2017年08月 / 07月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫09月

2016.11.26 (Sat)

きつねのはなし


きつねのはなし
(2009/6/27)
森見登美彦

今陰を走り抜けたのは何だったろう。
妙に胴の長い狐のような、
その顔に白い歯が浮いて。

丁度さっきすれ違った男が、
あんな顔ではなかったか。


【More・・・】

日常身近にある物、使う物のほとんどは、
意図をもって作られたものに占められている。
野にあるものをそのまま使うことは滅多になく、
強いて言うなら食材がそうだろうけれども、
それにしても各種生産業あってのものだから、
人間の意思から切り離された「物」に触れる機会は、
海や森に踏み入らない限り街の生活にはない。
だからこそ、そうでない場所や物に触れるとき、
寄りかかることを不安に感じるのだと思っていた。
何を根拠にその「物」を信頼すれば良いのか分からないから。
でもそんなことはそもそも根拠のない類推だった。
人が作った物だろうが自然物だろうが、
それに触れる者の知り得ない側面はいくらでもある。
全面的に信頼に足る「物」などおそらくない。
芳蓮堂と天城さんにまつわる物と人の行き来を追いながら、
今自分が手元に置いている物をじっと見つめてしまった。
それほど年季の入った物はないけれども、
天城さんがただの電気ストーブを欲しがったように、
人の傍にある「物」はすべからく人に繋がっている。
どこか私の知らない場所から伸びる縁が絡まっている。
天城さんにはおそらく見えていたその縁というものが、
かけらも見えない身の幸と不幸について考えた。

良くない何かが動いていることが分かっているのに、
それを確かに見ることはできない不安を感じる四篇。
芳蓮堂という古道具屋が表に裏に出てくることと、
舞台に京の香りが漂うこと以外は特別の繋がりはないものの、
読み味はとてもよく似ていて一つの物語を読んでいるようだった。
神か物の怪か、とにかく尋常ならざる何か。
それに触れた人々の話、とでもくくって更に共通点を探すなら、
これは全てその何かに敗北した人々の話なのだと思う。
敗北というよりは戻れなかった、と言う方が適切だろうか。
「魔」で「私」が何か恐ろしいものに取り込まれたように、
芳蓮堂のナツメさんが縁を断ち切れなかったように、
まさしく「魔」に触れた者はそれ以前の日常を喪失した。
「水神」での通夜の出来事はその最後の一場面であって、
魔に飲まれたのは祖父よりも前の先祖だったということなんでしょう。
いずれにしろ、一度それに出会い、触れてしまえば、
それを人の意思で終わらせることは難しいのかもしれない。
なんという理不尽と憤ったとことで、
訴え出るべき場所もないわけなので、
そういう出会いは予期せぬ事故にでも遭ったと思って、
受け入れるか専門家に相談するのが精々の得策か。
夜道の徘徊、怪しい手帳、水の瓶に古ストーブの譲渡。
いずれも避けるが吉と心得よう。

あの家に関わって悲劇に見舞われた人たちは全員、
望む物のために何かを差し出した結果そうなったのだろうけれど、
その主たる天城さん自身が欲しかった物は何だったのだろう。
あの家で行われた取引は言ってみれば、
自分の願望を他人の不幸で賄うような、
そういうろくでもないわらしべ長者だったわけで、
交換を続ける限り天城さんのところに残るものはない。
ただ人が望みを叶えるために他人を差し出す様を眺めて、
にやにや笑うことが趣味だったと言えばそれまでだけれど、
天城さんには何かそうせねばならぬような必死さを感じた。
「私」を何度も屋敷に呼びつけては愉快でもない会話をするあたり、
案外一人で寂しいから人と関わりたいだけなのでは、と思った。
まあそのためにあれだけの被害が出ているのは、
とてもそれを可愛げなどと呼ぶことはできない。
ただ、化け物屋敷でも一番恐ろしい存在のように見えた老人が、
死んだと聞いて初めて、天城さんも人だったかとはっとした。
ナツメさんが最後に差し出した物は、天城さんを喜ばせただろうか。
彼自身の命は何と交換されたのだろう。
寒々しい屋敷で一人溺れ死んだ老人の姿が目に焼き付いた。

「果実の中の龍」における「魔」は、
ケモノでもなければ人のような何かでもなく、
四篇の中では最も危機感の薄い話だと思うけれども、
はっきりしたものではないという分だけ性質の悪いものに感じた。
先輩を蝕んでいたものはおそらく人外の何かではない。
何もかも先輩自身が望んだことで、
誰かに悪意があったということではないし、
嘘を吐くことでやっと息ができるようになったと言う先輩の気持ちも、
これまで自分がついてきた嘘の歴々を思い起こすに分かる気がする。
でもだからこそ、先輩が嘘で自分を騙す楽さを振り切って、
現実に戻ってくるのはとても難しいことだと思う。
立ち向かうべき「魔」は見えず触れず感じられず、
ただ穏やかに優しいだけなのだから。
おそらくこの先も、先輩は聞き手を見つけるたびに、
嘘の旅や奇妙な友人の思い出を作り出し続けるだろうし、
そのせいで人や物を失ったとしても、
夢を見たようにそのことを忘れ続けるんでしょう。
それは夜な夜な人をバットで襲って回るよりも、
ひどく無残なことであるように思う。
どこかで先輩に出会ったら、セラピーを勧めよう。

霧に祭り、夕暮れに桜。
それに不穏なほど美しい数々の品。
京都の町はなんとも奇麗だ。
スポンサーサイト

テーマ : 読書感想 - ジャンル : 本・雑誌


18:46  |  森見登美彦  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

コメントを投稿する


 管理者だけに表示  (非公開コメント投稿可能)

▲PageTop

Trackback

この記事のトラックバックURL

→http://acon6960.blog40.fc2.com/tb.php/667-608e7624

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック

▲PageTop

 | BLOGTOP |