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2017.06.25 (Sun)

人間臨終図巻 上


人間臨終図巻 上
(2014/1/25)
山田風太郎

あの人もこの人も、
かの人もその人も、
みんなみんな死んでいる。
ご臨終を迎え終わっている。

まだ生きているから、
まだ彼らの列には加わっていないから、
集めて並べて眺めて吐息をつこう。

今日はまだ自分の番ではないと盲信して。


【More・・・】

これから大きな人生の転機が訪れるか、
死後に私の残した何かが評価を受けるかでもしない限り、
私の死、臨終の様は図巻に取り上げられるようなことはない。
そのことを残念には少しも思わないけれども、
歴々たる面子の臨終を次々観ていくと、
ただ死ぬだけでいい身分は気楽で良いものなのだなあなどと思った。
華々しく生きた方々は、その死についても様々な期待をされる。
歴史に刻むに値する辞世の句、言動、あるいは死の意義。
医学的には死の形は生命維持に関わる部分の損傷か、
機能の停止しかないはずなのに、
死の様はその最後の場面として人生の内側に織り込まれてしまう。
生の内で何者かに成った者はかくあれかしという死を望まれるし、
また本人としても何かしらを望むものなのかもしれない。
けれどもやっぱり人は誰でもただ死ぬだけの死から逃れられない。
脳溢血や心肺の損傷、多臓器不全で、人は死ぬ。
そのずれが、名のある人々の死を見るときには悲しみとして、
時には不謹慎なおかしみとして後世の人間には感じられるのだと思う。
人の死で満ち満ちた一冊なのに、不思議と気分が高揚した。

上・中・下の分冊で刊行された中の上巻には、
55歳までに死んだ古今東西の著名人の死に様が、
享年順におよそ三百人分収められている。
クレオパトラがいて、天草四郎がいて、太宰治がいて、ゴッホがいる。
ほとんどの場合各人には面識どころか時代の重なりさえないので、
死亡したときの年齢という分類をしない限り、
隣り合うはずのない名前が次々と登場することになる。
まるでタイムマシンであっちへこっちへ連れ回されているようで、
しかもその目的地が全て誰かの臨終の時なのだから、
まあ有り体に言って悪趣味だということは分かっている。
ただ本当に悪趣味なのはそれをにやにやしながら読む者の方で、
執拗に死の場面の情報を集めて整理して描写する書き手には、
そうせねばならぬという鬼気迫る何かがあったのではないかと想像する。
いや、そういう風に考えること自体が、
そうでもなければこんな奇妙な、誰に益のあるわけでもないものを、
せっせと作るはずがないという思い込みか。
案外書き手も読み手たる私を同じように、
にやにやしながら死を収集していたのかもしれない。
いずれにしろ、まだ上巻に触れただけだというのに、
死から立ち上る圧倒的な生々しい熱にあてられてしまった。

「人生五十年」がもっと短かった時代にも、
それが延長を続ける現代にも人は死ぬわけで、
何歳で死んだかだけでは平均値との位置関係は判断できない。
40代の大往生もあれば、50代の夭逝もある。
ただ「全ての死は挫折だ」という言葉だけは、
何歳でもどの時代においても真理なのだということが、
年齢という基準で並べられた死の記録、
そこに至る云十年分の時間の概略を俯瞰していて、
身に染みこむように理解されていくような気がした。
誰もが死に向かって生きているにも関わらず、
誰にも自分の道のり全体の長さを知ることはできない。
瞬間瞬間にだけ生き、何一つ計画せずに生活すれば、
何も途中にせずに死ねるのかもしれないけれど、
思考に限ったとしてもそうできる人はいないと思う。
今日や明日、来年やもっと先の将来まで、
はるかな過去に時間の概念を獲得した瞬間から、
ヒトは様々なものを途中にしたまま死ぬことが決定してしまった。
ならばいっそ、遠い場所に向かっているつもりでいるのも悪くないか。
鬼に、死に神に、笑われることなど気にすることはない。

羅列された著名人の中には寡聞にして名前を知らない方も多々いて、
その場合は生前の逸話も含めて、
かつて生きていた、そして随分以前に死んだ某殿の人生として、
見ず知らずの人間の名が並べられた名簿を眺める気分で読んだ。
悪逆非道の犯罪者であれ英雄であれ何の知識もなく触れれば、
ただの人間の生死の記録一人分として一律になる。
一方で、その生涯と死に関して多少の前情報を持っていた人々については、
多くの勘違いと偏見がぼろぼろと発見されて、
気がつく度に赤面せずにはいられなかった。
ざっくばらんに言えば、肺病の文豪は生涯孤独を伴侶とした人間で、
誇り高く生きた人は命乞いなどしないし、
牢死はすべからく無念のものであるはずで、
処刑される女はみな女であることを利用した悪女のような気がしていた。
もちろんここに羅列された死の様は伝聞か、
ときには伝聞の伝聞くらいの距離からの情報なので、
それが死の際の人間の実体と同じであるというはほとんどないでしょう。
言動と真意の間にずれがある場合もいくらでもあって、
つまりこの羅列と以前からの情報との差異はないようなもの。
真実がどんなものであれ、死をその様態から測り取ることも、
まして人生そのものを測る基準としての死などというものも、
ナンセンス以外の何物でもないのだということは分かった。
多分死はまさに句点なのだと思う。
必ず文章の最後に打たれるものでも、文章の内容との相関はない。
ならば死に様のために何かする必要はない。
。も.も、見た通り、この程度の差しかないのだから。

中巻、下巻、と享年の値は大きくなっていく。
上巻に比して長い人生を生きた人々の句点からは、
一体何が見つかるのか期待している。

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