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2017.03.26 (Sun)

よろずのことに気をつけよ


よろずのことに気をつけよ
(2013/8/9)
川瀬七緖

必要なものは何だっけ。
髪と釘と、血と名前。
犠牲の獣に、藁と祈り。
丹念に重ねて積み上げて、
さあ、できた。

届け、この呪い。


【More・・・】

人を呪うことは面倒臭い。
思いを込め、手順を踏み、戒律を守り、
膨大な時間と手間をかけて初めて、
呪いは人に対して力を持つ、かもしれないという段階に至る。
害を与えたいだけならもっと簡単な方法はいくらでもあるのに、
人が呪いという七面倒くさい手段を選ぶのは、
自分の思いや憎しみが自分以外の何者か、
それは大抵は神仏やその類いの存在だろうけれど、
彼らをしてさえ動かし得るほど正当で強力なものだと信じたいという、
そういう面もあるのではないかと思う。
人を呪う者にも生活があり、生活の中には喜びも楽しみもある。
そういうものの温かさで憎悪の氷が溶けてしまわぬように、
苦行ともいえる様々な呪いの行程は、
呪力そのものよりも呪う者が呪い続けるために必要なのかもしれない。
名前も顔も分からない相手を数十年間呪い続けた老人たちの姿は、
鬼に似て、けれど必死に鬼であらねばとしているようにも見えた。
呪うために費やされた物と時間と心の山を思うと、
それでも何の実効の力ももたなかったとき、
呪いという手段は、ただ呪う者にとって無情であるように思った。

数十年という時間でも風化させることができず、
自分自身だけでなく子や孫にまで及ぶような呪いを受ける。
そいう自覚を持たざる得ないような大きさの罪を、
過失ではなく故意に犯してしまう時、人の頭の中に去来するものは、
そういう未来に対する懸念や、まして罪悪感などではなく、
この重荷を早く目の前から消してしまいたいという、
ただそれだけの思いなのかもしれない。
橋の上で二人の無関係の人間を殺そうとするとき、
老人たちを突き動かしていたものは、
五十年前若者たちに子供を谷に落とさせたものと似ている気がして、
三人の幼い子供を撥ねて、放置して、谷に遺棄するという非道も、
ごく自然な、当たり前に人が選び得る対応にも思えてしまった。
もちろんだからと言って彼らの行いに斟酌を加えることはできない。
仲崎先生の言うように、呪う者と呪われる者の相互の感情によってのみ、
呪いというものは実効の力を持つならば、
それが発動しなかったということは、
男には言葉以上の罪の意識がなかったということになる。
思考を放棄し、ただ面倒事を片付けただけなら、そうなるのも当然で、
もしも二人を殺していたら老人たちも同じようになっただろうと思う。
大きなストレスに晒された人間が選んでしまうもの、その冷たさが怖い。

研究と名のつくもの、というよりそう名乗ることができるものには、
膨大な数の分野があり、視点がある。
同じ事実の前に立ったものが同じ結論を出すとは限らないけれど、
それはあくまで解釈や考察の領域の問題であって、
その前提としての結果は誰がやっても同じものを得られなければならない。
そうではないなら、それはそもそも科学ではない。
などとそんな程度の科学の定義論など、
仲崎先生や野呂教授が言われるまでもないことだとは思いつつ、
広い知識と実地調査に基づく見識全てを「趣味」と呼ぶ教授や、
研究者としてぎりぎりの生活をしているはずなのに、
調査というよりは人助けのためにあちこあちへ赴く先生を見ていると、
研究を仕事にするというのはどういうことなのか改めて考えてしまった。
野呂教授の言う「趣味」がただの牽制であることや、
いざなぎの呪術者を探す一連の調査の名目が、
真由に対する慮り、つまりは先生の優しさだということは分かる。
今回の事件の核にあるのが科学云々ではなく、
個々人の思いの集積物であることも納得できる。
ただ全く分野も視点も異なる二人が妙に似通って見えて、
二人が揃う度にこれが研究者というものかとしみじみ思った。

現実から離れた場所に心を逃がさなければ、
生き延びることができなかった真由を引き戻し、
真っ当な社会生活を送れるようにまでしたという点では、
真由の祖父には人に対する優しさも思いやりもあったのだと思う。
子供を無残に殺して、それで何も思わないような外道ではなかった。
でも、自分の胸を切り裂くように真由が言うように、
遺族の前では、彼が「最低」だったと言うことしかできないし、
彼がしたこととしなかったことを考えればそう言うことが正しい。
子供を殺し、罪を隠し、独りよがりの贖罪に他人を巻き込み、
挙げ句、自分の大切なものは何一つ犠牲にせずに死んだ。
それが事実で、それ以外の言葉で祖父を語ることが許されないとしても、
自分を救ってくれた人、温かい思い出の中に常にいる人を、
そう言って切り捨てたとき、真由がどれほど歯を噛みしめたのかを思うと、
何の所以もない重荷を彼女ばかりが負わされているようで、
「私の意思」と彼女が言うたび震える幼女が見えるような気がした。
終わらせるための呪いのために真由が自分を差し出すことは、
老人たちにとっても、彼女にとっても意味のあることだとは思うけれど、
もう十分すぎるほど人生のハードモードを経験してきたのだから、
もうそんなものとは関わることなく生きて欲しいとも思ってしまう。
でも、真由の中には今もまだ傷だらけの子供がいて、
彼女がいて初めて、真由は真由として立っていられるというなら、
その成り行きは避けることができないのか。
呪いの終わりと共に彼女が解放されることを願っている。

人を呪うアイテムは様々なれど、
作製工程はどれもそれ自体がおぞましい。
洞窟の冒険くらいで勘弁してくれ邪神殿。

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