと思う。
宗教の話においてどちらが正しいということはないし、
あえて言えば神父になる者の考え方として大津は正しくないんでしょう。
キリスト教ではなく神道やヒンドゥー教に触れて育ったなら、
大津は良い宗教者になったのかもしれない。
改宗を勧められた時にそれを受け入れなかったとき、
「イエスにつかまったのです」と答えた言葉は、
敬虔さのようでもあり、単なる堅く不器用な性質の表れのようでもある。
「泣きそう」な声でそう答えたという大津にとって、
自分がその世界にそぐわないと知りながら、
それでもどこにでもいるという「彼」をイエスと呼ばずにいられないことは、
つまり、信仰を続けることはとても苦しいことだったのではないかと思う。
神を呼ぶ名を持たない人間からすれば、
その苦しみはあまりに遠くに感じてしまう。
大津と話す度に彼を別世界に感じていた美津子は、
まさにこんな気持ちだったのかもしれない。
なにが「これでいい」のか、分からない。

同じ旅程を辿り、同じものを同じ時に目にしながら、
旅行者たちは個別のインドを見ている。
戦友を弔う木田、妻を探す磯部、成功を夢見る三條などなど。
それぞれの人生のひと幕、この旅行に至る道筋を追っていて、
小さな団体旅行の客の中でさえこれだけのものが詰まっているなら、
生と死が混ざり合うインドの往来、ガンジスのほとりの路地裏で、
今まさに力尽きようとしている者たちがそこに至るまでには、
一体どれほどの時間と思いが積み重なっているのかと考えた。
もちろんそんなことはインドに限った話ではなく、
あらゆる往来、人間の存在する場所にはその数だけ物語がある。
ただ、ガンジスを目指す人々が集まる町には、
多分他の町よりもずっと多くの命の末端が集まっていて、
しかもそれは戦争などの不条理ゆえではなく、
集まる人々それぞれの意思によってそうなっている。
その分だけ人生の断面が生々しく現れているような気がした。
だから、異邦人としてやってきた者たちも、
人生の断面を見つめたくなる、見つめることができるのかもしれない。
そしてその全てにガンジスは全く頓着しない。
最期のときをただ尽きる一つの命として迎えることは、
とても寂しいけれど、そう悪いことではないような気がする。
この町の名を覚えておこうと思う。

今のインドはどんな場所なんだろう。
ヨーロッパよりもずっと近い、
巨大な国のことをもっと知りたくなった。

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