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2016.10.30 (Sun)

真鶴


真鶴
(2009/9/19)
川上弘美

あなたがいない日を重ねて、
娘のために、自分のために、
温かな場所を作った。

けれど、あなたがいない日を、
数え終わることがないなら、
数えることをやめなければ。

あなたはいない。
もう、いないのだから。

【More・・・】

抗うことができない別れへ向けて準備することは、
確かに日常というものをぐずぐずにしてしまうけれど、
それでも準備を始めることさえできれば、
「その日」を受け入れることは難しくないと思う。
別れなければいけないことへの怒りや悲しみは、
小さく分割して少しずつ飲み込んでいけばいい。
失った後の日々を想像して、
さよならの言葉を用意することだってできる。
けれど、その全てを突然目の前に突きつけられて、
家族の日常を放り出すことも許されないなら、
別れを受け入れるための手順など守っていられない。
悲しみも怒りも見なかったことにして、
働いてご飯を作って子供を叱って褒めて、
その状態が自然なものだと、日常だということにするしかない。
京が踏み込んだ幻想の真鶴は、
彼女があの日踏み飛ばした別れの儀式が、
十三年かけて変形したそのなれの果てなのだと思う。
現れる像には悲しみや怒り以上にただ寂しさを感じる。
でも、それを一人で見ることができるようになったということは、
別れを受け入れる準備がやっと整ったということで、
多分祝福されるべきことなのだろうと思った。
そのために家を空けがちなことくらい、
京が育てた娘はきっと許してくれる。

青磁を愛おしいと思い、家族も大切にしながら、
京がそっと引き出しを覗き込むように思い出す礼の姿には、
失踪の前兆となるような何かを見出すことはできない。
突然の事故で人知れず帰らぬ者となったのか、
あるいは意思を持って捨てていったのか。
いずれにしろ、少なくとも京には夫がいなくなる理由が分からない。
そのことが確かに愛していたはずの夫の姿を揺るがせる。
いなくなる者にどんな事情があるとしても、
残される者にとっては失踪はその時の断絶が全てなのだと、
思い出の重箱の隅を突くように妄想を膨らませる京を見ていて気がついた。
死や決別による決定的な別れよりは、
失踪の、生きているかもしれないという可能性は、
残される者の希望になるのではないかとも思っていたけれど、
理由の分からない不安と疑いは多くのものを変えてしまうらしい。
礼が戻ったとしても、京にはもう彼を信じることはできないでしょう。
もしも自分が誰かと別れるとき、その方法を選べるなら、
失踪という手段は相手を思うなら選ぶべきではないのだろうと思う。
まあおそらく、これほど何の予兆も理由も見つからないということは、
礼は不慮の事故で亡くなってしまったということなんでしょう。
虫の知らせの一つでも寄越してくれればよかったのに、なんて、
生きている者の傲慢だとしても考えてしまう。

京にとって真鶴で白鷺を見送るまでの時間は、
全てが喪の最中だったということなのだとしたら、
青磁が礼にしてやりたいと願っていたことは、
まさしくその喪を終わらせることなのだろうと思う。
礼を失って久しい京は別として青磁は現在も妻帯者なので、
やっていることは結局不倫なのだけれど、
青磁には京を思うことと家族を愛することの間に矛盾や葛藤はない。
などと書くととんだクズ男のようだけれど、
青磁が纏っている雰囲気は外側から見たときの汚さを帳消しにしてしまう。
やや語弊のある言い方をすれば、
青磁は京を助けるために、彼女を愛しているのだという気がした。
愛しているから助けたいのか、助けたいから愛しているのか。
その辺りは彼の言葉を一つ一つさらってもいまいち分からなかった。
ただ礼を思うことを止められない京に対して見せる感情は、
嫉妬のような熱情ではなく、もっと穏やかで寂しいもののように思った。
京の喪の終止符を打つ存在にはなれなかったけれど、
青磁がいなければ、京は多分喪と向き合うことはできなかった。
はっきりした視界の中でもう一度向かい合えたら、
京には青磁にそのことを伝えて欲しいと思う。

自分が思い出をもっていない者、もういない人間に、
家族がこだわっているというのは、とても居心地が悪い。
けれど家族だから、ないがしろにすることもできない。
思わないことで悲しませたくないから、知らない人を思う。
女だけの家族の中で育った百が父・礼を思うことは、
そういうものだったのではないかと、
自分の経験を考えるとついそんな風に想像してしまう。
娘が父親の思い出をもたないことは、
京からは欠けのように見えてしまうのかもしれないけれど、
母や祖母が礼を思わない限り、百にとって父親の不在はただの事実で、
それ以上の意味はないのだろうと思う。
だからあの暗がりにいた誰かは礼の何かなどではなく、
多分百の日常に切迫した人間だったのだろうし、
母が父を思うからこそ、百はああいう風に答えたのだという気がする。
いや、そんなのは余りに乾いた見方で、
母が感じている通り、百は父に惹かれたのかもしれない。
でも、自分自身が思い出として持っていない人間を思っていられるほど、
子供の日常は暇ではないだろうと思うから、
百には母や祖母の思い出に引きずられることなく、
自分の生活を第一にわがままであって欲しいと思った。
なんて、それもまた子供に対する余計な心配か。

ついてくるという女の感情は、
乾いている部分と生々しいままの部分が混在していて、
京とともに驚いたり親しく思ったりするのが楽しかった。

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