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2017.03.04 (Sat)

メビウスの守護者 法医昆虫学捜査官


メビウスの守護者 法医昆虫学捜査官
(2015/10/20)
川瀬七緖

母なる大地に還るため、
私たちは命の苗床になる。
小さな羽音の群れはその証。

けれど、せめて待ってくれ。
最後の吐息が去るそのときまで。
その足は、まだ。

ああ、羽音がすぐそこに。

【More・・・】

生きる理由をたった一つでも見つけられたなら、
見つけられないがゆえに命を絶ってしまうよりは、
それは幸運なことなんだろうと思う。
でももしも本当に他には何もなく、
その一つだけが生きる意味なってしまったなら、
そんなものは死ぬよりはマシという程度の幸運でしかない。
愛、仕事、快楽、憎悪その他の何であれ、
それだけに規定される人生なんてものは、
とても自分の人生と言うことはできない。
中丸への憎悪だけで生き長らえている芝浦家の人々は、
娘が死んだ日、全員が人生を奪われたのだと思う。
殺人者である男たちを苦しめることだけが人生になり、
それ以外のものはその余白でしかなくなってしまった。
生きる上で当たり前に生まれるはずの悲喜こもごもは、
全て中丸たちに通じる場所に固定されてしまっている。
その姿は哀れを誘うよりもはるかにただ恐ろしいもので、
彼らが一線を越えて死体をバラ撒いている犯人だったなら、
どんなにか良いだろうとまで思ってしまった。
人一人殺すことの罪の大きさに改めて怯まずにはいられない。

遺体に残された不可解な傷、不自然な解体の仕方、
警察を翻弄するように遺棄される手足。
そういう要素から連想するミステリ的な犯人像は、
知的で自信家、権力を嘲笑っているような人間で、
ついそういう雰囲気のある者を怪しく思ってしまったけれど、
赤堀が繰り返すように虫の声を素直に聞けば、
彼らが示す事件の構造は全くそんなものではなかった。
虫にとっては人間の死体はただの餌や産卵場所だということを、
シリーズを通して何度も見てきたにも関わらず、
狐狸の死体には探さない物語を、
被害者の遺体には探してしまうのは全く悪い癖だと思う。
今回の事件は虫や死体が示す「何が起きたのか」を辿れば、
その起点にいる人間には自ずと行き着くことができ、
そこに人間の死体を物として見る視点をもう一度重ねれば、
動機の部分を理解するのも難しくない。
ただ人間の人間らしい動機や意図を追っていては、
そこに辿り着くには随分と遠回りすることになるので、
虫の声に耳を澄ますことを第一とする赤堀の法医昆虫学が、
そういう意味ではまさに力を必要とされる事件だったなあと思う。
そして赤堀は見事にそれに応えてみせた。
ぴんと張った皮のような伏見管理官には気の毒だけれど、
今回は虫女、いや腐乱系女子の天晴れな勝利だった。

牛久のトラウマとなっている山岳救助の光景や、
事件の経過した人間の死体に蠢く虫の嵐ほどのものは、
あだ実際には見たことがないけれども、
子豚や猫の死体が腐敗していく過程の映像くらいなら、
ちょっと検索すれば簡単に見ることができる。
それだけでも人によってはトラウマものだろうし、
少なくとも食事前に見たいものではない。
ただそんなものはやっぱりただの映像でしかなくて、
ただの生物活動の結果である腐敗に嫌悪感を抱く最も大きな要素は、
多分、見た目のグロテクスさではなく臭いなんだろうなあと思う。
赤堀と岩楯と行動を共にする中で、
何度も吐き散らすことになった牛久を見ていて本当に気の毒になった。
腐敗の臭いに感じる嫌悪は危険を知らせるためのものだから、
嗅覚の神経がどうにかならない限り感じなくなることはないだろうし、
あの臭いはどうしようもなく身体と鼻の奥に染みついてしまう。
ほとんど腐敗していない動物の内臓を洗っていた時でさえ、
一日の終わりの風呂はいつもの倍以上の時間になったことを思うと、
ハエが狂喜してたかる死体を掘り起こし、
ウジのシャワーを浴びた日に安らかに眠るためには、
一体どれほどの洗浄が必要なのか想像もしたくない。
何かと虫を食べ物で描写したがる赤堀に殺意を覚えるのも仕方ないと思う。
ハエに蚊、アブにボウフラの池と馴染みのある虫のオンパレードは、
海底の虫の時よりも情景をはっきり思い浮かべられて背筋がざわついた。

自分が探し求める香りのために人を材料にしただけなら、
他者の感情を想像することができない類いの人殺しとして、
簡単に分類することができたような気がするけれど、
彼女の恐さは、村人や中丸への思いやりが確かにあるのに、
そういうものと人間を香りにすることを並列にしている点だろうと思う。
彼女には明らかに熱をともなった感情がある。他者への憐れみもある。
それがあるからこそ、「彼」の復讐のために情熱を捧げられる。
でも「彼」のような特別な人間以外に向ける感情は、
草花や虫に向ける感情とほとんど変わらないのように見える。
しおれた庭の花に水をやるように中丸を治療し、
必要な蜜を取るためにその茎を折るように人の胸を割り、血を絞る。
多分ちづるにとって人間は、人間であるというだけでは、
他の世界を構成するものと区別し特別扱いをするには値しない。
中丸の暴走は適当に放った餌に飛びつき、
放った人間にしっぽをぶんぶん振ってつきまとう野良犬のようで、
一体どれほどこの男は飢えていたのかを思うと哀れになった。
中丸が何もしなかったなら、ちづるはもっと早く確保されただろうけれど、
物証も出ず、香水の発売まで黙秘を続けることには変わりはないわけで、
結局事件の展開には大きな変化はなかっただろうと思うとまた悲しい。
二人の巡り合わせは、中丸家の両親にとって最も不運だったと思う。

一ノ瀬少年の復讐はまだ始まったばかり。
彼を本当に思い、慈しんでくれる人に、
その道程で出会うことがあればいい。


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