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2017.03.02 (Thu)

怒り


怒り
(2016/1/21)
吉田修一

愛していると言ってくれ。
それを信じられたなら、
きっと私は間違っていない。

愛していると言わないで。
それを聞いてしまったら、
きっと私は間違うから。

信じているのはどちらなのか。

【More・・・】

信用ではなく信頼だと、某太公望は言った。
二つの言葉の違いが信じた上でどうするかにあるなら、
前提となる信じる心自体は同じなのだと思う。
では他者を信じるにはどうすればいいのか。
納得できるまで根拠を探して並べ立てる。
あるいは根拠など求めずただ自分の心に従う。
多分その二つにも違いはない。
結論として求められるのが信じるか否かになった時点で、
どんな証拠も結局はそれを信じるか否かの問題に置き換わり、
そうなってしまえば、たった一つのレバーを握る者が、
最後にはえいやと決めるしかなくなってしまう。
信じるという行為は、その言葉を問題にすることは、
とても危うく、また悲しいことだと思う。
疑わない者は信じられるかどうかなど考えないのだから。
相手が何者なのか分からないまま愛しいと思い、
それゆえに信じるための証拠を必死にかき集める人々の姿は、
あまりに痛々しくて胸を抉られるようだった。
信じたいと願い、信じられない自分に絶望し、
足掻いた結果もたらされたものはあまりに惨い。
誰か、と天を仰いで立ち尽くしてしまった。

殺人事件の犯人が逃亡してどこかに潜伏している。
そんなニュースを聞けば少しは怖いと思うかもしれないけれど、
隣人が、まして今目の前でくつろいでいる人間が、
その人殺しかもしれないなんてことは考えない。
それは信頼がどうのという話ではなく、
相手の名前、来歴、仕事その他の情報を、
本人の言葉以外の方法で知っているからに他ならない。
でも逆に言えばそれらがもしも手元になかったなら、
そんなはずはないという思いだけでは、
疑いを捨てることは誰にとっても難しいのかもしれない。
とても大事な、でも血の繋がった家族ではない人間、
つまり自分の人生に後から現れた相手からそれらの情報を削ったとき、
それでもその人が絶対に人殺しではないと言い切れるのかを考えた。
優馬が弁当を水平に保とうとする直人の姿を信じようとしたように、
愛子が自分に向けられる田代の笑顔だけをよすがにしたように、
泉と辰哉が田中の優しく強い言葉に支えられたように、
暗い疑いを忘れさせてくれるような何かを見つけたくて想像を尽くした。
でもやっと拾い集めた確からしい確信の杭を打ち下ろそうとしたとき、
その場所は、結局自分の中にしかないのだと気がついた。
間違いを犯した彼らも、多分煩悶の中で同じ場所に立ったのだと思う。
冷たい泥に満ちて寂しいその場所でも、
正しい選択をできると胸を張れる人に会ってみたい。

優馬や愛子、信じ切ることができなかった者たちには、
特別な誰かをもつということに対して、
そもそもの怯えがあったことも確かだと思う。
他者を信じることの前提となる部分に、
自分への信頼が必要だという論法には頷きたくないけれど、
彼らの内側にあるのが冷たい泥の沼ではなかったなら、
結果は違うものになっていただろうとは考えてしまう。
優馬と愛子の中にあった寂しさや不安、
自分には幸せを選べないのではないかという思いは、
昔とても身近なものだったような気がして、
だからこそ直人との関係が安定してきた優馬が、
かつて自分の中にあった寂寥を遠くに感じている姿を、
私自身を見ているかのような気分で見ていた。
何の不自然さもなく一つの部屋で二人が暮らす光景は、
まさに幸福と呼ぶべきものでなのに、
それになかなか気付かず、気付けば尻込みする男を、
怖くない、怖くないとなだめてやりたくなった。
終わりは情け容赦なく突然で、思いは宙に浮いてしまったけれど、
失った時間を幸福と認められているなら、
優馬の沼は乾き始めているように思う。
田代との間に愛子もそれを見つけられるよう願っている。

何を思って山神が人を殺したのかを、
本人の言葉で聞く機会はとうとうなかった。
でもその内側からにじみ出、時に爆発する感情から考えると、
自分や他人を信じるかどうかという段階は、
この男はとうの昔に通り過ぎてしまっているのだと思う。
幸福も信頼も、どんな種類の親愛も、
山神の表面を一切傷つけることなく流れ去り、
それをこの男は笑いながら見送っている。
断片的な情景をつなぎ合わせるとそういう姿が見える気がした。
もしかしたら嘲笑が心からのものであればあるだけ、
田中が見せる感情や熱は真に迫ったものになるのかもしれない。
そしておそらく笑うことができない事象に出会ったとき、
山神は暴力という形でしかそれと向き合うことができないんでしょう。
それはたとえば無防備に差し出された思いやりや、
他人同士の間にある家族のような絆。
そういうものが世界に、自分のすぐ近くに存在し得ることを、
山神という男は認めることもできないし、
笑って汚すこともできないのだろうと思う。
何がそうさせているにせよ、この推測が正しいとすれば、
山神が泉や辰哉に危害を加えることはなかったはず。
泉の経験や辰哉の無力感は山神を脅かすものではないのだから。
辰哉が殺さなければいけないと思った相手にとって、
辰哉自身はただのくそったれな世界の一部でしかなかった。
そんな男のせいで人生を傷つけた少年が哀れでならない。

それが叶わなかったとしても、
隣の墓で眠りたいと思える相手を得たことは、
あの暗がりにいた直人にとっても革命だったはず。
一人きりの最期がそれで少しでも温もっていてほしい。

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