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2017.05.29 (Mon)

死体は語る


死体は語る
(2001/10)
上野正彦

死体は語れない。
言葉を生む脳も、
震える喉も停止している。

けれど死体の声を聞く方法はある。
メスと秤、分析機器と確かな目。
その上でだけ、死体は物語を始めるだろう。

【More・・・】

米ドラマ「NCIS ネイビー犯罪捜査班」に登場する医師のダッキーは、
解剖の時しばしば遺体に話しかけながらメスをふるう。
君はなぜ死んだのかを尋ねるとともに、
自分の思い出なんかも語って聞かせる。
遺体は物で、答えを口にすることは決してないけれど、
それを十二分に了解した上で、
それがかつて人だったということに対して敬意を表す一つの方法が、
ダッキーにとっては話しかけるということなのかもしれない、と
シリーズを見続けていて思うようになった。
語らない物、生きていない者を本当に尊重することは、
死体を物としてただ割り切るよりもずっと難しいことのように思う。
すでに人ではないけれども、かつて人だったことを尊重できるほど、
死体と語らう人々の、人への敬意は完成されている。
それはきっと他者の人生、
いや生そのものを丸ごと包み込むような大きさのものなんでしょう。
繰り返される「死者の人権を尊重する」という言葉を聞きながら、
死体の声を聞く人々は人を愛しているのだなあとしみじみ感じた。

変死体の死因を特定するのが検死官の仕事で、
人が死ぬ限りその仕事に終わりはない。
遠い将来的に死そのものが駆逐されるか、
作業が機械に替わられるかするようになれば、
死に名前を与えるために死体を切り開く必要はなくなるだろうけれど、
今はまだ死者に語ってもらうためには検死以外の方法はなく、
上野さんの言うように生きている人間の病気の予防にもなるなら、
異状を発見しながらやらないで済ませる理由はないと思う。
現実の刑事事件には密室トリックを図る輩などいない代わりに
「これは殺人だ」と断言する不遜な探偵もいない。
日数が経ってから死体が見つかることもよくあるようだし、
発見者にいつも現場保全の意識があるわけでもない。
それでも他殺か事故か自殺か、関わった者は決めなくてはならない。
現場にある死体を前にしながら、
警察官、検死官、その他関係者が議論する様子を見ていて、
事実がどうであれ死は他人に「決められる」ことがあって、
それが正解かどうかを知るための答え合わせは、
大抵の場合は不可能なのだと気がついた。
自分の死に名前がつけられる過程で死者ができることはない。
ならば、生きている者にとって最も妥当な結論が選ばれるべきでは、などと、
またすぐに死者を軽んじてしまう傾向はどうにかしたい。

たとえば人を殺そうと決意したとして、
その上捕まりたくないと考えるなら、
一番良いのは死体を発見されないことだけれど、
次善の策として想定されるのが殺人だと気付かれないこと。
殺人として捜査されて尚自分に辿り着かせないというのは、
くぐり抜けなければならない網の目が小さすぎると思う。
死体の処理自体が発見のリスクがあることを考えると、
多分計画的であれ突発的なものであれ、
多くの犯人が選ぶのは死体の放置か工作になる。
自殺に見せかけるために死体を動かしたり殺し方を練ったり、
そこに関しては現実でもフィクション並の創意工夫があるようで、
殺ると決めた人間の熱量には大きな違いがないのかもなあと思った。
まあ、さも自殺のように首をつらせようが水に沈めようが、
生前と死後では痕跡には明確な違いがあるようなので、
よほど問題のある担当者に当たりでもしない限り、
やはりプロをごまかすのが至難の業なのは間違いない。
どんな風に証拠を分析し手がかりを見つけるのかを詳細に知ることは、
犯罪の抑止に効果的なのではと考えもしたけれど、
網の目の大きさや種類を広めることには逆の効果もあるか。
殺意を生む関係を修繕する方が先かもしれない。

上野さんが担当した解剖によって導かれる死体の物語の中には、
小説かと思うほどの人間の情念が詰まっているものがあって、
死体という隠匿の難しい物のために人の知るところとなったものの、
それさえなければ、開かれない本のように、
物語は語られることなく終わっていただろうことを思うと、
小説が描き出す奇妙な人々は、
フィクションの中だけの住人ではないのかもしれない。
ガス自殺に巻き込まれた男性、遺体のあとを追って隣で死んだ女性、
わずかな死亡時刻の差で起こる遺産騒動。
死という劇的な出来事に引っ張られるように、
人の心は乱れ、ねじれていく。
それらの出来事は死者の知るところではないし、
責任を問うことも出来ないけれど、
自分の死が誰にどんな作用を与え得るのかについては、
生きているうちによく考えておくべきなのだろうと思う。
死を望み、それだけになってしまった段階では、
そんなことに考えを及ばせることは難しいだろうから、
死について考えるべき健康であるときほど、ということになる。
死を思うのに早過ぎるということはない。

異状死体として扱われる人々は都内で日に十数体。
多いか少ないかは良く分からないけれど、
意外とみんな死ぬべき場所で死んでいるんだなあと思った。
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