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2017.07.31 (Mon)

虫樹音楽集


虫樹音楽集
(2015/11/20)
奥泉光

将来なりたいものを尋ねると、
少女は男の子と、少年はかもめと答えた。
男は虫と言って笑った。

希望の明るさは、みな同じ。

【More・・・】

米ドラマ、「クリミナル・マインド」内エピソード「転生」において、
犯人は善のために人を蛆に転生させようとする。
蠅の幼虫という形ですでに生まれているにも関わらず、
人の魂の次の転生先になり得ると信じるあたりは、
犯人は確かにどうかしているのだけれども、
虫になることは「堕ちる」ことだという共通認識も少し異様に思った。
転生先を選べるなら殊更虫を望みはしないけれど、
それは人の心のまま虫になるという幻想を抱くからであって、
人であったことを全て忘れて虫として生まれるなら、
それは他の何として生まれ落ちることと違いはない。
カフカの「変身」の恐さを家族の冷徹さ以外に見つけようとするなら、
それはザムザが人の心を持ったまま毒虫になったことだと思う。
人が虫になることではなく、人で虫であるという状態にこそ、
私はおそらく嫌悪と恐怖を感じている。
虫の言葉を話そうとする男、ザムザを演じ果てた男、
そして人の姿のまま虫になろうとする男。
這い回る虫の数はそう多くないというのに、
意気揚々と虫に近づいていく男たちの姿に、
どうしようもなく嫌悪のえずきが止まらなかった。
生命がどうの魂がどうのと言い訳をしたところで、
結局のところ私は虫とはお近づきになりたくない人間なのだとしみじみ思う。

とはいえ、虫と音楽に魅せられた男たちの気持ち悪さよりは、
滑稽味の方が強く押し出されているようで、
化石や宇宙樹の話などは伝説じみた雰囲気もあり、
常に傍にながれるジャズの響きも相まって、
全体としては陽気な印象をもった。
イモナベ氏の橋の下のライブの情景に満ちている寂しさも、
場面の詳細が検証され、イモナベ氏の足跡が明らかになるにつれて、
どこかに男の狂いの瞬間があったのだと確信してしまえば、
情景の神秘性は失われて明るい悲しみだけが残ることになった。
海外での活動中に世話をしたことが、
虫への傾倒に繋がったようなことを本人は語っているけれど、
虫を愛することと、ザムザという毒虫として無残に死んだ男を演じることの間には、
やや隔たりがあるような気がする。
イモナベ氏の中で何が起きていたのかをその経歴から類推するなら、
海外での孤独感こそが彼にとっての灰色の荒野の原点なのではないかと思う。
虫に関係する言葉に惑わされてしまいそうだけれど、
彼が自分を重ねたのは虫ではなくザムザという「理解されなくなった男」で、
繰り返される場面も毒虫の体というよりは、
世界との隔絶をこそ象徴するもののように思う。
粗末な書き割りの窓の向こうに男が見ていた荒野を想像して、
「理解されない男」を演じることで理解されようとした、
そのあまりの寂しさに苦しくなった。

現代の歌手、バンドマンたちのことすら無知に等しいので、
70年代のジャズシーンがどんなものだったのかは、
想像する材料すら持たないという体たらくだけれども、
その片隅をあらぬ方向へ駆け抜けたイモナベ氏を追っていると、
音楽と時代というものの近さを感じて少しばかり嫉妬した。
一人のスターや天才によって、ではなく、
小さなバーやライブハウスで演る有象無象の演奏者によって、
ジャズ界が躍動していた、という感触が羨ましい。
それはつまり、その時ジャズに親しむ者でありさえしたなら、
当事者としての思い出を持つことができるということだろうと思う。
現にイモナベ氏を追う小説家の「私」地震が、
音楽で生きてきたわけでもない一介のファンに過ぎないのに、
その場で見て、聞いて、震えたという経験だけで、
あの時代を「私たちの時代」のように語っている。
いや、あるいはそれはこの時代に特有の話ではなく、
「その時」「その場」に現れて消える音楽というものの特性なのか。
録音・録画技術によって伝えられるのは音と光だけで、
音楽の実体はそれで全てではないのかもしれない。
などとドのつく素人目線でふらふらと考えてみた。
とにもかくにもジャズというものに親しんでみなくては話にならない気はする。
どこかがら始めるのが良いものか誰に教えを乞おうかしら。

頭の中に虫を飼うことを具体的に想像すると、
なんとも怖気が走るものがある。
寄生虫と一緒に生きていない成人などほぼいないわけで、
頭に中に飼うのも腹に飼うのも同じだろうというのは理屈は分かる。
ただまあ、それはそれ。これはこれ。
絶対に姿を現さないとしても、
ゴキブリが大量にいると分かっている部屋には住みたくないのも人情。
その人情を「みんながやっているから」「就職に有利だから」、
「父親の命令だから」で越えられるかどうか微妙なところだと思う。
というか、その辺りは如実に個人の嫌悪の指向に左右されるとろで、
芋虫タイプなら許せるとか、サイズがこれ以下ならとか、
あるいは姿形を知らされなければなんでも良いとか、
おそらく多種多様な許容のラインが存在するはず。
それでも頭に虫を飼う人が増え続けているということは、
眠らなくていいというのはそれだけ魅力的な変身なんでしょう。
人間をやめてムカデと共にラリっている男の光景を思い浮かべながら、
ひたすら頭の中の虫のことばかり考えてしまった。

幾億年の過去と今をつなぐ存在だとしても、
水場や夜道を這い回るあの黒いやつらと和解できる日は、
未来永劫来ないと思う。
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