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2017.02.11 (Sat)

震える岩


震える岩
(2014/2/14)
宮部みゆき

起き上がる死者、鳴動する岩。
この世ならぬものを見る娘。

お江戸の町は安寧泰平。
奇妙な話も華のうち。

【More・・・】

たった戦後72年の現在でさえ、
記憶の風化が深刻に叫ばれていることを考えると、
各地で内紛やら一揆があるにはあったとはいえ、
一つの幕府の時代が250年以上も続いたというのは、
やはり驚異的なことなのだと思う。
一世代あたりの年月が短かったことも併せて考えると、
「戦争を知らずに」なんて歌う世代さえも、
江戸中期の頃にはすでに絶滅していたのかもしれない。
100年も保たずに再びきな臭さを増している現代と、
どちらの時代がより庶民が幸福だったかを思ったとき、
それでも江戸の町では自分は幸せにはなれなかった気がする。
戦はないけれど、今は当たり前に認められいる多くの自由はないし、
庶民の生活がお上の意向一つで踏み散らされるような例は、
内藤家の悲惨さを挙げるまでもないくらいあったんでしょう。
そんなことに関わりなく恙なく生きて死ぬ庶民が大多数だとしても、
そのちゃぶ台返しに怯えねばならない世間はいかにも息苦しい。
今もそういうことは往々にしてあるけれども、
先人たちのおかげで抗う術も多くある。
100年を経ても洗い流されることのない内藤の無念の叫びが、
「泰平の世」という言葉の裏側にべったりと貼り付いているような、
そんな幻影が見えて背筋が冷えた。

お初の力は超能力に類するものではあるのだろうけれど、
本人には制御できず条件が整った時に自動で発動するものなので、
彼女は探偵役というよりは便利で微妙に不便な道具とでもいった感がある。
お初の見たものと事実関係を整理して繋ぐのは右京之介の役割、
捕縛の任にあるのも兄の六蔵なので、
捕縛帳というよりはお初の不思議帳とでも言った方が適当かもしれない。
ただもちろん、お初の力がなかったならば、
死霊の凶行はさらに酷い結果を招いていただろうし、
そもそも発覚さえしなかった可能性が高い。
右京之介がその賢い頭を働かせる意思を持つこともなかったはずで、
捕り物の一番の功労者はやはりお初ということになるかと思う。
何よりただの町人の娘でありながら、
誰に対しても率直で歯切れ良い物言いをし、
それでいて礼儀と思いやりも兼ね備えたお初は、
どんな兄でも自慢に思うような気持ちの良い娘だった。
右京之介と並べてにやにやと眺めたくなるのもよく分かる。
武家と町人では釣り合いの問題もあるのかもしれないけれど、
武右衛門の妻も町人の出であるようだし、
ぜひとももっとにやにやさせて欲しいと思う。
御前様も内心そんなことを考えている気がする。

忠臣蔵の物語は毎度年末に放送されるドラマの内容と、
以前人伝いに読んだ赤穂浪士の辞世の句集の印象が全てで、
事実が芝居の通りだとは思っていないけれども、
それでも赤穂の人々は忠義に死んだのだという認識はもっていた。
当時何が起きて、どんな空気が流れていたのかは、
今となっては真偽も定かではない記録にあたるしかなく、
さらにその内部にある個々人の物語なんてものは、
すでに推測も難しい彼方に去ってしまっている。
だからこそ内藤を斬った浪人のような苦しさを抱えた者が、
もしかしたらいたのかもしれないと思いを馳せることができる。
誰を貶めるつもりもないけれども、
四十七人もの男たちが集まって何かを為そうとすれば、
その胸の内が一様だったはずはないだろうし、
ましてその妻子、親族の思いは浪士たちとは全く別のところにあったでしょう。
お初が何度も考えているように武士も町人も同じく人で、
百年前も今も、百年後もそれは変わらないのだと思う。
幻影の中の浪士に、もう肩の荷を下ろしてくれと語りかけたくなった。

一連の事件の被害は、死者が子供二人に大人二人、大けが一人、
さらに危うく火事で町を焼く可能性まであったわけで、
紛うこと無く惨事とすべきものになってしまった。
その元凶たる内藤という男、その本当の心と正気は、死の以前の時点で、
すでに誰にも手の届かないところに行ってしまていたのだと思う。
今回の事件は遠い場所から長く伸びた影のようなものが起こしたのだとすると、
子供を奪われた親たちがそのことを知り得ないことも含めて、
どこまでもやりきれない苦しさを残した幕切れだった。
吉良と浅野の両家に出入りしていたというだけで、
商売を台無しにしかねない巻き込まれ方をした油問屋など、
本当にとばっちりもいいところだと思う。
殺した者を再び殺すために同じ名前を選んだりすることも、
理が通っているようでいて全く納得できるものにはなっていない。
内藤の壊れた心は死して尚、百年の時を経ても壊れたままで、
それが内藤の地獄なのかもしれない。
償う術もない新しい罪を重ねた男の魂が、
今度こそ永遠の眠りを得てくれればいいと思う。

大野家の内儀まつが幼少の頃りえになったとき、
消えかけた命を永らえさせるために、
最初のりえは自分の名を末裔に与えたのだとしたら、
死せる人の思いにも人肌の温度があるのだと思える。

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