2017年06月 / 05月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫07月

2017.05.14 (Sun)

ビッチマグネット


ビッチマグネット
(2014/8/28)
舞城王太郎

愛している、と言う。
愛してくれを裏側に貼り付けて。
嘘じゃない、と言う。
本当など分からないくせに。

心で心を殴り伏せ、
互いの物語を踏み荒らす。

彼女はビッチ。
70億分の1の女。


【More・・・】

大きな視点で見れば、人生にありふれた様々な事件も、
実勢に身近に起こるまでは自分に無関係な事柄でしかない。
たとえば、10代20代で二桁の葬式に出ているひとはどれくらいだろう。
友人が亡くなったり親が離婚したり、
自分自身が救急車で担ぎ込まれたりというようなことは、
一体どれくらいの人が経験しているのだろう。
確率の話にするなら、人生の長さと経験には相関があるだろうけれど、
だからと言って、自分がごく小さいときに経験したようなことが、
生涯身近で起こらないまま終わる人もいるわけで、
「ありふれている」という表現は常に、
どの範囲でという限定なしには正しく意味を示すことができない。
父親が愛人を作って出て行く、という状況は、
物語の中で、そしておそらく現実にも、
絶対に有り得ないと言い切れる家庭などない、という程度には、
よくあること、よく聞く話だろうと思う。
だから広谷家の娘と息子はありふれた物語の中に、
自分たちを埋め込もうとしたし、それができると考えた。
でも、自分の人生に起こった事件は、
それがどんなに他人の物語の中で類型化されるような事柄だろうと、
自分の人生に起こったその時点で、唯一無二の経験に変わる。
一つの事柄が繰り返されることで慣れが生じるのでない限り、
自分一人の人生にとってさえ、「ありふれた」事件はない。
殴り合う姉と弟、その間で個別の痛みがほとばしるようだった。

香緒里がカウンセリングの先生と向き合ったとき、
全然思ってもいなかった物語を作ってしまったという感覚はよく分かる。
自分の不調にははっきりとした原因と経緯があるのだと、
そういうことにしなければ、何か申し訳ないような気になって、
事実と事実の間にそれらしい感情の線を引いて物語にしてしまう。
臨床の現場でそういう傾向がどう扱われているのかは知らないし、
多分そういう部分も含めて話すということが、
カウンセリングというものの行程の、ある一つの正しい部分なのだと思うけれど、
自分でも信じていない物語を作ってしまうことが嫌になって、
結局私は足が遠のいてしまった。
作っているという感覚は振り払えなくても、
自分がおかしくなっていることに気付き、
学ぶことで自分のそのおかしな部分の形を知ろうとした香緒里の決意、
その強靱さには素直に賞賛を送りたい。
大切な弟を殴り倒してしまったことをきっかけに、自分と向き合う決意をしたこと。
それはつまり徹頭徹尾、何より大事なのは弟だということで、
彼女の言動を追っていると、
両親との距離ゆえの反動として弟を愛しているというよりは、
そうなるずっと以前から彼女の支柱は弟だったような気がした。
唯一の兄弟とのその距離感ははっきり言って気持ちが悪い。
でもそれだけ確かなものとして兄弟を思えることには、
少しばかり、いや大いに嫉妬せずにはいられない。

ビッチマグネットと称される友徳は、
姉の立場から弟を通して状況を聞く限りでは諸々の事件に否はない。
優しくて、多少融通が利かないけれど純朴な少年に見える。
でも「ビッチ」であるところの彼女たちからは、
おそらく全く別の見え方をしているのだろうと思う。
あかりちゃんが自覚的にか無自覚にかトラブルの種をまき散らすように、
友徳が使う言葉か態度の中に、
彼女たちの種まきスプリンクラーを稼働させる何かがあるのかもしれない。
だとしても、まいた種に責任をもつべきは彼女たちだし、
姉が選んだ解決方法は多少強引かもしれないけれど、
この種のトラブルに対処する方法としては模範解答だったので、
友徳が何らかの責を負わねばならない事態にはならなかった。
でもこの先はそうはいかないことも出てくるだろうと思う。
彼自身が自分の性質を理解して対処しない限りは、
何度でも同じことが繰り返されることになる。
まあ、おそらくそのあたりも含めて思い悩んだからこそ、
友徳もまた病院のお世話になることになったんでしょう。
自分の感情を他人に振りかざすこともなく飲まれることもないくせに、
どこまでも心というものに真面目な姉弟だなあと思った。

姉が弟を殴ったり、弟がお金をむしり取られたりしている横で、
父親は愛人とくっついたり別れたりし、母親は再婚相手に巡り会い、
愛人は南の海でジンベエザメに出会ったりしている。
それらは物理的にはわりと近い距離で起きていることでありながら、
香緒里が自分は両親の離婚の当事者ではないのだと気付いたように、
誰にとっても互いに他人の物語でしかない。
家族というまとまりは、その中に人数分の物語が収まっていて、
相手の物語を自分のものにしてしまうことはとても難しい。
けれど香緒里が友徳の物語に殴り込んでいったように、
望みさえすればいつでも参加することはできる。
そういう関係が、家族というものなのかもしれない。
ときどきおかしくなる姉ちゃんに殴り込まれた友徳は哀れだったけれど、
自分だっていつでも姉の物語に殴り込んでいいのだということを、
彼はそろそろ気付いてもいいように思う。
あの姉のことだからそんなことをしたら、
またエキセントリックな反応をしておかしくなるかもしれないけれど、
家族というのは多分そんな風にやり合うくらいで丁度良い。
簡単に秘密を作るくせにそれを最後まで守れないしょうもない姉でも、
見捨ててやるなよ、青年。

花さんと香緒里の関係を見ていると、
もうこの二人が付き合った方が諸々上手くいくのでは、と思った。
紹介された弟が胃痛を起こす様が目に浮かぶけれども。

スポンサーサイト

テーマ : 読書感想 - ジャンル : 本・雑誌


14:12  |  舞城王太郎  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

コメントを投稿する


 管理者だけに表示  (非公開コメント投稿可能)

▲PageTop

Trackback

この記事のトラックバックURL

→http://acon6960.blog40.fc2.com/tb.php/690-77caed2d

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック

▲PageTop

 | BLOGTOP |