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2016.12.25 (Sun)

屍者の帝国


屍者の帝国
(2014/11/4)
伊藤計劃、円城塔

世界は屍で出来ている。
命を細かく砕いたものがたまたま集まって、
空や土やあなたの形をしている。

21gの魂もきっと同じだ。
変わったのは形だけ。
そうだったらいい。


【More・・・】

人の死体の冷たさというものに初めて触れたとき、
それを冷え性の足か雪山を歩き回った後の鼻先、
精々その程度のものと同列に考えていた自分を恥じた。
死者に対する悲しみをその時ばかりは吹き飛ばしてしまうほど、
死の温度は容赦なく恐怖をかき立てた。
人間に見えるこの物体のどんなに奥に指を突っ込んでも、
温かさと言える物は少しも残っていない。
その冷たさに触れた上で、蘇りの奇跡を願えるなら、
その方がどうかしているとまで思った。
私にとって死は、少なくとも肉体の死は、
その瞬間に不可逆のものになったのだと思う。
ワトソン博士やバーナビーと共に世界を旅しながら、
そこかしこで働く屍者の温度のことばかり考えていた。
それが菌株の作用だろうが代用の魂の産物だろうが、
一度死を経験した身体はきっと冷たいままだし、
溢れる血も過冷却を起こした水のようなんだろうと想像する。
姿だけが人間のまま、言葉も温度も持たないのが屍者なら、
それを産業機械の一部そのものとして扱うことは、
本当に、単なる慣れの問題でしかないのかもしれない。
命を命と認識する上でその二つはそれほどに重要で、
逆に言えばその二つさえ削り取ってしまえば、
人間はとても簡単に人間でなくなるのだと思う。
21グラムの何かなど問題ではないと考えて暗澹たる気分になった。

単純な数の問題で考えれば、
今生きている人間よりはるかに多くの人間がすでに死んでいて、
それを労働力として使えるならとても有用だろうと思う。
まあ死体が五体満足な形で残っていて、
かつ老人や子供を除外するなら数はそれなりに絞られるし、
打鍵のようなことは出来ても創造性が必要な仕事は無理だろうから、
生者の社会の全てを屍者が支えるという構図は想像しにくい。
ただワトソン博士が目にするような屍者の活用は、
本当にまだ試行錯誤の段階、始まったばかりの時代のもので、
おそらくこの社会はこの先もっと目を覆いたくなる姿になっていく。
生者への上書きの技術に歯止めがかかるのは一時的だろうし、
女性の屍者への制限なんてあっという間になくなるでしょう。
兵力として男性の屍者が有用であるように、
どんな肉体にもおそらく形と構造に応じた活用の可能性がある。
想像できることは実現されるし、実現できることは止められない。
まさにその通りのことが起こり続ける。
確実に「魂」をもつこれから生まれる命に対する操作でさえも、
現実においてすでに議論の的になるところまできているのに、
すでに本当の「魂」を失っている屍者に対するあれそれなど、
人の倫理や理性、美意識なんてものが歯止めになるわけがない。
ワトソン博士はそのことにおぞましさを感じる最後の世代で、
人生の途中か遅くとも終わりで屍者となることを当たり前のこととして、
生者の倫理や人生観は形成されていくようになるんでしょう。
肉体さえあれば最低限人の役に立てる時代。なんて明るい絶望。

国家間の陰謀を巡る旅はいつの間にかアダムを探す道行きになり、
辿り着いたのは楽園も真っ青の人類の転換点。
ザ・ワンが語る「X」についての諸々の説明は、
筋を通そうとして通したという感じの理屈に聞こえるから、
多分あの場に同行した誰もそれを本当には信じていなかっただろうと思う。
状況を止めるだけの反証がないことと、
あとは全員が全員程度の違いこそあられ、
愉快な騒ぎの渦中でこそ命を感じられるような性質をもっていたという、
そのためにだけロンドン塔は崩壊したような気がする。
バラバラの所以をもつ面々は面倒ではた迷惑という点では一致している。
唯一例外の屍者たるフライデーが命を感じるなんてのはおかしな話で、
彼が意思を獲得するのはこの時点よりもずっと後のこと。
それでもこの時の「経験」は彼の肉体に刻まれたのだと思う。
魂とはなんぞやという問いに対して、
様々な文脈の中で色んな人間が異なる解答を出しているけれど、
「X」に入る言葉として一番しっくりくるのは、
「言葉」や「菌株」よりは「経験」だなあと思う。
時間が降り積もり、過去をもつ存在にこそ魂は宿る。
命や知性の有無は関係なく、
時間が経験に、経験が魂そのものになる。
なんて格好つけたところでその実体には少しも触れた気がしないけれど、
自分の青い石はそんなもので出来ていたらいいなあと夢想する。

場所を変え、事件が一つ収束するごとに、
なんだかんだと道連れが増えて行くので、
ワトソン博士はきびだんごでも持っているのかと思ったけれど、
鬼ヶ島の鬼まで一行に加わったあとで、
最後には博士自身がきびだんごになったという話とまとめたら、
さすがに要約の乱暴が過ぎるか。
一医学生が世界の核心に迫りながら生き延びたというだけでも、
業界関係者からしたら驚異的なことなのだろうから、
最後の実験に踏み切らずとも生きる道はいくらでもあった。
なんやかやと理屈や可能性を提示して見せたところで、
博士の選択は今自分がもっている魂を差し出す行為に思える。
その上での肉体の保全にどれほどの意味があるのかは、
どうしても納得しかねるところがあるけれど、
道中数多の屍者を相手にし、生者の死も目にしながら、
自分が犯した一つの「殺人」をその中に混ぜ込むことができない潔癖さが、
あの時点のジョン・ワトソンの魂の核なのだとしたら、
それを無視して魂を保全することにも意味はないのかもしれない。
それでも、フライデーが語りかける「あなた」の言葉が、
辿り着くべき場所を失って浮遊して響くのを聞いていると、
「あなた」を「あなた」として呼ぶ者のために留まって欲しかったと思う。

腐り落ちることのない屍者にあふれた世界は、
奇妙に乾いて明るく、エネルギーに満ちて見えた。
死者と生者の両方に賞賛を送りたい。

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